長嶋一茂 vs かとぅ | katoo the world

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タレントの長嶋一茂が『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日系)に出演。番組内でのある発言が、物議を醸している。

共演する高嶋ちさ子にすすめられ、医療脱毛を始めたという長嶋は、「実は、いまも通ってるの。最初は全身をやったんだけど、1回じゃ無理なんですね。とりあえずVIOだけやったんですよ」と明かした。

脱毛は女性2人が担当していたといい、「さすがに俺でも恥ずかしいわけですよ。知らない女性が2人できて、俺のすべてを見ていくわけだから。『俺のすべてを見たんだから、3人で食事してくれませんか?』って言ったの」と話すと、高嶋も石原良純も「なんでそうなるの!?」と驚きを見せた。

長嶋一茂を想う時、私は一枚の写真を思い出す。

若かりし長嶋一茂が、アメリカ国旗が全体にプリントされた強烈なパンツを履き、上は地味なパーカーを着て、真顔で写っている写真なのだが、パーカーに“GAP”とあり、ソレは名実共にギャップがある奇抜なファッションであった。

この写真を見た時に、ダサいファッションと言うのは、着る者にも、売る店舗にも問題は有るが、最大の問題は作るメーカーにあると実感したのだ。

客の選ぶセンスや、勧める店舗側に非が無いとは言わないが、やはりそんなモノを作って、世に流通させるメーカーの責任は大きい。

それでもまあ、長嶋一茂の件は本人の過失が大きいと言わざるを得ないが…。

 



タバコの煙 vs 焼き鳥屋の煙
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そんな人間力溢れる長嶋一茂が『ザワつく!金曜日』で女性エステティシャンに発言した、「俺のすべてを見たんだから、3人で食事してくれませんか?」に、批判が集まっていると言う。

何でも「著名人の客と言う立場で仕事として対応した女性を食事に誘うとは、セクハラでありパワハラ。許せん!」と言うのが批判の主旨との事で、企業コンプライアンス的にも、従業員を護る為にも、この様な行為は許されたモノでは無いだろう。

ただ、「俺のすべてを見たんだから、3人で食事してくれませんか?」なる発言を長嶋一茂がしているとしたら、ソレが良いか悪いかは別として、実に”長嶋一茂”である。

「だってそうでしょう?俺も恥ずかしさを乗り越えて、此処まで全てを曝け出したのだから、貴女達にもその義務はある。それでは上着を脱いでみようか」

…と、其処までの脳内再生も容易だ。

長嶋一茂について、御多分に漏れずこの私かとぅも余り良い評価は無かった。

プロ野球時代には「偉人である長嶋茂雄のバカ息子」と、その程度にしか考えていなかったのだが、「さんまのSUPERからくりTV」など、タレントとして開花してからは、その天才的な天然ボケに「お笑い芸人では絶対に成し得ない異世界の笑い」を実感して、見方が360度変わった。

先述の、若かりし長嶋一茂が、アメリカ国旗が全体にプリントされた強烈なパンツを履き、上は地味なパーカーを着て、真顔で写っている写真にも笑撃を受けたし、一度ロケか何かで本人を拝見した事が有るのだが、周囲の空間が歪んで見える程の妙な空気感には、どうしても笑いを堪える事が出来なかった。
あのトボけた雰囲気は、一体何なのだろうか?

今や国民的ドラマとなった「孤独のグルメ」だが、企画当初に主演候補として長嶋一茂が選出されていたと言うのも特筆すべきポイントだろう。

原作を知る身としては、松重豊より長嶋一茂の方が、余程井之頭五郎っぽく見えたが、原作者の久住昌之が難色を示したために話が流れたと聞く。
一茂ウォッチャーとしては別世界のゴローさんにも期待したい所だ。

そして同時に長嶋一茂について語る際忘れてはならないのが、彼のパニック障害についてである。

巨人での現役時代、パニック障害を発症し、突然バッターボックスに立てなくなり、現段階に於いても完治していないと言う。

死を意識する日々を乗り越えて現在に至った、一茂が語る格言が深い。

「生きていく理由もないけど、さしあたって死んでいく理由もない」

「人間、ダラダラすることも非常に重要」

「余計な情報は入れない、余計な人間関係を持たない」

「だいたい“他人から見た自分”っていうのには様々な誤解があるわけで、全員の誤解を解くことなんて到底できない」

「(人間の)最終的な目的はシンプルにたった一つだけ。それは自分が何であるのかを知る事」

「孤独と飢えが人間を一番強くする」

私の身近にもパニック障害で苦しんでいる者もいるし、私とてどうにもならない闇に取り込まれる夜もある。

そんな時に「あの一茂だってパニック障害なんだ。苦しいのは俺だけじゃないんだ…」と言う事実に、実に勇気付けられる。

「生きていく理由もないけど、さしあたって死んでいく理由もない」や、「人間、ダラダラすることも非常に重要」と言った、苦しみの果てにある達観の境地には、我が人生の師とする”高田純次イズム”に通ずるモノを感じる。

「昭和の無責任男」、「芸能界一いい加減な男」との名誉称号を持つ高田純次ではあるが、ブレイク前の劇団時代には彼も相当に病んでいたと聞く。

今知ったのだが、実は一茂も高田を尊敬しており、「本当にいい加減なわけではない」、「遊びとか余裕がある方の適当さがある」と評価していると言う。

其等多面的な魅力溢れる長嶋一茂が、「俺のすべてを見たんだから、3人で食事してくれませんか?」と述べるとは、中々に含蓄深く感じるのだ。

ポイントは発言内容そのモノをダイレクトに受け止めるのでは無く、”長島一茂”というフィルターを通じて我々が何を感じるかと言う部分にある。

「脱毛してくれたスタッフにこういうことを言うって言われた方は気持ち悪いよ」

「ハラスメントをしている自覚がないタイプの典型例。悪意がないからやっかい」

「仕事でやってるだけなのにこんな事言われたら困るでしょ…」

是等の批判は当然だが、一茂が言っている事なのだ。
真面に取り合う方が愚かにすら感じる。

太古の話で恐縮だが、以前知人の実家に一本の電話が掛かって来た。

「ヴェルディーの武田ですが、A子さんはいらっしゃいますか?」

当時タレント活動をしていた知人の妹A子さん宛の連絡だったが、”ヴェルディーの武田”と名乗る男が本人かの真偽は別として、そう名乗って電話して来てしまう勘違いっぷりに、どうしても憧れてしまう私だ。

かとぅ