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第三章「学校に関わりを」

コラム3・差別のあいまいさ

「男子児童にも○○さん」?―その(2)

 

 『言葉狩りと差別』(週刊文春編)という本がある。書名から見て取れるように、「差別語が強調されるあまり、言葉狩りが進行してはいないか」という問題提起の書である。特に新聞社の「自主規制」に疑問を呈し、「こんな用語まで?」と首をかしげるような新聞各社が掲げた「自主規制一覧」が載っている。



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これを元に私は、教育委員会の依頼を受けて、市内小中学校全校に配布する印刷物の原稿を書いた。主旨は、「どういう言葉がどういう時に差別語になり得るか、教育の世界でも考えてみよう」という問いかけのつもりだった。『言葉狩りと差別』を出典としたことも明記し、新聞社の自主規制リストの一部も添えた。私としては、この「自主規制」には行き過ぎがあるのではないかという思いもあった。差別とは何かを考える話材提供のつもりだったのである。


 ところが、ある小学校の校長は、今風の言葉で言えば、私の意図とは「真逆に」この印刷物を読みとってしまう。ちょうど学芸会のシーズンあったため、片っ端から各学年の脚本に目を通し、「リストに載っている言葉は脚本の中にないか」と捜しまくったというのである。該当する表現があればすぐに削除したと、得意げに言う。


それが差別語と言えるかどうか、なぜ差別なのか、という検討を抜きにして、ここでも「リスト頼り」なのである。自分の思考をストップさせてしまっていることに気付かない。文部科学省の言う「自から課題を見つけ、自から判断し、自から解決する」姿勢を、校長自からが実践していないことになる。


 

ごく最近、小学校の授業参観に行ったところ、先生がクラスの児童に「○○さん、答えてください」「△△さんは、どうですか」と呼びかけている。女の子ばかりが指名されているのかと思ったら、男の子に対しても「加藤くん」ではなく「加藤さん」と呼んでいるのだった。


中学校もそうなってしまったのかと問いかけてみると、どうやらそうではないらしい。大学でも、男子学生には「○○くん」、女子学生には「△△さん」である。高校野球の新聞報道でも、選手を「○○君」と表記している。小学校だけの現象のようだ。試みに市内の別の小学校を訪ねてみると、やはり男子児童にも「加藤さん」と「さん」をつけて呼んでいる。友だち同士もお互いにそう呼んでいるそうだ。この町の小学校に、いつからこんな呼び方が流行り始めたのか。自分の頭が20世紀から抜け出せていないかのような、妙な錯覚に陥る。


友人は、「気持ち悪い」と言う。保護者の中には、男の子への「さん」づけに、抵抗感を持っている人もいる。だが大きな声にはならない。意義を申し立てれば「男女差別だ!」と反駁されてしまうからだろうか。


 差別をする多くの人は、「差別するつもりなんかなかった」と言い訳をする。私自身そういう人に何人も出会ってきている。差別が無意識のうちに行われるのは怖いことだ。しかし一方、何の疑義も持たずに「みんながそう言ってるから」「リストに載ってるから」という理由だけで差別語と規定して排除するのも、やっぱり怖い。


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