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第三章「学校に関わりを」

小1プロブレム・中1ギャップーその(2)

 

「中1ギャップ」は、Yahoo辞書によれば「学習や生活の変化になじめずに不登校となったり、いじめが急増したりするという現象」である。2005年に新潟県教育委員会が命名したそうだ。この年すでに私は中学校を退職していたが、それ以前から「ギャップ」に苦しむ子どもの姿をたくさん見てきた。ここでも、子どもの「順応する力」が落ちてきていることが思い出される。




元校長先生のブログ-小1プロブレム・中1ギャップーその(2)




当時私はこの現象を「子どものカルチャーショック」と呼んでいた。小学校では、ほとんどの教科を担任の先生が教えるが、中学校では、9教科それぞれ別の先生が教える「教科担任制」となる。毎時間入れ替わり立ち替わり違う先生が教室に来ることは、それだけでもう、子どもには「疲れる」事象なのであろう。そのカルチャーショックに、どれだけ早く慣れるか(慣れさせるか)は、けっこう大事なことのように思う。


複数の小学校から中学校に入学してくる地域では、陰に陽に子どもたちの間で「権力闘争」が生まれる。小学校時代に培われた「派閥」も、再構築される。ちょっとしたケンカを含む揉め事が、中1の5月ごろに多いのは、そのためである。こうしたことも、子どもにとっては一種のカルチャーショックなのではないか。


そんな中で、昨日まで笑顔で元気いっぱいだった男子生徒が突然学校を休み、そのまま不登校となってしまった例もある。「権力闘争」など、誰かと争ったわけではない。ケンカの被害者になったわけでもない。今まで小学校では「お山の大将」でいられた子が、新たな中学校生活の中で自分の居場所を失ったことを察知してしまったのである。鋭敏な感性によってお山の大将でなくなってしまった自分を「感じ取った」ものだから、他人には話せない。培われた自尊心も、話したり相談したりすることを邪魔する。従って回復までには、相当の時間を必要とすることになる。


学習面でも似たようなことがある。小学校時代は授業で積極的に発言し、成績も常にトップクラスを維持していた子が、学習内容も評価の方法も変わって、ガクンと成績が下がることがある。教師側からすると「小学校の申し送りと違うな?」となるが、本人としてみれば大変なショックである。そうなると、その子は内に籠っていくか、外にはけ口を求めるか、どちらかとなってしまう。もちろんその例とは逆に、中学校に入ってからグーンと学習成績がアップして、友人関係や家庭内で自分に自信が増す生徒もいる。


小学校の先生がいい加減だ、というつもりはない。一人の担任の先生がほとんどの教科を教えて評価・評定するのと、それぞれの専門教科の先生が教えて評価・評定するのとでは、システムが違うのである。そのシステムの違いを早く呑み込みんで対応する力を発揮できるかどうか。「カルチャーショック」を乗り越える能力も、一つの「生きる力」と言えよう。近年「小学校も教科担任制にせよ」という声が大きくなっている。可能ならば、それも「中1ギャップ」を解決する一方法であることは間違いない。


「中1ギャップ」の定義に例示されてある「いじめ」は、もっと複雑だ。前述の「権力闘争」もあれば「派閥争い」もある。男女を問わず起きる。小学校時代に「いじめの被害者」だった子が、いつの間にか「強い勢力」をバックにして、昔の意趣返しをすることもある。教師がいじめの事実を把握しても、「もともと悪いのはあっちだ」と言い張る。


個人で「復讐」する例もあった。これは「中1ギャップ」の範疇とは言えぬかもしれないが、中学生になって身体が急速に伸び、かつての被害者と加害者との肉体的・精神的差異が逆転した場合である。「あの時痛めつけられたから、今度は自分が痛めつけてやろう」というわけだ。ある生活指導主任が、「小学校時代の人間関係を中学校に持ち込まないように」と繰り返し訴え、親にもそれを説いていた光景を思い出す。


もちろん、不登校もいじめも、すべてが小学校体験を引きずっているわけではないし、幾つかの小学校から寄り集まることを事由として起きるわけでもない。現に私は、学区内の小学校は一つだけで一つの小学校から一つの中学校に進学、という小規模中学校に勤務したことがあるけれども、そこでも不登校はあり、いじめもあった。それらは「中1ギャップ」と絡む場合もあれば、それとは全く別の次元で複雑な様相を呈して起こる場合もある。ただ「中1ギャップ」が、不登校やいじめを生じさせ易いのは確かである。


 

中高一貫教育と共に、「小中一貫教育」の機運が高まってきた。東京郊外の小中一貫校では、小中合同の巨大な「時間割表」を作成している。つまり、ある国語の先生は中学校で何時間かの授業をした後、午後からは小学校に出向いて6年生の授業をする、といった具合である。その逆に、小学校の先生が中学校に来てくれることもある。当該校で人手が足りず「空白の時間」となってしまう場合には(その国語の先生の例で言えば週6時間ぐらい)市の独自予算で教科ごとの臨時講師をあてがう。自治体の強い姿勢と経済力がなければできないことである。


要は「小1プロブレム」と同じように、「小中の垣根を低くする。慣れさせる」という試みである。その学校の校長室を訪ね、「小中一貫で不登校は少なくなりましたか?」と、最も気になっていることを尋ねてみると、我が意を得たりとばかりに「おっしゃる通りなんですよ!」と満足そうに数値を示して答えてくれた。京都などでも同様のことが実証されている。


だが、すべての自治体が小中一貫に至っているわけではない。私がある市の校長会で外国語指導助手(ALT)の担当をしているころ、小中との連携の観点から、「月に一回ぐらいALTの先生を小学校に派遣させたらどうか」と提案したところ、「とんでもない。ALTは中学校に配置されているのだから、小学校に行かせる必要はない。」と反論されてしまった。


まだ小学校英語が導入される前の話であるから、ある程度は仕方のない面もあるが、(そこで私は、自分の中学校の学区内小学校にのみ英語教師を伴わせてALTを「派遣」させることにしたのだが)、校長と言われる人でさえ、「小中一貫」どころか「小中連携」の視点が欠けている、ということであろう。


「小1プロブレム」も「中1ギャップ」も、その克服のためにはまず学校が行動しなければならないことは言うまでもない。その上で、それぞれの家庭がその周辺の事態を子どもの気持ちに沿って理解し、予防となるべき教育をしておく必要がある。校内の問題と言っても、学校の先生だけで改善することが難しい時代となった。家庭の協力がジワジワと重なったとき、大きな力となる。




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