講義中に鍋を食べる大学生 vs 自由のツケを払わされたかとぅ | katoo the world

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大学の授業中に鍋を食べる学生が現れた――。大阪公立大学の教授がX(旧ツイッター)に投稿したそんな写真がSNSで話題になった。

投稿したのは、ポピュラー音楽研究者で同大学教授の増田聡さん。以前から「自分の授業では教室で鍋をやってもいい」と許可しているという。今回の学生の行動について「わたしは大学とはこういう場所であるべきだと思ってます」との見解を示した。

投稿に対しては、「素晴らしい取り組み」などと称賛する声が上がる一方、「これで授業が成立するはずがない」などと批判する声も上がった。

マサチューセッツ工科大学時代は我が人生に於ける最も自由な時だったと思い返す。

18年に渡る学業や親の庇護から解放され、独り暮らしを始めた私は、正真正銘の自由となり、自由を謳歌する日々を送っていた。

金は然程無かったが、膨大な時間だけが有った。

仲間と集まっては街に繰り出し、ギターを弾き、映画を観て、ゲームをやって、酒を飲んで、時に知り合った女性を自宅に連れ込んでは日夜不埒な行為に勤しんでいた。

大学では履修は受けるモノの、基本的には学食に集まり、ランチを取りながら駄弁るだけで、所属する軽音楽部の練習迄の時間を無駄に浪費していた。

親からの仕送りに併せて謎のバイトもしていたので、50歳を前にした現在よりも、余程自由になる金は有った訳で、無駄にキャバクラや風俗に通い随分と危ない目にも遭った。

この様に自由な生活を2年程続ける中で、いきなり現実に引き戻される出来事が有った。
酔っぱらった知人が私の自室から外に放尿をし、ソレが大家にバレたのだ。

情報は速やかに我がパパン、ジェントリーかとぅに共有され、即座に仕送りは凍結。
大家側の都合もあったが、私は部屋を追い出される事となった。

立ち退き費用や引っ越し代は大家側が持つ事となったが、私はこれを期に謳歌した2年間と言う自由が清算された事を知った。

そして自由には必ず、それ以上の責任が付きまとう事を痛感したのだ。

思い返すに自由だった2年間で、私が成し得た価値および生産性は皆無に等しかった。

「自由である事=責任は自分が負う事」と言う事実を知り、同時に大学入学迄は学業や親の庇護に守られた18年間であったと思い知ったのだ。

受験や親から解放された私は2年と言う自由で全てを失った。
現実に気付いた私が、社会復帰の為に行ったのは、自らに責任を課し、日常に価値を見出す事であった。

大学の履修単位は必ず取得する。
就職先の研究を始める。
バイトで得た給与を自己投資に使う。
惰性でやっていたバンドを更に価値あるモノとする為、楽曲やパフォーマンスに磨きをかける。
関係する知人の数を絞り、深いモノとする。

…まあ、女性関係に関しては私の一存で決められるモノでは無いし、その後も深夜に帰宅したら玄関前で女性が立っていた事も有りとても怖い想いもしたので、一方的に連絡先を消去したと言うのが正味な所だ。

当然そんなやり方はフェアでは無いし、当時お付き合いしていた女性の一人に関しては精神に変調を来してしまい、今にしても大変申し訳無く思う。

共通の知人からこっ酷く叱られたが、当時の私に出来る事はその程度の荒療治しか無かったのだ。

その後、大学を出て、就職し、時が流れた今、ある意味でまた自由な生活を送っている。

流石に大学時代の様な無茶はしないが、自由を責任を天秤に掛ける生活が、楽しくも億劫に感じる。

先日もライブ後に天下一品こってり大盛りをムチャムシャしてやった。
後悔はしていない。

音楽フェスDJ不同意わいせつ vs 馬鹿をやる資格の無い馬鹿
https://ameblo.jp/katoo-the-world/entry-12817284447.html

JR山手線無差別殺人未遂事件 vs ドアの前の女
https://ameblo.jp/katoo-the-world/entry-12835374651.html

さて今回、大阪公立大学の授業中に鍋を食べる学生が現れたとの一報に、SNSが騒めいた。

「また炎上目的のかまってちゃん投稿か…」などと軽く見てもいたのだが、何でも投稿したのが講義する教授自身であり、以前から「自分の授業では教室で鍋をやってもいい」と許可していたという。

今回の学生の行動について「わたしは大学とはこういう場所であるべきだと思ってます。鍋があることで、学生とのコミュニケーションが出来て、私としては大変教育効果が上がったと考えています」との見解を示したとの事。

この投稿は24年1月22日までに5万9000件以上の「いいね」が集まるなど話題になり、一般ユーザーからは「素晴らしい取り組みだと思う」、「大学って本来こういうもんだよね」などと称賛する声が上がったと言うが、さっぱり意味が分からない。

講義側からすれば私の講義中に誰かが鍋を食べていたら、その様な者がまともに講義を受けているとは考えにくいし、「GET OUT!」と激昂してしまうやも知れない。

私自身も空腹によりやる気を削がれるし、何より学生としてこの様な異様な講義を履修したいとは思わないのではなかろうか?

旧世代的な価値観かも知れないが、学校とは様々な学びや規律を通じて、社会人として活躍する為の事前教育を受ける場と捉えている。

私自身が世界の大統領なる立場となった今、共に世界平和を実現する同志が、会議中に鍋を食べていたら、「その発想、リベラル派だねっ!」と、口では言いながらも、同時に解雇通知をデスクに置かせて頂く。

何せ、多様性や自由の意味を履き違えて、「何でも良いよ。好きにすれば良いよ。自由に考えて行動すれば良いよ」と言いながら、その責任を自身では一切負わず、生徒に押し付けるスタンスが気に入らない。

ピンときた私がこの教授について調べた所、やはり多数の著書を発行する作家でもあった。

「講義中に鍋を食べるには一向に構わないが、単位取得には私の書いた書籍全ての感想文を提出する事。感想文には本に付属したはがきも併せて提出する事」

その様な手段で、中古では無く新規に書籍を購入させて、その印税を漁夫の利としているのだろう。

そのうち新刊として「講義中に鍋を食べる学習メソッド」、「授業メシ」、「大学生にオススメ鍋レシピ」あたりが、続々と出版される事であろうから、履修単位に不安を抱える学生には、早めの購入がおススメだ。

売り切れても知らんぞ、カカロットーッ!

かとぅ