気まぐれオレんちCD:The Cardigans/Gran Turismo(1998) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 目を閉じた状態でCDラックから1枚を抜き出し、それについて下調べをせずに記事を書く、「気まぐれオレんちCD」のコーナーです。
 もとは隔月更新だったのですが、下調べせずに書くとボロが出てしまい、いろいろ恥をかくことになるので、季刊程度の更新に変えました。今回は遅めの「2024年春号」です。
 では、いつものようにCDラックの前に立ち、目を閉じて選ぶところから実況していきます。はい、選びました。カーディガンズの1998年のアルバム、『グラン・トゥーリスモ』。
 3枚目か4枚目のアルバムですよね。4枚目でしたっけ?ファーストはタイトルをおぼえてないけど、セカンドは『ライフ』でした。サードは”なんとかムーン”(これも失念!)というタイトルで、例のLovefoolはそこに入っていたと思います。じゃあ、やはりこの『グラン・トゥーリスモ』は4枚目か。
 いかん。ほんまにカーディガンズのことを知らんな。ヴォーカルの女性の名前も思い出せない。スウェーデンだから、モニカだった?たぶん違うぞ。ああもう、すでに大恥をかいてます。
 「気まぐれオレんちCD」コーナーの目的である、「普段めったに聴かなくなったCDをセルフ無茶ぶりで聴いてみる」にはふさわしいです。これをパスして他のを選び直す言い訳が思い浮かばないのですが、そうか、カーディガンズか。『グラン・トゥーリスモ』か。長ったらしいアルバムだったような記憶があるんですけど、これにしましょう。では、今から聴きます。

(収録時間の42分が経過・・・って、全然長くなかった。いい加減だなあ、私の記憶も。26年前に聴いたきりだったので、大目に見てください)

 では、素朴な感想から。
 いいじゃん!悪くない、ていうか良い内容です。今回聴く前の意欲は10%くらいしかなかったのが、聴き終わった満足度は80%です。おかげでヴォーカルの彼女の名前も思い出しましたよ。ニーナですね。

 カーディガンズはスウェディッシュ・ポップの代表的なバンドなので、まず私とこのジャンルとの距離感について説明させてください。
 1990年代には、好きでも嫌いでもないという温度で接していました。カーディガンズの日本でのブレイク以降、クラウドベリー・ジャムとかエッグストーンとか、私が働いていたCDショップでもコンスタントに売れるようになり、それらを店頭で聴いているぶんにはイヤではなかったんです。
 爽快なギター・ポップで、メロディーも耳に馴染みやすい。あれはクラウドベリー・ジャムだったか、『雰囲気づくり』というタイトルのアルバムがありまして、なるほどなあと納得したものです。そういうポップ・ソングが好まれるのは理解できたし、日曜の朝に部屋で聴いたら心地よい風を運んでくる効果はありそうでした。
 ただ、全般的にスウィートというより甘えと受け止めてしまう部分もあって、そのへんが個人的には愛聴するまでには行きませんでした。ちょっとミルク過多ではないかとも思ったり。

 そんな中でカーディガンズは別格というか、さすが多くの国で人気を博すだけの魅力はわかりました。ヒットした曲はCarnivalもLovefoolも好きな部類ではありました。
 また彼らの音楽は、右肩上がりで儲かっていたCDショップ業界を賑わせました。Youtubeもサブスクもなかった頃、倒産などの暗いニュースが増えても安泰していたCDショップ。不景気が今ほど若者の生活を直撃せず、まだいくぶん気楽でいられた頃です。Lovefoolのキュートな曲調なんか、そういう空気に合っていました。
 カラオケが若者の遊びとして定着したことと、渋谷系の音楽がプッシュされていたことの、ちょうど中間あたりのウケかた。カーディガンズはそんな記憶ゾーンを呼び覚まします。

 今回久しぶりに聴き返すあいだ、私はリリース時に本作に覚えた感想を辿っていました。
 バンドの新境地。レディオヘッドやトリッキー、ポーティスヘッドらのサウンドへの接近。非英米のバンドとして成功を収め、ワールド・ツアーにも出て、その後で新しい方向性を模索したアルバム。
 ひとつのバンドの転機という意味では腑に落ちる点が多々あったものの、当時の私にはカーディガンズがアーティスティックな評価を得ようと躍起になっている感が強くて、そのわりには決定的な閃きに欠けると思いました。シングル曲のMy Favorite Gameにしても、頑張って不機嫌さをアピールしているようで、どうもノレなかったのです。
 レディオヘッドの『OKコンピューター』を私は好きになれなかったのだけど、あれは内発的な変化と展開に説得力があり、作品の充実度にも有無を言わさぬものがありました。いっぽうでカーディガンズの変化はレディオヘッド症候群だとしか捉えられず、私はそうしたフォロワーを『OKコンピューター』以上に嫌っていたものですから、『グラン・トゥーリスモ』もちゃんと向き合う気になれませんでした。

 ところが26年後の今聴いてみると、ここでのカーディガンズの変化を内発的な志だと昔よりも感じたし、この模索にも彼ららしいチャーミングなタッチがあるように思えてきました。
 この場合の「チャーミング」とは何かというと、万人の心をくすぐる人なつっこい隙みたいな感覚です。たとえばNENAの「ロック・バルーンは99」やa~haのTake On Meでもいいし、坂本九の「上を向いて歩こう」でもいい。今あげたのは非英米発の世界的なヒット・ソングですが、どれもポップスとしての出来の良さがあるだけでなく、人を油断させて口ずさまさせるチャーミングな隙を湛えています。
 1990年代のスウェディッシュ・ポップには、趣味性とキュートネスが結びついた(今で言う)”映え”の感覚があったと思うのですが、国境を超えて伝わるチャーミングな隙に恵まれていたのがカーディガンズです。

 それは『グラン・トゥーリスモ』でも失われていないし、時にはポップな温もりとなって、新機軸のフォーマットに人肌感を与えています。ミディアム・テンポの曲が多く、シンガロングさせるよりも耳を傾けさせるアルバムですが、内向的な閉じこもった印象は残しません。
 まあ、Explodeという曲のメロディーなどは、あからさまにレディオヘッド調のメランコリーに覆われているけれど、子守歌のような安らぎもあって、心地よく身を任せて聴いていられます。これもカーディガンズのチャーミングな隙から来ているのではないしょうか。
 プロデューサーはトーレ・ヨハンソンで、時期的にハード・ディスク・レコーディングが採用されているはずです。が、どこか丸っこくアナログな音も鳴っています。これが妙味と呼べるほどの効果をあげているわけではないし、そこがリリース時の私には不徹底だと言いたくなったのですが、今聴いてみると変化の中にバランスが保たれていて悪くありません。人なつっこさが常にエッジを包むように作られており、メランコリックであっても和ませるのです。

 最後に、私が名前をなかなか思い出せなかったニーナのことを。
 カーディガンズの看板シンガーであり、バンドのキュートでポップなイメージを背負っている人です。たしかに声自体に愛嬌のあるシンガーだけれど、彼女の歌にはロック的な芯が通っているんですね。べつにヤサグレてはいないんですが、可愛い曲を歌っても前進力をしっかりと持っています。それは牽引力と言ってもいいです。
 この『グラン・トゥーリスモ』でそれがアクティヴに発揮される機会は少ないとはいえ、やはりアルバム全編にわたって、彼女のヴォーカルの愛嬌と前進力が抑制を利かせつつも華をもたらしています。
 アップテンポのMy Favorite Gameはシングル用にレーベルから求められたのかもしれませんが、「わたしは機嫌が悪いのよっ」という雰囲気をアルバムの終盤近くで具体的な形で表す構成はいいです。ただし、そこからラストに向かう数曲は、そこまでと比較して詰めが甘い。この弱さがなければ、満足度も90%に達したことでしょう。リリース時の私もそうだったような気がします。