Bob Dylan/ Down In The Groove (1988) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ボブ・ディランほどの大物ともなれば、新譜が発売される何か月も前からメディアに告知がうたれたり、レコーディングが始まった段階でニュースになるのが普通です。けれど、1988年にこの『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』が出たことを知ったのは、ツタヤの店頭に置いてあるのを見かけたのが最初でした(当時はまだ洋楽の新譜が発売日にレンタル屋に並んでいました)。
 
 私はディランを聴き狂っている大学生でした。キャンパスのある金閣寺方面よりも三条河原町の中古レコード屋に足しげく通い、『地下室』だの『激しい雨』だののレコードを買い集め、70年代までのものをある程度手に入れ終わった頃でもあります。かまやつひろしの曲名にあるように、日々ふと気がつくと「ボブ・ディランはいま何を考えているか」に思いをめぐらせていたし、女の子なんかよりもディランのほうがずっと好きでした。
 
 そんな私が、ツタヤの店頭ではじめてディランの新譜が出ていることを知るなんて。いっさいのプロモーションを目にしたことがありませんでした。
 ベスト盤なのかと思ってCDを手にとってみると、どうもそうではない。黒い背景に薄ぼんやり浮かび上がる姿のジャケットは、センスがいいんだか悪いんだか決めかねる、なんともパッとしないもの。1枚しか入荷していなかったそのアルバムは、洋楽CDの新譜棚のなかでほとんど埋もれかかっていました。
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 裏ジャケットには、夜の街はずれに設えた猫の額ほどの簡素なステージから、客席に向かってピックを投げるようなしぐさで写っています。その客席には最前列で耳を塞いで立っている黒人女性(キャロリン・デニス?マデリン・ケベック?)以外に誰もいません。自虐的なユーモアがこもっているようでもあるけれど、さて、それをどう受け止めたものか。とりあえず、聴いてみることにしたわけです。
 
 1985年の『ウィ・アー・ザ・ワールド』の映像を見ると「出演してくださるだけでありがたい」大物としての存在感を放っているのでわかりにくいのですが、80年代のボブ・ディランはキャリアの低迷期にありました。アルバムでいえば85年の『エンパイア・バーレスク』、86年の『ノックド・アウト・ローデッド』は、とくにそのなべ底にあたる時期で、私がディランの60~70年代作品をちゃんと聴きだしたのがこの頃でした。
 『ブロンド・オン・ブロンド』や『血の轍』など過去の名盤に感激するそばで耳にしたそれらのアルバムは、はっきり言ってキツかったです。現在の私はその時期のアルバムにも聴きどころを見出していますが、当時は80年代のサウンド・デザインにまったく乗れていない歌を聴いて、どんな若き天才も中年になるとこうなっちゃうんだな、と失望しました。
 
 『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』も、そのような低迷期のぬかるみから逃れられていない作品ではあります。しかし、底をついた後の黄昏が微かに新しい夜明けと重なりそうな兆しがあります。
 夜明けとは、翌年にリリースされた『オー、マーシー』。ディラン何度目かの黄金期に続く再スタートをきった傑作アルバムのことです。もちろん、私がその後の展開を知っている今だから言えることで、当時はそんなことを考えてもみませんでした。
 
 『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』はカヴァー曲を中心としたアルバムです。参加ミュージシャンにエリック・クラプトン、ロン・ウッド、ダニー・コーチマー、スティーヴ・ジョーダン、グレイトフル・デッド、マーク・ノップラー、スライ&ロビー、元クラッシュのポール・シムノン、元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズなど豪華な顔ぶれをうたっています。マーク・ノップラーとスライ&ロビーとくれば83年の『インフィデル』で、つまりあの作品からのアウトテイクなんかも混ざっているのです。
 また、ロン・ウッドとエリック・クラプトンの参加は86年ロンドンでのレコーディングで、これはディランが主演した映画Hearts Of Fireのサウンドトラックに提供したもの。そしてこの映画というのが凡作もいいところで、80年代のディランのイメージをさらに貶める役割しかありません。
 
 ほかの曲は87年のロサンジェルスでの録音で、こちらが『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』の基盤となっています。充実作とはいえ演奏も録音も異色の『インフィデル』からここにストックを回してくる必要はないでしょう。ところが皮肉なことに、そのDeath Is Not The Endが一番の好曲でして、ウォーターボーイズやニック・ケイヴなど他のミュージシャンにも取り上げられています。
 お蔵入りを免れたDeath Is Not The Endの出来が良いことで、肝心の『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』用セッション曲の意義が霞みがちなのは残念ですが、Death Is Not The Endの色合いはアルバム全体から浮いている様子はありません。むしろ、まとまりを欠く寄せ集めの端々からルーツ音楽のにおいを掬い上げて、おぼろげながらも方向性をつける小さめの燈台のような働きをしています。その灯光にひとつの道筋が見えると、このアルバムは意外な味わい深さを帯びてきます。
 
 多くの収録曲はセッションのノリを反映してラフな仕上がりで、かつ精彩とまではいかずとも手堅さのあるバッキングに支えられています。SilvioやSally Sue Brownなどのトラディショナルな表情を持つロックンロール、サウンドがブリティッシュに引き締まるHad A Dream About You, Babyと、いずれも大上段に振りかぶらない小気味良さが感じられて悪くはない。
 また、ディランのヴォーカルもおなじみの荒っぽさがあります。70年代に熟した彼のあの節まわしが、本作以降、徐々にひしゃげて変わっていったことを思うと、私などはこの歌いっぷりに愛着をおぼえたりします。
 
 それがもっともストレートに耳に飛び込んでくるのがトップに置かれたLet's Stick Togetherです。ウィルバート・ハリスンのこの曲は多くのカヴァーを生んでおり、私はブライアン・フェリーのヴァージョンで知りました。
 『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』でのディランの版は、ランディ・ジャクソンのベースとスティーヴ・ジョーダンのドラムスが叩きだすムダのないリズムに乗ったヴォーカルがリラックスしていて、しかもディランのしかめ面をも思い浮かべさせる、ちょっとイキな風情を湛えています。あと少しピリッとしたキレがあるのが理想的だけれど、アルバムの導入部としては良い塩梅です(元の曲の良さも大きいですが)。
 
 Down in the grooveという言葉は、日本語に訳さずそのブルース・フィーリングごと捉えたほうがいいと思います。
 私にとってこのアルバムは、グルーヴの中にダウンするほどのものではありません。けれど、なんやかんやで疲れた体にひと息つかせる古びた寝台かソファのように、当たり前すぎて常には気づかないような心地よい弾みで受け止めてくれます。このアルバムならではのDown in the grooveがちゃんとあるのです。それは、現在のディランの音楽に豊潤に満ち溢れるルーツ音楽のグルーヴとも無縁ではありません。ここで次の何かを掴みかけていた、と後づけするこじつけに価するんじゃないでしょうか。
 
 Silvioと同様にロバート・ハンターと共作したUgliest Girl In The Worldは、ディランがオリジナル曲でこんなことまで歌うのか!とビックリしたロックンロール・ナンバーでした。”世界一ブサイクな女の子”と題されたこの曲で、ディランは「大好きなんだ、愛しちゃったんだ、ぼくは世界一ブサイクな女の子に夢中なんだ」とじつに楽しそうに歌っています。
 私は『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』がけっこう好きかもしれません。アバタもエクボと言われればそれまでですが、裏ジャケットの写真にすら愛嬌をおぼえるときがあります。
 
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