皆さま、お早うございます。

旅するコピーライターのふじやんです。

2023年1月2日(月)〜4日(水)の

2泊3日の日程で那覇へ新春初旅に。

那覇は、昨年の11月以来です。

 

※文中の青い大文字は

詳細情報にリンクしています。

 

2023年1月3日(火) 那覇旅2日目。

 

沖縄名物のAランチを24時間営業の

いちぎん食堂で堪能した前回はこちら。

 

充実のランチ後、正月の那覇の街並みを

ぶらぶら散歩しながらホテルへ帰還。

しばし休憩してから、ゆいレールに乗って安里へ。

 

昨夏、悲しすぎる事件があった場所で、

手を合わせたかったから。

 

昨年の5月、名物の焼きてびちを食べた時は、

まさかその数ヶ月後に女将が不幸すぎる

不幸に見舞われるとは夢にも思わなかった。

 

シャッターが閉じたお店の建物を見上げ、

ご冥福をお祈りいたしました。

 

 

そして、その後、

夜はディープな飲屋街として有名になった、

栄町市場を彷徨っていたら、

思いもしなかった看板を見つけました。

 

財団法人沖縄県女師・一高女同窓会

ひめゆり同窓会館

 

沖縄県女師とは、沖縄師範学校女子部のこと

沖縄県一高女とは、沖縄県立第一高等女学校のこと

 

そう。

沖縄戦が生んだ悲惨な歴史の記憶、

「ひめゆり学徒隊」の女子高生たちの母校。

 

なんでこんなところに?

と、思ったら、

かつて校舎が、この地にあったんですね。

全く知らなかった。

 

今は、同窓会館も移転してるのだろうけど、

看板は、昔の名残でしょうね。

 

この写真は2019年10月9日に訪れた際、撮影したものです。

 

糸満市のひめゆり平和祈念資料館は、

2度訪れたことがあります。

 

戦況が絶望的になった1945(昭和20)年6月18日、

ひめゆり学徒隊に解散が命じられます。

その翌朝、この第三外科壕は黄燐手榴弾などの攻撃を受け、

壕内にいた96名のうち87名が死亡。

(学徒隊の教師5名・生徒46名を含む)

 

沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の

女子生徒及び職員総計240名

(生徒222名、職員18名)のうち、

生徒123名、職員13名が戦死するという悲劇。

 

戦史に詳しいつもりだったけど、

看護要員として従軍していた事実から、

いつのまにか、ひめゆり学徒隊は、

看護学校生たちだと勘違いしていました。

初めてこの地を訪れるまで。

 

確か関東からだったと思うけど、修学旅行生の団体。

令和の女子高生たちは、昭和の女子高生たちの悲劇を

どう受け止めたのだろうか。

 

勉学に秀でた普通の女の子たちが、

治療の際に手足の切断などあたりまえの

最前線の野戦病院へいきなり送り込まれ、

そして国に見捨てられた絶望的な解散命令・・・。

 

犠牲となったひめゆり学徒隊の安らかな眠りを祈りました。

 

中には、抜刀隊に参加して

米軍に突撃した女子高生もいました。

日本人は、永遠にこの事実を忘れてはいけない。

 

栄町市場での食事のことを

投稿しようと思ってましたが、

長くなったうえに

なんだか目から汁が大量に出てきて、

スクリーンがかすむので、次回へ。

 

沖縄編、続きます。

祈世界平和。