セクシー田中さん脚本家と私 | katoo the world

katoo the world

お笑い系デスメタルバンドFUJIYAMA、世界の大統領かとぅのブログ

https://twitter.com/katoo3000
https://www.facebook.com/fujiyama.metal/

昨年10月クールで放送されたドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)の原作者・芦原妃名子さん(享年50)が急逝したことを巡って、今も波紋が広がっている中、ドラマの脚本家を務めた相沢友子氏が沈黙を破った。

芦原さんが明かした“脚本トラブル”については《私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。そして今もなお混乱の中にいます》と説明。

今回の投稿ではそのことについて《SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています。もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです》と綴った。

「セクシー田中さん」問題が様々に波紋を生んでいる。

当事者が亡くなってしまった今、真相を辿る事は難しいが、原作者、ドラマ版脚本家のみならず、出版社、テレビ局を巻き込み、炎上が鎮火する様相には無い。

特に本件について、亡くなった芦原妃名子の同業である漫画家が厳しい声を挙げている。

フジテレビ「ワイドナショー」に出演した柴田亜美の「漫画家全員が今、動揺してます」、「我慢だけはしないでほしい」と言う涙ながらの訴えには、当事者だからこそ分かる苦悩が滲み出ていた。

その上で「ただ、お願いしたいのが、脚本家の方を責めるのはやめていただきたいです。周りがとやかく言うのは今控えましょう」と呼びかけたのには、非常に感じ入るモノが有った。

誰もが良い作品を作ろうと取り組んで来たドラマ版「セクシー田中さん」だった筈なのに、何故この様な結果となってしまったのか?

ボタンの掛け違えとしても、原作者の自死と言う余りに残念な結末を前に、誰もが茫然自失となった事だろう。

混乱する当事者がコメントを出せない中で、第三者が余りに身勝手に攻撃的なコメントを繰り返している。

特にドラマ脚本家に対して「この人殺し!」、「お前も死ね!」、「脚本家が何を偉そうにしているんだ!?」などの悪意に満ちたなコメントに晒されると言う、最悪の状況に陥っていた。

何故、脚本家が人殺しなのか?
何故、何も知らない第三者が、この様な卑劣なコメントを繰り返せるのか?
人間とは、こうも愚かな生き物なのか?

この様な混乱の最中に於いて、本件について私が私見を述べるのは避けようとも感じていた。
私の私見が、誰かを苦しませる様な事にならないかと危惧したのだ。

ただ、何の気無しに拝見していた「セクシー田中さん」だが、コレがジワジワと良いドラマだった。

現代社会で思い悩み、自分を擦り減らしながらも必死に生きる登場人物を、一人一人包み込み、須らく肯定して行くストーリー。

出会いや別れと言った派手な演出など無いが、生き辛い生き方に足掻く人々に「ソレでも、アナタはアナタで良いんだよ」と、優しくエールを送る。

かく言う私も人間関係は苦手だし、何て生きにくい奴なのかと、ホトホト自分が嫌になる夜も有る。

最近、深夜に独りシャワーを浴びていると、「何でこうなるんだよ?お前、最低だな?」と、自分への苦言が無意識に口に出る事もしばしばで、本気でちょっと休んだ方が良いかな…、とか思うのも事実。

だが、止まっている場合では無いし、清濁ひっくるめてヤルしかないし、その結果など死ぬ迄、いや死んでからも分からないだろう。

だから結果の云々などどうだって良く、ただ我々は生きて行くしか無い。

ドラマ「セクシー田中さん」が多くの視聴者の心を動かしたのは事実だし、私とてその一人だ。

正直に言うと「推しの聖地へ!田中さんの実家にみんなでお泊まり!」が私の拝見した最後の回なのだが、コレは第5話らしい。

僅か5話で「セクシー田中さん」の何が分かったと言う事でも無いが、それでも私にとって貴重な癒しの時間であった事だけは、誠心誠意の気持ちを以て感謝差し上げたい次第だ。

セクシー田中さんと私
https://ameblo.jp/katoo-the-world/entry-12838528675.html

今回の「セクシー田中さん」騒動を見るに、私はある映画を思い起こさずにはいられない。

そう!賢明なる我がブログ読者諸氏に至っては、既にお気付きの事であろう、三谷幸喜監督作品「ラヂオの時間」だ。

熱海で主婦と漁師が恋に落ちる内容のラジオドラマが、主演女優の我儘で設定が変わった事をきっかけに、アメリカを舞台にしたスケールの大きなシナリオへと変わっていく。

鈴木京香演ずる鈴木みやこは自分の書いた作品が他人の手に依り全く原形を留めなくなっていく事に怒り、「これ以上勝手に台本を変えないで下さい!聞いて頂けないのなら、原作者から私の名前を消してください!」と訴える。

「ラヂオの時間」は監督である三谷幸喜が実際に書いたテレビドラマ『「振り返れば奴がいる」の脚本が変えられて行ったと言う実話を元にした作品との事で、制作の場に於いてはあるあるなのだろう。

そんな混沌とした現場から紡ぎ出される無茶なストーリー展開ではあったが、原形を留めない作品を前に、何時しか原作者の鈴木みやこは「この話、どうなって行くんだろう…」と、逆に興味を持ち始める。

ラストには大円団を迎え、ラジオドラマを聞いていたトラック運転手(渡辺謙)が直接ラジオ局に乗り込み、感動したと泣きながら伝える。

聴視者の声にみやこが続編の執筆を了承するラストが笑えて泣けるのだ。

【ネタバレ注意】大怪獣のあとしまつ vs 「おじさん構文」を見て取るかとぅ
https://ameblo.jp/katoo-the-world/entry-12798303260.html

だから、シナリオが書き換えられようが、原作を留めない作品になろうが、舞台が熱海からアメリカに変わろうが、原作者が死ぬ事は無かったと私は思う。

マルチバース上のドラマ「セクシー田中さん」として、みやこの様に客観的に楽しめば良かったのではないかと、実に無責任ながら思う。

敢えて書かせて頂くが、原作者の権利を反故にされたあなたは確かに被害者だが、自死を選んだ事で、周囲の方々に一生背負い続けなければならない罪を負わせた加害者でもある。

ドラマ脚本家のコメントが痛くて、辛くて、私は中々向き合えないし、原作者が亡くなった今、せめて彼女を守らなければならない。

先述の通り、第5話迄しか拝見してはいないが、あなたの書いた「セクシー田中さん」の脚本は、私にとって貴重な癒しの時間であった事だけは、誠心誠意の気持ちを以て感謝差し上げたい次第だ。

今は何も信じられず、闇の底に堕ちるかの辛い状況であろう。

ソレでも「セクシー田中さん」は生き辛い生き方に足掻く人々に「ソレでも、アナタはアナタで良いんだよ」と、優しくエールを送る作品だ。

だからアナタもアナタで良いのだ。

そう思える日が必ず来る、絶対にだ。

かとぅ