歌本:西城秀樹「ブルースカイ ブルー」(1978) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 歌謡曲について作詞と作曲の両面から記事を書く「歌本」のコーナーです。
 今回とりあげる曲は、西城秀樹が1978年(昭和53年)の8月25日にリリースしたシングル、「ブルースカイ ブルー」。

 ヒデキもヒット曲が数多くありまして、とくに私が小学生だった昭和50年代前半には歌番組で見ない日がなかったと言っていいくらい、歌謡曲の黄金期に多大な貢献をはたしたシンガーです。歌番組のみならず、『8時だョ!全員集合』や『カックラキン大放送』ではコントを演じ、水泳大会や運動会では大活躍を見せました。そのたびに全国の子供たちはヒデキの歌に親しみ、私の場合は妹が熱狂的なファンだったので、ほとんどの新曲のシングルは発売されると家でのヘヴィー・ローテーションとなっていました。

 それだけに、1曲を選ぶのが難しいです。このコーナーの対象時期(1965年〜1984年)だと、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は言うに及ばず、最初の大ヒットとなった「情熱の嵐」もあれば、「激しい恋」とか「傷だらけのローラ」とか「ブーメラン・ストリート」とか「ブーツをぬいで朝食を」とか、もう本当に代表曲だらけです。個人的にはジュリーの「危険なふたり」っぽい曲調の「薔薇の鎖」もお気に入り。
 その中から「ブルースカイ ブルー」を選んだのは、2018年の5月にヒデキが亡くなった際に、この曲がヒデキとの別れの歌として認知され、リリース時に聴いたときには想像もつかなかった感慨を抱くことになったからです。おそらく誰もこの曲がレクイエムの役割を担うとは思っていなかったはずで、この曲の歌詞が新たに背負った意味合いとヒデキを失った哀しみが曲自体の力と相まって、昔よりも深く心に刻まれたのでした。私はあくまで妹を経由してヒデキのヒット曲を楽しんでいたにすぎなかったのに、葬儀の出棺を映すニュースで「ブルースカイ ブルー」が流れるのを耳にしたとき、涙があふれて止まりませんでした。

 ただこの曲って、間違いなくヒデキの代表的なバラードのひとつだけれど、彼が亡くなる前には世代を超えた知名度という点では微妙なところではなかったでしょうか。もちろんファンのあいだではずっと前から人気のある名曲だったし、レコード大賞の金賞を獲ったことや、この年の『ザ・ベストテン』の年間9位もヒットの証です。が、「激しい恋」や「傷だらけのローラ」や「YOUNG MAN」と比べると、ものまねで選ばれる機会は少なかった気がします。
 だからこそ、私みたいに漠然とヒデキのヒット・ソングを楽しんでいた者は出棺の音楽で流されて不意を衝かれたし、あの「ブルースカイ ブルー」がこんなふうに響くのかと、ヒデキへの喪失感をつのらせたのです。私はもう、小学生の頃と同じ気持ちで聴くことが出来なくなりました。

 作曲と編曲は馬飼野康二。「ちぎれた愛」「傷だらけのローラ」「激しい恋」「炎」など、ヒデキのヒット曲を手がけた人であり、ブラス・ロック調のファンキーな曲と絶唱型のダイナミック・バラードという、初期のヒデキの歌のイメージを決定づけた作編曲家です。


 この曲のサビはカノン進行と呼ばれるコードの動きで構成されています。これはパッヘルベルの有名な「カノン」と同じ形式に分類されるコード進行のことで、ハ長調だと、C→G→Am→Em→F→C→F→Gと展開していきます。実際はこれに手を加えたタイプが多くて、「ブルースカイ ブルー」のサビにも分数和音が入っています。

 キーを原曲のFからCに移すと、

 C(ふ~り)→G/B(む~け)→Am(ば~)→C/G(~)→F(あ~の)→C/E(と~き)→Dm(の~)→F/C(~め)

 →G(に~)→G/F(しみる)→C(そ~)→G/B(ら~)→Am(の~)→D(あ~おさ~おも)→G(う~)

です。
 ここで” G/B ”のように分数で表記されているコードを簡略化すると、C→G→Am→C→ F→C→Dm→F→G。このコード進行は、
C→G→Am→Em→F→C→F→Gの「カノン」とほぼ同じです。もっと直接的に下敷きとなっているのは、やはりカノン進行型の有名曲である、プロコル・ハルムの「青い影」でしょう。

 「ブルースカイ ブルー」で、このサビは曲の終盤に向けて絶妙な滑らかさで半音上がるのですが、そのことについては後述します。

 カノン進行はマイナーの音をメジャーの土台にまぶすようにして進み、全体では端整な落ち着きと調和を感じさせる形式で、それは恋の悔恨を「悲しみの旅立ち」の決意に収束させてゆく歌詞ともフィットしています。このサビにいたるまでのパートもモノローグにも似た雰囲気を帯びながらメロディアスで、それがサビでゆっくりと、空に向かって顔を上げるように音符を伸ばしていきます。そしてさらなるエンディングで青空に心を解き放つような壮大な広がりを得るという、王道にして堂々たるスケールの作曲です。
 
 管弦楽器とバック・コーラスが曲のスケール感を増すアレンジも王道です。でも意外とこの曲調でハープシコードの音は鳴っていません。
 そのかわりにマンドリンらしき楽器が使用されています。エレクトリック・ギターによる短く効果的なオブリガートが入っていて、この音色も乾いています。ほかにもギター(もしくはバンジョー?)が主人公の心情を慰撫するようにアルペジオを奏でており、これもやはりメランコリックには傾いていません。感傷的ではありますが、部屋の片隅で悩む姿を演出するのではなく、曲の頭から終わりまで主人公が晴れ渡る空の下に立っている様子が思い描けます。悲しみに打ちひしがれることがあっても太陽を浴びて一歩前に踏み出す、それがヒデキなのです。
 2番の歌詞で「少しだけ時が行き」、あの人にはもう二度と会えないだろうと主人公が自分に言い聞かせると、ストリングスがバロック風のフレーズを奏でる間奏に入ります。この部分だけでも「ブルースカイ ブルー」のサビが「カノン」の形式を意図的に採用したのは明白ですが、間奏の終わりでストリングスがサラリと半音上がると、そこからの終盤はキーがC#(原曲ではF#)に転調します。
 今やJ-POPでは食傷気味なくらいに当たり前となった半音転調だけれど、「ブルースカイ ブルー」のその工夫には、これ見よがしなところがありません。むしろ半音上がったことに気づかない人も多いでしょう。じつにスムーズで鮮やかです。

 作詞は阿久悠です。三木たかしとのコンビで「君よ抱かれて熱くなれ」から青年期のヒデキにふさわしい歌詞を手がけ、「ラストシーン」「ブーメラン・ストリート」「ブーツをぬいで朝食を」とその路線を歩ませ、「ブルースカイ ブルー」は前作シングルの「炎」で組んだ馬飼野康二との2作目でした。
 私は当初、この歌詞のシチュエーションをよく理解していませんでした。歌い出しも、「あの人の指にからんでいたゴールドの指輪がきらめく」と誤っておぼえていたほどです。つまり、本来の歌詞にある「ゴールドの指輪を引き抜き」が意味するところをわかっていなかったのです。この歌詞を私に解説してくれたのは、同じ小学5年生のクラスメイトだった女子でした。これは夫か婚約者のいる女性との恋愛を意味するのだとか、彼女が周囲から説得されて別れることになったのだとか、さすが日頃から大量の少女漫画を読んでいた昭和の小学生女子のリテラシーは男子の比ではありませんでした。

 激情では貫き通せなかった恋を描いた歌詞は、「ラストシーン」の姉妹編的とも形容できます。しかし「ブルースカイ ブルー」には、もっと意図的に、人生における旅立ちが織り込まれています。
 とりわけ秀逸なのは、「おそれなどまるで感じないで 激しさが愛と信じた」の一節です。これは「激しい恋」をハイ・ヴォルテージなアクションで歌っていた頃のヒデキ像を想起させます。「激しい恋」はヒデキが19歳の時のシングルで、「ブルースカイ ブルー」は23歳。かつて「やめろと言われたら、よけいに燃え上がる」と歌っていた若者が、「激しさが愛と信じた」頃を過去として振り返り、大人から「いたずらで人を泣かせるな」と頬を打たれたことの意味を噛みしめています。
 たった4年の歳月ですが、19歳から23歳の4年は何かを身につけて何かを捨てる出来事が起きる時期です。ここでの回想は苦い味をともないながらも、そこに「目にしみる空の青さ」があった実感もこめられています。「あの人も遠く連れ去られ 愛が消えたあの日」と恋の挫折を認めつつ、それが二度と戻らないかけがえのない青春の日々であったことが、破局のドラマに救いをもたらしています。

 しかも相手の女性がどんな人だったのか、具体的に何も触れられていません。手がかりは「ゴールドの指輪」以外にないんです。なのに、道ならぬ恋に燃えていた二人の時間と、きっと優しく穏やかであったろう彼女の微笑みが、楽曲とヒデキの歌から静かに伝わってきます。
 あえてディテールを省き、行間で読ませるテクニックですが、青年=ヒデキの軌道を作ってきた阿久悠が、今なら彼のヴォーカルがそれを聴き手に想像させることができる、と確信したのだと私は思います。あるいは、仮に歌詞よりも曲が先に出来ていたとすれば、この落ち着いた歌い出しから盛り上がってゆく曲調なら、恋の痛手と青空をリリカルに結びつけることができると考えたか。
 いずれにせよ、この歌詞で用いられている言葉には持って回った表現が見当たりません。それもまた聴き手をこの曲で描かれる若き日の挫折に曇りのない気持ちで向き合わせます。そしてその衒(てら)いのなさは、ヒデキの歌唱からこぼれてくるものでもあります。

 「ラストシーン」のような大人っぽいバラードや、「ブーツをぬいで朝食を」「炎」のようなセクシーなニュアンスを含むシングル曲が先にあって、それらの後の「ブルースカイ ブルー」も道ならぬ恋の終わりが歌われる曲です。ここでのヒデキのヴォーカルには大人へのステップとともに、真っ直ぐな衒いのなさもまた逞しく成長した形で聞こえてきます。

 じつは私は、彼がこれほど上手いシンガーだったことに、長く気づかないでいました。下手だと感じたことは一度もないけれど、自分が40歳を過ぎるまでに、ヒデキの歌が上手いとか下手だとかを意識したことがないのです。私にとって、ヒデキは常にダイナミックでカッコいい歌手であって、それで充分でした。


 ヒデキは1970年代に、中高生だけでなく小学生のチビっ子にも人気のあるシンガーでした。彼は欧米のロックに強い影響を受けていて、そのワイルドなアクションがお茶の間や学校の教室で話題となりましたが、ロックの危険な匂いは薄かったし、小学生でも安心して好きになれる存在でした。男子にとってはアスリートへの憧れに似ていたかもしれません。
 そのことが、歌謡曲に対して偏見を持ちがちだった昔のロック・ファンにヒデキがアピールしなかったり、彼らに半笑いで眺めさせるきらいがあったとも言えます。そうした人たちを責めるつもりはないです。当時、歌謡曲はロックに必要な敵でした。
 ヒデキもジャニス・ジョプリンやローリング・ストーンズのファンだったし、それは彼の歌を聴けばあきらかなのだけど、少なくとも1970年代に、シングル曲で本格的なロックに接近することはなかったと思います。いつも歌謡曲に足場を置いていました。
 ではヒデキが完全に妥協していたのかというと、それも違うでしょう。なぜなら、彼はエルヴィス・プレスリーの大ファンでもあったからです。

 『ウッドストック』に熱狂していた少年ヒデキが、同時にエルヴィスの音楽も好んでいたのか。その二つは1955年生まれのヒデキの世代だとファン層が異なっていたとも聞きます。

 だけど1971年に日本でも公開された映画『エルヴィス・オン・ステージ』は、『ある愛の詩』に次ぐ年間第2位の大ヒット作となったそうです(日本での話)。そのサントラもオリコンで16週にわたって1位に輝いています。素直な性格で活発でもあれば、音楽好きの少年がその直撃を受けていてもおかしくはありません。
 初期のヒデキのステージ衣装には、スタッフが晩年のエルヴィスにヒントを得て作ったものがあったらしく、アルバム『西城秀樹リサイタル』(1974年。音源は1973年のライヴ)のジャケットは、まさに『エルヴィス・オン・ステージ vol.2』へのオマージュです。また、その頃やもっと後の時期に、レコードや歌番組でヒデキはエルヴィスの曲を何度もカヴァーしており、そこで聴ける歌は細かい節まわしまでエルヴィスになりきっています。いや、ヒデキの特徴ある歌やアクションがエルヴィスを手本としていると考えたくなります。

 1970年代のエルヴィスの音楽には、同時期のロックが尖らせていたエッジは聴き取れません。感性の鋭い若者の血をたぎらせる類の歌でもないです。懐の深いグルーヴやジャンルの幅広さ、なによりも歌の胸板の分厚さには捨てがたい魅力があるのですが、そういった佳さはなかなか評価されにくかったりします。
 ヒデキはデビュー時からリズム感がよく、音楽を体で感じ取り、それをフィジカルにアウトプットできる身体性に恵まれていました。その頃のヒデキの歌を聴くと、音楽の才能が運動能力を通じて体現されているかのような俊敏さを覚えます。スポーツに秀でた若くしなやかな身体が、ジャンルに関わらず音楽の喜びを爆発的なキレのよさでダイナミックに表出させていたのが、初期のヒデキ。歌謡曲だとかロックだとかで括れない、そこにヒデキの歌の理想があったのではないでしょうか。

 「ちぎれた愛」も「傷だらけのローラ」も、劇画的なまでに強力なエネルギーを放出する絶唱でした。『愛と誠』の主役を演じたくて梶原一騎に直談判したという実話もそれと無縁ではないし、そのエピソードに宿る思い入れのエネルギーがとんでもないレベル──大賀誠級を超えて早乙女愛級です。
 「ブルースカイ ブルー」は、歌詞が「激しい恋」のヒデキ像を過去に見立て、曲が落ち着いたテンポで始まります。すでに「ラストシーン」などでも実りを見せていた曲調ですが、ここでのヒデキの歌唱はそうしたバラードの枠を突き抜けて、哀しみを壮大な広がりに解き放つ域にまで達しています。エンディングで繰り返される「青空よ心を伝えてよ 悲しみはあまりにも大きい 青空よ遠い人に伝えて さよならと」で、ヒデキの歌のエネルギーは喪失の欠落感を未来への希望へと橋渡ししています。  
 掛け値なしに素晴らしい歌声です。ホットな辛さの中にリンゴとハチミツがトロリ溶けてます。ヒデキの歌は日本のカレーです。子供の頃、その味が大好きだったし、今も私はヒデキがもういないと思うと寂しくてなりません。でもこの曲で彼が歌い描くブルースカイは、哀しみの色をも吸い込んで爽快に晴れ渡っています。ヒデキは青空を残して去って行った。そのことが最高にヒデキらしくて泣けてきます。

追悼記事:「ヒデキのこと。