グラウンド・ビートとマッドチェスター<前編>:SOUL II SOUL (1989) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ストーン・ローゼズの初来日ツアーを1989年の10月25日に大阪で観たとき、客入れのBGMがヒップホップとハウスだったことは以前こちらの記事にも書きました。そこでも述べているように、当時ロックのライヴ会場でそんな音楽が流れているなんて珍しいことでした。
 それから1か月もたたない11月13日にイギリスで発売されたのが、Fool's GoldとWhat The World Is Waiting Forをカップリングしたローゼズのニューシングル。日本ではそれに4曲を足したミニ・アルバムが11月28日に出ました。


 ローゼズのファースト・アルバムに夢中になっていた私がすぐに好きになったのは、ブリティッシュなメロディーとギターのドライヴが好調なWhat The World Is Waiting Forのほうでした。ダンサブルなビートが強調されていたFool's Goldには最初ちょっとした戸惑いをおぼえたんです。

 ライナー・ノーツには「クールなファンク」といったことが書かれてありました。でも、もしその曲が1年後の1990年に発表されていたら、それは”グラウンド・ビートっぽい”と形容されていたのではないでしょうか。


 今回と次回の2回にわたって、グラウンド・ビートを特集します。

 今回はこの音楽スタイルの代表的なグループだったSOUL II SOUL(以下、S2Sと略します)のファースト・アルバム『CLUB CLASSICS:VOL. ONE』(邦題は『キープ・オン・ムービン』)、そしてほかのクラブ・ヒットについて。次回は、ストーン・ローゼズが牽引した90年代初頭のマッドチェスターのバンドについて。
 今年、S2Sのデビュー・アルバムから30周年を記念してのイベントなどが行われているにもかかわらず、日本ではあまり盛り上がっていません。ローゼズはともかく、雨後の筍のように登場した当時のイギリスのバンドのこともすっかり忘れ去られているようです。ましてや、この2つのトピックに共通するグラウンド・ビートとなると、ロック史のページでは扱われないのかもしれません。
 しかし、当時21歳から22歳でこの音楽にハマった私にとっては青春のグルーヴでありました。愛着もひとしお持っています。いつか再評価される日が来ることを願って、2回ぶんの記事を書いていきます。なお、私はダンス・ミュージックを専門に音楽を聴いてきた人間ではないので、誤解や間違いもあるかと思いますが、お手柔らかにお願いいたします。

 まず、この名称”グラウンド・ビート”。

 これが日本独特のネーミングであることを知ったのは、じつを言うとここ数年の話です。てっきりイギリス人が名づけたのだと思いこんでいましたが、”ギター・ポップ”や”ネオアコ(ースティック)”と同じ日本発祥の呼び名なんです。プログラミングでS2Sの音作りに多大な貢献をはたした屋敷豪太さんも、「Riddim ONLINE」のインタビュー(こちら)で「日本ではグラウンド・ビートとか言われちゃって」と語っています。
 では、もともと何と呼ばれていたのか。89年9月、イギリスに5か月遅れて日本でリリースされたS2Sのファースト・アルバムのライナー・ノーツを読み返してみました。そこではS2Sの音楽や彼らを中心としたファッションは「総称して”ファンキー・ドレッド”と呼ばれる」と解説してあります。これはリーダーのジャジー・Bの特徴的な髪型に由来するのでしょうし、彼自身もそう呼ばれていたようです。

 また、ファースト・アルバムに収録されているJazzie's Grooveには"Through our style people just came to
recognize us as the funky dreads"(俺たちのやり方を知った人たちが、俺たちをファンキー・ドレッドと呼ぶようになったんだ)というリリックがあります。

 私が彼らのセカンド・シングルBack To Lifeのビデオを初めて見たのは89年の夏ごろで、たしかにファンキーだし、ジャジー・Bやヴォーカルのキャロン・ウィーラーのドレッドも印象に残りました。”クラブ・ミュージック”(ロック・ファンでこの言葉を日常的に使っていた人はほとんどいませんでした)なんて括りも頭になかった私は、その音楽を漠然と”オシャレな打ち込みブラック・ミュージック”だと思いました。

 安物のテレビで見ていたので低音が弱く、レゲエとの繋がりはさほど感じませんでしたが、跳ねるリズムは好物なのでけっこう気に入ったと言えます。でも、そのときはファンキー・ドレッドなる呼称は知らなかったし、このグループの音をどう呼ぶかも気になりませんでした。

 それが1990年の春、勤め先の輸入盤店で知り合ったクラブDJにアシッド・ハウスについて質問したとき、「SOUL II SOULはグラウンド・ビートと言って、アシッド・ハウスとは別物なんだよ」という説明を受けたのをおぼえています。

 つまり、S2Sのデビューから約1年のあいだに、日本で誰かがグラウンド・ビートという言葉を思いついて、ネットもなかった頃なのにそれがDJのあいだで定着していったことになります。そして、あの地面を這うようなベースの動きとその呼称がすんなりと結びついて、日本ではS2S発のダンス・ミュージックのスタイルをグラウンド・ビートと呼んで疑わなくなりました。

 だから、たとえば「”ギター・ポップ”?ビートルズもそうじゃないか」と言われれば、まあそれなりに譲歩するけれど、「”グラウンド・ビート”?なんだそりゃ?”ファンキー・ドレッド”だよ」とイギリス人に訂正されようものなら、困るんです。あの音の響きはどう考えても”グラウンド・ビート”以外ありえない。
 
 じゃあ、どういう響きだったのか。
 それに答えるにはS2Sの最初の2枚を、できるだけ大きな音で、それもヘッドフォンではなく全身で浴びるように聴いていただくのが一番ですが、私なりに拙いながらも文章で表すと、こうなります。
 レア・グルーヴふうのシンコペーションや跳ねの利いたリズムを、クローズド・ハイハットの16分音符を強調した打ち込みやドラムのサンプリング・ループで人工的に作り出し、そこにキーボードやストリングスを瀟洒かつリズミックに纏わせて、ヘヴィなベース・ラインのシンプルな繰り返しと合わせることで醸し出される、沈みこむような酩酊感のある響き。この記述にはヒップホップ、ソウル、レゲエ~ダブの特徴が当てはまり、ハイブリッドなダンス・ミュージックとしてのグラウンド・ビートの姿も見えてくるかと思います。
 私がS2Sに魅了されたのもその酩酊感でした。アシッド感と言い換えてもよいかもしれません。とくにネリー・フーパーと屋敷豪太のプログラミングが冴えわたるHappiness(Dub)の気持ちよさは筆舌に尽くしがたいものがあって、タンバリンを混じえたパーカッション音とレゲエっぽいベース、それに鍵盤の跳ねが絡み合って、ダブ処理されたスネアの音が飛び交ったりするサウンド・スペースは沈潜する悦楽を招いてやみませんでした。

 先述したBack To Lifeのアルバム・ヴァージョンはアカペラ主体のもので、シングルのBack To Life (However Do You Want Me)をお薦めしたいところです。アルバム・ヴァージョンだと、この曲を貫くグラウンド・ビートの気持ちよさが半減してしまいます。
 このシングルはアルバムがリリースされた後で作り直されたもので、一般的にはBack To Lifeと言えばシングルのほう。キャロン・ウィーラーの歌いっぷり、レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラによるストリングスの刻み、低く這うようなベースの動き、グレアム・セントラル・ステイションのThe Jamからのブレイク・ビーツと、これぞグラウンド・ビートと呼べるプロダクションが輝いています。
 キャロン・ウィーラーのヴォーカルはアメリカのソウル・ミュージックの影響を受けながらも、どこかヨーロピアンに洗練された甘美な陰翳を感じさせます。彼女はこれで名を挙げ、1990年に『UK BLAK』という傑作で当時のクラブ・シーンを席巻することになります。
 また、冒頭に置かれたKeep On Movin'もBack To Lifeと人気を二分するS2Sの代表曲で、ネリー・フーパーと屋敷豪太のプログラミングが妖しい光沢をもたらしています。こちらは空間的な余裕を大きく取ってあり、打ち込みのハイハットとスネアとの間に細かいズレが設けてあるようで、その意図的にモタった間合いは遠くスライ&ザ・ファミリーストーンの『フレッシュ』あたりを彷彿とさせます。

 African Danceと名づけられた6分のインストゥルメンタルにはフルートが全面的にフィーチャーされています。このフルートも、アシッド・ジャズを含めて90年前後のイギリスのクラブ・ミュージックを彩った楽器でした。
 ジャジー・Bがモッサリとした歌を披露するHoldin' OnにもスライのFamily Affairへのオマージュとおぼしき打ち込みがあって、南アフリカのズールー音楽のシキシャがバック・コーラスで参加して肉感的なエレガンスを加味しています。そしてここでもストリングスが大活躍。
 Jazzie's Grooveではニューヨークのファンク・バンド、ハニー・ドリッパーズのImpeach The Presidentのドラムが使われていますが、これは当時ホントによく耳にしたブレイク・ビーツでした。私にとってのハニー・ドリッパーズというとロバート・プラントが参加したバンドのことなのですが、知り合いのDJにとってはこっちだったんです。それで話が噛み合わないことがあったのも今となっては笑い話です。ベースはジェイムズ・ブラウン関連のボウ・ダラーのWho Knowsからサンプリングされていて、これもDJたちがアナログ盤を血眼になって探していました。

 JBもグラウンド・ビートに影響を与えた超重要人物で、ジャジー・Bは名前からしてかなりのリスペクトを持っているのでしょうが、ここではもう一人の偉大なミスター・ブラウンにご登場願います。
 チャック・ブラウンはワシントンDC産の”ゴー・ゴー”の生みの親としてファンクの歴史に名を残すミュージシャンで、私は80年代にトラブル・ファンク経由でその存在を知りました。JBほどではなくとも、彼の音楽もヒップホップの多くに用いられてきました。
 いわゆる”ゴールデンエイジ・ヒップホップ”の担い手であるエリックB&ラキムも、デビュー・アルバム『ペイド・イン・フル』のタイトル曲でチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズのAshley's Roachclipからドラムをサンプリングしています。ジャジー・Bはそのブレイク・ビーツにインスパイアされたそうです。それだけには留まらないのでしょうが、グラウンド・ビートのグルーヴの源にエリックB&ラキムがいるのは間違いなく、彼らの名は次回のローゼズ症候群の記事にも出てきます。

 セカンド・アルバムの『VOL.2 1990-A NEW DECADE』(邦題は『ニュー・ディケイド・ライフ』)では、グラウンド・ビートのリズム・パターンをファースト・アルバム以上に堪能できます。
 パターンが定まったことでマンネリズムに一歩近づいた感がなくもありません。リリース時には私もファーストの鮮烈さを水増ししたような印象を受けたりしました。
 でも、曲はセカンドのほうが練れているし、件のリズム・パターンとソングライティングがより自然に調和しています。ファーストではグラウンド・ビートをポップ・カルチャーの一つのムーヴメントとして総合的に楽しめて、セカンドではファーストで生み出されたアイデアを曲として存分に味わえる、といったところでしょうか。パワーダウンはしていないし、グラウンド・ビートの魅力に取りつかれた耳を一定の様式でもてなしてくれる度合いはセカンドのほうが高い。どちらかというと、私はセカンドが好きです。

 ストーン・ローゼズがFool's Goldを作るにあたって、直接的にS2Sのグラウンド・ビートを模したのかどうか、私には断言できません。
 Fool's Goldがレコーディングされたのは1989年の夏で、まさにS2Sのアルバムがイギリスのチャートを上がっているタイミングでした。ローゼズのメンバーは4人ともクラブ系のダンス・ミュージックが大好きです。当然、S2Sは耳にしていたに決まっていますし、最低でも好感を持っていたでしょう。けれども、次回の記事で解説を試みるつもりですが、Fool's Goldを支えているのは主にJBのグルーヴだったのです。
 そうであるとしても、この2組の音は接近していました。ここがクリエイティヴな現場の面白いところで、”時代の兆し”とでも言うのでしょうか、とくに意識して寄せたのではないのに、近いものが同時発生的に生み出されることがあります。ロックでもそういう共振は頻繁に起こってきました。
 89年のローゼズはインディ・ロックの期待の新人だったし、実際にファースト・アルバムはそういう流れで支持されていました。けれど、90年代を目前にしたイギリスのインディ・ロックの期待の星であるには、ロック・シーンとクラブ・シーンの垣根を、”さも当然であるかのごとく”超えていく姿勢が不可欠だったのだと思います。そして、ストーン・ローゼズはそういうバンドでした。

 S2Sのセカンド・アルバムがイギリスでリリースされたのは1990年の5月21日でした。

 その約1週間後にあたる5月27日には、ストーン・ローゼズがスパイク・アイランドで2万人以上を集めた野外ライヴを成功させています。その後、ローゼズはダンサブルなビートの上にブリティッシュ・ギター・サウンドを強めたシングルOne Loveを6月にリリースします。ここが彼らが巻き起こした”マッドチェスター”ブームのピークとなり、その野外ライヴ~シングルを境にブームはゆっくりと後半に向かっていきます。
 ダンス・ミュージックの流行はあっという間に移っていきます。それはロック以上のシビアさです。この記事の締め括りに当時シーンを賑わせたグラウンド・ビートのクラブ・ヒットを紹介しますが、たとえばチャイムスがU2の曲をカヴァーしたシングルは1990年の前半にリリースされました。前年にイギリスのみならず世界中を沸かせたS2Sも、この頃になると早くも追いつかれた面があって、それがセカンド・アルバムをファーストの二番煎じに思わせたのかもしれません。

 では、この<前編>の最後に、グラウンド・ビートの代表的なヒット曲をざっと振り返りましょう。

 

Beats International/ Dub Be Good To Me (1990 single)
 

 クラッシュのThe Guns Of BrixtonのヘヴィなベースとS.O.SバンドのJust Be Good To Meをグラウンド・ビートを媒介にミックスした曲です。90年の初頭にこれを聴いたときは、クラッシュがクラブ・サウンドに使われたことに衝撃を受けました。クラッシュって、そうか、そういう音楽でもあったんだなと認識を新たにしたものです。それがロックではなくダンス・ミュージックの文脈で提示されたことも私にはショックでした。元ハウス・マーティンズにして、後のファットボーイ・スリム、ノーマン・クックのグループです。

The Chimes/ I Still Haven't Found What I'm Looking For (1990 single)

 U2の名曲をグラウンド・ビートでカヴァーしたシングルです。ロックの曲のカヴァーが多かったのもグラウンド・ビートの特徴で、ロック・バンドによるグラウンド・ビートではそれが顕著でした(次回をお楽しみに!)。U2のオリジナルがゴスペル・フィーリングを含んでいたこともあって、こういうヴォーカルが合いますし、ボノもこのヴァージョンを気に入っていたようです。

The Chimes/ True Love (1990 single)

 もうひとつチャイムスを。これ好きだった!いや~、良かったよなぁ、チャイムスって。ストリングスもフルートも入っていて、リズム・パターンもグラウンド・ビートが花咲いています。


Innocence/ Natural Thing (1990 single)

 まんまS2Sフォロワーなリズム・トラックに、アンビエントな装いを施して、ヴォーカルにもしっとりした潤いがあります。これも12インチが売れました。このヴァージョンでは6分前後からピンク・フロイドのShine On You, Crazy Diamondが使われています。こういうのがロック・ファンの私を素朴に喜ばせたし、DJくんたちに教えてあげることで変な優越感が満たされました。


Lisa Stansfield/ All Around The World (1989 single)

 こちらはS2Sのファーストに近い1989年産だし、音もセカンドよりファースト寄りです。でも、これはグラウンド・ビート云々というより、この時期のイギリスのポップが生んだ秀作の一つです。アルバムも素晴らしかったですね。


Mica Paris/ If I Love U 2 Nite (1991 single)

 UKソウルの歌姫、ミーシャ・パリス。タイトルを見ればわかるように、これはプリンスからの提供曲です。プロデューサーはS2Sのネリー・フーパー。彼はこの頃マッシヴ・アタックのファースト・アルバムを作っていたのでしょうか。


Mica Paris/ Contribution (1991 single)


 こちらはさらにダイレクトにグラウンド・ビートです。そしてラップでフィーチャーされているのが、ラキム兄ぃなんです!

 


坂本龍一/ Merry Christmas, Mr.Lawrence(1991 single)

 「戦メリ」を教授自身がグラウンド・ビートにミックスしたのだそうです。アルバム『ハートビート』の頃ですね。しかし、う~~ん、荒ワザという言葉しか思いつかない。

Betty Boo/ Let Me Take You There (1992 single)

 このベティ・ブーは再評価されてほしいシンガー=ソングライターですね。「イギリスのディー・ライト」と呼びたくなる音楽をやっていましたが、活動は彼女のほうが早かったのでは。この曲はものすごくチャーミングなグラウンド・ビートなんですけど、1992年にはちょっと賞味期限を過ぎていたかも。GO-BANG'Sにも影響を与えましたね。

Enigma/ Sadness Part1 (1990 single)

 1990年の頭に突如としてグレゴリアン・チャントにスポットが当たったのは、このドイツのグループのおかげ。私はあまり好きじゃなかったけど、しっかりとグラウンド・ビートしてますね。

Maxi Priest/ Close To You (1990 single)

 ブリティッシュ・レゲエのスターがグラウンド・ビート化して飛ばしたヒット曲です。ベースの太さがさすがと言いますか、非常に色気のある音であり歌です。アルバムも売れましたねぇ。グラウンド・ビートとレゲエの関りが今ひとつ見えない人は、これと先述のDub Be Good To Meを聴いてみればいかがでしょう。

Aswad/ Next To You (1990 single)

 こちらはブリティッシュ・レゲエのベテラン・バンド。だから、グラウンド・ビートには当時の日本のリスナーには想像できなかったくらいにこういう人たちの要素が入っているんですね。

 というわけで、次週はグラウンド・ビートがストーン・ローゼズや後続のバンドにどう波及していったのかを紐解きます。

 あ、今回と次回の記事のカテゴリーは、内容は1990年や1991年がメインだけれども、便宜上「1989年」のタグをつけておきますね。発火点であるS2SやFool's Goldがその年の作品なので。
 それと、やっぱり”ファンキー・ドレッド”ではしっくりこないのですが、書いているうちに段々と”グラウンド・ビート”も大概かなと思えてきました。
 けれど、”ファンキー・ドレッド”だと「見たまんまやんけ!」との気持ちは拭えません。ヴィジュアル系を当初”お化粧・髪立て系”と呼んでいたような、身も蓋もなさを感じてしまいます。

 よって、仮に”グラウンド・ビート”が国連で正式に否決された場合、私は椅子を蹴って退場するつもりです・・・。
 でもなぁ、”アシッド・ジャズ”みたいにヒネられても、それはそれで悩むんだよな。

 では来週、ベティ・ブーじゃないけどLet me take you there!(後編へ続く)