第三章「学校に関わりを」
途中で主役交代―「ダブルキャスト?」-その(2)
小学校では運動会にも、そんな妙な「平等感」が垣間見える。ただし、「徒競走で、みんなが同着でゴール」「お手々つないでゴールイン」などと囃したてるのは、メディアが面白おかしく取り上げているだけであって、世間の誤解である。
あらかじめ短距離走のタイムを計っておき、同じ程度の走力の子どもを同じグループで走らせるのである。そうすることによって、積極的な意味では、接戦を演じて盛り上がりを見せることができる。同じくらいのタイムで何人かが走るのだから、同時にゴールもあり得るわけだ。「手をつないで同着ゴール」の世間の誤解はこうして生まれる。
しかし、同程度の者を同じグループで走らせるもう一つの狙いは、優劣の差を歴然とさせないことにある。50メートル8秒台の子と10秒台の子をいっしょに走らせたら、遅い子の姿がはっきりしてしまって惨めでかわいそうだ、という発想がそこにある。これもおそらく親の願いが反映されているのだろう。2番じゃいけないんですか?ビリじゃいけないんですか?
もう一つ気になることがある。綱引きや騎馬戦の種目において、赤組と白組が2回戦を終えて1対1になるときがある。「さぁいよいよ決戦!楽しみだ。」と見ていると、「よって引き分け~」となってしまう場面に何度も遭遇している。なぜ決着をつけないのだろう子どもたちは、赤組も白組も共に両手を上げて「バンザ~イ」と叫んでいる。「時間がない」と言うのは教師の言い訳だと思う。ここにも妙な平等感が働いているとしたら、優れたスポーツ選手は育たないし、世の中に出た子どもたちは、困るのではないか。
私はお父さん方のソフトボールチームに所属しているが、同じチーム内の紅白戦でさえ「引き分けで平和に終わろうよ」と呼びかけても、「とんでもない!どちらか勝つか決まるまで決着をつける」というのである。子どもの世界での「引き分けバンザイ」と大人の世界とのこの落差は何なのだろう。
一方では、学習成績の面で、子どもたちは競争の中にいるのである。文部科学省の全国的な学力テストも、自治体による到達度テストも、公表はされないものの、各学校ごとの点数は集計されており、校長をはじめ先生たちは、その数値に一喜一憂せざるを得ない。
それこそ点数の低い学校には教育委員会から指導が入り、学校は学力向上のための改善策を作らなければならない。つまり学習成績は学校ごとに競争にさらされているのである。
だからと言って誤解のないように付け加えておくが、学力テストをなくせ、などと言うつもりはない。学力テストは有用である。学校はまず学ぶ場なのであり、学校があるいは教員が、学習させてきたことをどれほど子どもに身につけさせられたかということについて検証する必要があるからである。学習指導要領が学習内容の全国的基準なのだから、全国的基準に照らして結果はどうなっているのか、学校はそれを把握しておく意義と責任があるだろう。

