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第二章「親の態度で子どもも変わる」

「教育熱心」とは何かーその(1)

 

 2006年奈良県で、高校1年生が父親への反抗から家に火をつけ、母親と妹を死なせてしまったという事件があった。新聞や週刊誌は、「父親は教育熱心だった。」と報じている。果たしてそうだろうか?



元校長先生のブログ-「教育熱心」とは何かーその(1)




 医師である父親は、息子も医師の道に進ませたいと願い、自宅学習で息子を猛特訓していた。時には手を上げることもあったそうだ。火災で亡くなったのは、継母と異母姉妹である。実の母親とは会うことができない状態が背景にあったから、この高校生の「動機」を単純に「父親への反抗」のみで語ることはできないが、「猛特訓の勉強」が即「教育熱心」と表現できるのか、ということが気にかかるのである。


 『こんな子どもが親を殺す』(片田珠美著・文春新書)という著作の中では、2005年に起きた中学1年生による母親殺しの事件を扱って、次のように書いている。


 「記者会見で、校長が『勉強や成績について、非常に強いこだわりがあったようだ』と話しているように母親は教育熱心で、少年を塾に通わせ、自ら宿題もみていた。(中略)・・・教育熱心な母親との勉強をめぐる確執が事件の背景にあったのはたしかなようである。母親はなぜこれほどまでに教育熱心になれたのだろうか。」


 さすがに校長は「教育熱心」という言葉は使っていない。「勉強や成績について、非常に強いこだわりがあった」と言っている。著者はそれをイコール「教育熱心」と置き換えているのだ。塾に通わせれば、自ら宿題をみれば「教育熱心」なのか?そうではあるまい。ここには「教育イコール勉強」という偏った図式がある。そしてその図式は、世の中全般に行きわたってしまっている。


 部活指導の中学校教員の嘆きは、その風潮を象徴している。「塾があるので練習を早退させてください。」と中学2年の母親が学校に電話をかけてくるのである。こうした傾向は、もう20年以上も前に始まっていた。部活の大会がある日曜日に、「模擬試験があるので欠席します。」と堂々と言われ、メンバーが足りずに四苦八苦して惨敗という経験を、私自身もしている。部活動は、子どもへの「教育」には入らないのだろうか。


 

 ある知人の息子夫婦も「教育熱心」だった。東大以外は大学じゃない、と公言してはばからない。長男を叱咤激励し、東大に入るためには多額の出資も惜しまない。私立中学・私立高校の学費を初め、塾の費用はかなりの額にのぼる。


 長男はしかし、二浪しても大学に入ることはできなかった。絶望し目標を失い、彼はいわゆる「引きこもり」となってしまった。東大以外の価値観を持てず、人生の目標は、その大学に入ることのみとなっていたのである。親の「洗脳」はまことに恐ろしい。これを「教育熱心」と言うだろうか。子どもを自立させるための「教育」はなされていないのだ。誤解のないように付け加えておけば、自立とは、家を出て独立した生活を営むという意味ではない。自ら考え自ら判断するための経験や精神的自立を指す。


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