ジャケイズム~ジャケ買い随想:カルトーラ『愛するマンゲイラ』(1977) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

ジャケイズム~ジャケ買い随想:
Cartola/ Verde Que Te Quero Rosa (1977)


 有名・無名にかかわらず、ジャケットに惹かれて買ったり借りたりしたLPやCDのことを振り返る「ジャケイズム~ジャケ買い随想」のコーナーです。
 今回はジャケ買いではなく、LPの「ジャケ借り」に相当するエピソードですが、レンタル・レコード店や知人から借りた盤ではありません。喫茶店に置いてあったLPです。もちろん、お願いして貸してもらったレコードで、ちゃんとお礼を述べて返しました。
 カルトーラの『愛するマンゲイラ』という邦題がついた1977年のアルバムです。ブラジル音楽に詳しい人なら言わずもがなの名盤。しかしこのレコードを借りた1990年代の初頭(1991年だったかな?)に、当時23歳くらいだった私はカルトーラの名前を知りませんでした。本格的なサンバのレコードを聴いたのは、これが最初だったはずです。

 お店は京都の今出川通りにあった、ほんやら洞。1972年に岡林信康らの協賛のもとにオープンした喫茶店で、関西フォークにとどまらず、幅広いジャンルの文化人や地元の人々に愛された老舗でしたが、2015年に火事で閉店しました。東京の国分寺にも店があって、そちらは中山ラビが経営し、彼女が惜しくも死去した後は息子さんが受け継いでいるようです。
 京都のほんやら洞があった場所から東へ少し行けば、村八分のライヴ・アルバムでもおなじみの京大西部講堂があり、西へ行けば裸のラリーズが結成された同志社大学があります。こう書くと気の流れに凶相が出てそうなエリアに聞こえるかもしれませんが、近隣には風水を考えて建てられた京都御所の敷地が広がっているので、そんなことはないのでしょう。
 ただ、二つの大学に挟まれていることから、繁華街とも異なる自由な空気の漂うエリアではあります。地元の中高年層と、若者たちと、御所を訪れる観光客が自然にすれ違い、すぐそばに鴨川が流れていて、天気がよければ川岸で遊ぶ家族連れの姿も見られる、なかなか魅力のある一帯です。

 私の家は遥か南の宇治だったので、ほんやら洞のあった地域にしょっちゅう来ていたわけではありません。京大周辺にあった中古レコード屋のジョーズ・ガレージ(その後、別の場所に移転)に行った際に、ついでにリンゴという名のビートルズ喫茶に寄るか、ほんやら洞でお茶をしてから電車を乗り継いで帰る──乗り継ぐくらいなので、けっこう遠かったのです。
 じつはその店と関西フォークとの接点も知りませんでした。壁に演劇や映画やライヴのフライヤーがいつも貼ってあったから、カルチャーの匂いが漂っているなと感じてはいたものの、とんがったり気負ったりした雰囲気はなかったんです。まあ、時代がすでに1970年代ではなかったのも影響していたのでしょうが、私のような者には寛いで過ごせる喫茶店でした。

 店の2階はイベント・スペースのようにして使われていました。そこではライヴもあったのだけど、たぶん私はあまり行かなかったのでしょう、うっすらとした記憶しかありません。唯一、東北民謡の会を聴きに行ったのはハッキリとおぼえています。いろんな文化圏の歌のコブシに興味を持っていた頃でした。
 その2階にレコードが置いてあるのを目にしたのは、それよりも前だったと思います。私がイギリスのマッドチェスターやアメリカのグランジ(この言葉は普及しておらず、「殺伐ロック」と呼ばれていましたが)に夢中だった時期です。

 置いてあったレコードが売り物ではなく、お店の所有物だということは一目で察しました。かといって頻繁に店内で流しているふうでもなくて、昔はそういう出番もあった、という感じでした。

 私はレコードに触れるのが好きだったので、ザッと目を走らせて、(渋い趣味だな・・・)と感心しました。と、その中にあって、ひときわ目を惹いたのがカルトーラの『愛するマンゲイラ』だったんです。

 ブラジルで1977年にリリースされたそうですが、私が借りたレコードは1982年に日本で発売された盤。『愛するマンゲイラ』の邦題とカルトーラの名前が初めて目に飛び込んできたのですから、日本盤の帯が付いていたと考えるのが妥当です。でも帯の記憶が曖昧になるほど、視線が吸い寄せられたのはジャケットの写真でした。
 肌の色の濃い、貫禄ある顔つきの爺さんがエスプレッソ・カップに口をつけています。目にはサングラス、カップのハンドルを摘まんだ手にはタバコ。カップは緑色、ソーサーは薄いピンクです。
 いかつい風貌で、なにやら色にこだわりを持った爺さん。生きざまが顔に刻まれているとは、こういう人のことです。
 オレには勝てない・・・23歳の私は素直に認めました。私はフニャフニャした若者でしたので、こんな顔の年寄りを見ると腰がひけてしまい、同時に微量の憧れもおぼえました。

 そのレコードにどんな音楽が入っているのか、急に知りたくなりました。きっとボソボソと呟くようなダミ声の歌で、アコースティック・ギターをつま弾きながらのソロなんだろう。自分みたいな青二才にはハードルが高いかも。だとしたら、よけいに「勝てない」思いを味わってみたい。
 それで一旦レコードを戻し、1階に下りて店の人に尋ねました。「すみません、2階にあるレコードって、お借りすることはできませんか?」。ダメもとで訊いたのです。
 「どのレコード?」と、フレンドリーな軽さの中に京都人らしい含みの感じられる言葉が返ってきました。この種の軽みに対しては、あくまで丁重にお願いせねばならない、と即座に判断しました。「カルトーラです。どんな音楽なのか、聴いてみたくて・・・」。するとお店の人は、「カルトーラね。いいですよ」。そう答える表情に特別な愛想はなかったのですが、客とはいえ、見ず知らずの相手にレコードを貸すのだから当然です。
 安心した私はメモに自分の名前と住所と電話番号を書いて、「1週間お借りしてもいいですか?」と、なおも低姿勢で尋ねました。そのメモは受け取ってもらったのでしょうが、ほんやら洞の空気の記憶としては不要だと受け取られなかった気もします。

 家に帰って、盤に針を載せて待っていると、流れてきたのは極上の音楽でした。

 想像していた渋みもあったけれど、枯れてはいない。それどころか落ち着いたロマンティシズムで潤っています。衒いなく伸びる歌声は老人よりも中年のビターな甘みを思わせました。

 食べることや愛すること、そして歌ったり踊ったりすることへの、人間くさい望みがレコードからナチュラルに溢れ出るかのよう。それが日々の泡となって虚しく消えるのではなく、生活感を伴う含蓄と、ユーモアと活力と色香のあるリズムのバウンドで、路上に広がって人と人を結ぶ。したたかで逞しく、なにより美しい音楽だと魅了されました。

 これ本当にサンバなの?と戸惑ったことも正直に書いておきましょう。当時の私がイメージしていたサンバは、もっとアッパーに狂おしく乱れるカーニヴァルだったので、優雅にさえ聞こえる『愛するマンゲイラ』のテンポと美しいメロディーは意外でした。

 だけど先入観が崩されて別の形を与えられる気持ちよさってあります。「あれ?」が「なるほど、そうか」に変わり、「おお、これはいいね!」へと進んでいく楽しさです。私にはそういうレコードでした。

 ブラジル音楽に関しては解説できるほど詳しくないのですが、邦題にあるマンゲイラとはサンバのエスコーラ(チーム、コミュニティ)の名前で、カルトーラがその創設者の一人だったようです。ジャケットに映るエスプレッソ・カップの緑とソーサーのピンクも、マンゲイラのエスコーラ・カラーなのだとか。原題にもverde(緑)とrosaの言葉が織り込まれていて、このタイトルはロルカの詩の一節(「緑よ、わが愛する緑よ」)から来ているようです。

 カルトーラはずっとサンバの世界を支えてきた人でしたが、最初のレコードを発表したのは1974年で、1908年生まれの彼は60代の後半でした。『愛するマンゲイラ』は、さらに3年後のアルバムです。そして1980年に亡くなり、この日本盤がリリースされたのは1982年です。

 日本人の感覚だと苦節何十年と捉えられるし、実際に不遇な面もあったのだろうけど、『愛するマンゲイラ』はそれを踏まえてもなお、熟成した美味さが心をとろかす幸福感で聴く者を包み込みます。カルトーラは妻とレストランを経営していたそうで、私はこのアルバムを、美味い料理を振る舞う店を訪れるようにして楽しんできました。

 そんなレコードの存在をそれまで知らなかったわけですが、考えてみれば、ほんやら洞だって名店だと知らずに立ち寄って寛いでいたのです。

 あの2階で『愛するマンゲイラ』のジャケットを目にした時、何か呼び寄せるものがあった気がしてきます。まるでそこにカルトーラが座っていて、エスプレッソを飲んでる姿が視界に入ったかのように。まったくのコジツケだけど、ほんやら洞の思い出として私には意味があるのです。

 レコードを返しに行ったのは数日後で、約束した1週間より早かったと思います。その際も特に会話はなく、「ありがとうございました。すごく良かったです」のお礼に対しても、「ああ、はいはい」とレコードを受け取ってもらっただけでした。それも当たり前のことであって、私にはそのアッサリとした感じが心地よく、いつもと変わらない気持ちで席に着きました。いや、カルトーラの音楽がまだ頭の中で流れていたかもしれません。