奥田民生/ 29 (1995) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 2005年に公開された『リンダリンダリンダ』という日本映画があります。地方の高校に通う女の子バンドがペ・ドゥナ演じる韓国人留学生を誘って文化祭でブルーハーツの曲を演奏するまでを描いた、山下敦弘監督による青春映画の秀作です。
 この中で、彼女たちがなんの曲をコピーしようかと相談する場面があります。卒業した先輩たちが残したのでしょう、部室にはカセット・テープがたくさん置いてあり、そのひとつのラベルに”ユニコーン”と書かれてあるのを見た一人が「ユニコーンって、タミオ?」とつぶやくと、他の子が「そう、タミオ、タミオ」と肯く
 
 映画の時代設定は定かではないのですが、仮に2005年だとすると、当時の高校生にとって12年前の1993年に解散したユニコーンはすでに過去のバンドなのでしょう。
 でも、奥田民生のことは知っている。彼女たちが小学生の時分にPUFFYが大ヒットし、ソロとしても『HEY!HEY!HEY!』などの番組で見てきたはずなので、充分に現役のロック・ミュージシャンとして認識されているわけです。それが「ユニコーンって、タミオ?」のセリフに反映されているという、こういうちょっとした言葉にあらわれる実際性を取っても、この脚本家は信用できるなと映画に入り込めます。
 
 こうした世代にとっての奥田民生像は、テレビに出て、ダラダラとものぐさな佇まいで松ちゃんや浜ちゃんらとトークをしたりゲームに興じたかと思うと、ギターを手にやけに説得力のある太い歌をきかせる、周りから一目置かれていそうなミュージシャン、という印象から始まったんじゃないでしょうか。『服部』期のユニコーンでの、いかにも「バンドやろうぜ!」然とチャラチャラしたルックスを見て驚く人も多いようです。
 
 1995年に奥田民生がリリースした『29』は最初のソロ・アルバムです。タイトルはレコーディング時の94年に29歳だったことに因み、95年の後半には『30』というセカンド・アルバムも発表しています。
 ヒット・シングルの「愛のために」「息子」が収録されていることもあってか、『29』はミリオン・セラーに輝いたそうです。PUFFYはまだデビューしていませんでした。民生は自らのアーティスト・パワーでミリオンを勝ち得たと言っていいでしょう。
 それにしても、「愛のために」も「息子」も『29』も良い作品であるとはいえ、そこまでヒットしていたことには驚きます。「イージュー☆ライダー」や「さすらい」や「月を超えろ」はもっと先の話なのです。
 
 「J-POP」として括られる音楽カテゴリーがあって、それが最初の大きな盛り上がりをみせたのが、だいたいこのあたりでしょう。ここからTKブームがあり、ヴィジュアル系が次々とデビューし、DIVA系と称される女性歌手ブームがあり、宇多田ヒカルや椎名林檎が登場します。いま思えば、それらはCDの売り上げが真っ当だった時代の最期の輝きでもありました。
 その前段階を担っていた80年代バンド・ブームから渋谷系の流れが日本のポップ・ミュージックのメインストリームに根づいたのが95年ごろ。この年、小沢健二が紅白に初出場しています。
 元フリッパーズ・ギターの二人、草野マサムネ、桜井和寿、トータス松本、吉井和哉、宮本浩次といった、この時期に日本のメジャーなポップ・シーンを動かしていたキー・パーソンたちは1965年から1970年ごろの生まれです。1968生まれの私は、ついに自分と同世代が中心となったかと、嬉しいような眩しいような気持ちで彼らを見ていました。奥田民生もここに入ります。しかし、『29』の音は彼の同世代の華々しい活躍とは一線を画す「苦み」を帯びていました。
 
 アルバムはアコースティック・ギターのストロークが強調されたフォーキーな「674」(ムナシー)で、ひきずるように幕を開けます。奥田民生ならではのダルいユーモア感覚にくるまれているものの、歌詞と歌の表情には一種の諦念というか、あきらめを潜(くぐ)って辿りついた徒労感がにじみ出ています。
 ユニコーンのラスト・シングルは「すばらしい日々」でした。ある人間関係(恋愛でも結婚でも友情でも、バンドでもいい)が終わろうとしているときに、「君はぼくを忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける」と、終わりを受け入れて逆説的な希望を未来に見出す。
 これほどのケジメを楽曲でつけてもなお、くすぶるものがあったのでしょうか。CDを頭から聴くたびに、まずは耳に飛び込んでくるのが沈みゆく夕陽と「だらだらだらけのバカヤロウ」の虚しさ。これがこの『29』に他の奥田民生のアルバムとは異なる独特のパーソナルな趣きをもたらします。それが「くすみ」となって、良い具合に地味めな印象も受けます。
 
 だからこそ、その次に鳴り響く「ルート2」でのロックンロールに、ソロとしての奥田民生の始まりをはっきりと意識することができます。スティーヴ・ジョーダン、ワディ・ワクテル、バーニー・ウォレルら、キース・リチャーズのソロ・アルバムを支えた布陣が繰り出す演奏は苦みばしっていて、それに呼応する民生のヴォーカルも直線的に加速していきます。
 このメンツでのニューヨーク録音の曲は、ほかに「ハネムーン」「息子」「これは歌だ」「BEEF」「人間」とアルバムの半分を占めており、あの百戦錬磨のツワモノどもが見事に奥田民生の音楽を成していることに驚かされました。これらの曲のミキサーは、やはりキース・リチャーズのアルバムを担当したジョー・ブレイニーです。彼らを得ての「BEEF」では「外国産はひっこんでろ!」なんて歌詞があったりして、その諧謔をまじえたおかし味は奥田民生に撃つ用意が整ったことを感じさせてくれるものです。
 
 「息子」はとくに心に残る曲で、ジョージ・ハリスンの影響を全体にまぶし、ジョン・レノン的な「家庭人としての目の高さ」も一定の距離感で投影しながら、それを90年代日本にロックとして提示した秀逸なもの。
 幼い息子に歌いかける語り口を取り、それが終盤には自身へ、ひいては聴き手へのメッセージとしても広がってゆくところに、ソングライター奥田民生のスケールの深化があらわれています。正しいことを語るうえでの照れを挿みつつ、その照れがエンディングでゆっくりと厳しさの中に解放されていきます。
 
 また、もう半分の曲、「674」「愛する人よ」「女になりたい」「30才」「愛のために」「奥田民生愛のテーマ」は日本での録音曲で、こちらに織り込まれているのは、よりパーソナルで日常的な風景と心象です。
 とりわけフェンダー・ローズの沈み込む響きを効果的に用いた「30才」は、サウンドの余白に歌詞のノスタルジーと言外の思索を曖昧にこもらせています。これがニューヨークで録音されたスタックス・ソウル調の「人間」と、”故郷””過去”のイメージで結び合うあたりに、29歳の民生が国境を超えてもどこにも置いてくることのできなかった苦みを想像させます。
 
 このアルバムは最初に聴いたときから、日本と海外でそれぞれレコーディングされた曲の並びに違和感をおぼえる部分がありました。演奏のリズム感や空気感がガラリと変わるので、その都度気持ちを切り替える必要があったのです。1枚のアルバムとしてはそこがモタれるところで、構成という点でもバランスのいい曲の配し方ではないでしょう。
 ただその結果、奥田民生がユニコーンの仲間と別れて(川西幸一が参加した「愛のために」も収録されているのですが)、新たにソロ・キャリアを出発させた29歳の年輪はしっかりと生々しく刻みつけられています。それはアルバムをスムーズに聞かせること以上に大切なことだったのかもしれません。
 
 奥田民生が名実ともに「ユニコーンのタミオ」から脱したアルバムです。彼は自らの20代をここで乗りきったのだと思います。『リンダリンダリンダ』での「ユニコーンって、タミオ?」のセリフに、私はそのことを感じ入ります。
 
(過去記事:ユニコーン『服部』についてはこちら
 
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(2008年の『Fantastic OT9』。メロディーとギターとバンド・サウンドが爆発する超傑作アルバム。唖然とするほど素晴らしい。)
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(言わずと知れた奥田民生プロデュースのPUFFY『JET CD』。90年代後半のメインストリームの賑わいが生み落とした珠玉のポップ・ロック。ここに混ざっている井上陽水の存在も凄い。)
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(木村カエラが主演した2005年の映画。奥田民生の広島でのライヴが物語の軸になり、民生もライヴ・シーンで出演している。オフでのダラダラと飯を食う民生、合間にキャッチボールをする民生など、ファンにはたまらない姿も。)