第四章「大人にできること」
標準家族・標準家庭―その(2)
私が32歳で教員になったとき、先生たちの会話や書類から「欠損家庭」という言葉を初めて聞いた。「欠け、損なう?それはないだろ!」イヤ~な思いが胸に沈殿し、学校というところへの不信感のような感情が湧いた。何の疑念も無しにこの言葉を使う教師たちの無神経さに驚かされたのだった。
私自身が、小学校2年生のときに父親を亡くし小学校6年生のときに母親を亡くしているからであろう。それなら自分も、「欠損家庭の児童・生徒」と呼ばれていたのだろうか、と複雑な思いに至る。私の場合は「超欠損家庭」とでも言ったのか。
遠慮がちに先輩教師に尋ねてみる。すると「配慮が必要ってことなんじゃない?実際、母子家庭や父子家庭に、問題の子が多いじゃないですか。」という返事が返ってきた。そうかもしれない。そうかもしれないけれど、「欠損家庭」という表現はないだろう。
私が初めてクラス担任になったとき、小学校のころ父親を交通事故で亡くし、母一人子一人で生活する男子生徒がいた。テニス部に所属し、学習状況はトップクラスを保ち続けていた。リーダーシップもある。暗い影など微塵もなく、問題行動を感じさせるものは何もない。私自身の中学校時代を思い返しながら、似ている状況についてそれとなく会話を交わしているうちに、生徒会長も務めるようになった。母親の「まっすぐな凛とした生き方」と「知性」が影響していたのではないかと、思い返すことができる。
一方、転勤した別の学校では、学年160人の中に父子家庭と母子家庭の子が10人以上いたことがある。ほとんどが離婚によるものだった。この子たちが気持ちを共有して、一種の連帯意識を持つのは、当然の流れだ。大人たちの表現で言えば、「つるんで」行動する。
深夜に家を抜け出して寄り集まったり、バイクを乗り回したりする。軽トラックを運転し、警察に捕まった豪の者もいる。授業はサボりがちになり、親が仕事に出かけたあとのアパートの一室に何人かが「たむろ」する。そこにはタバコもあり、酒もある。登校を促すために、私たちは何度もそこを訪ねたりもしたが、なかなか難しい。中学3年の時に、酒を飲んだその勢いで登校してきた男子生徒もいた。
その子の父親は大酒飲みで、離婚の侘しさもあったのか、人生のウサを酒でしかまぎらすことができない。子どもの教育にまで気を配る余裕がなく、息子には「食べさせる」だけで精いっぱいだったのだろう。そんな環境の中で、子どもも酒に手をつけるわけだ。
ところが、その父親が突然亡くなってしまう。いい加減な父とはいえ、その遺体を前にした子どもの衝撃と狼狽はいかばかりであったろう。親を失った中学生はどうしたか。朝5時半、途方に暮れた彼は、クラス担任の先生のところに電話してくれたのである。これは、ちょっとした感動だった。毎日が問題行動だらけだったが、子どもは子どもなりに先生を信頼し、頼りにしていたのだ。担任の先生はすぐさま彼の自宅に駆け付け、葬儀の段取りやら親戚関係への連絡やらを手配し、みなし児となった中学生の就職先も探すことになる。今はしっかり働いて、家庭も持ったと聞いている。
私が32歳で教員になったとき、先生たちの会話や書類から「欠損家庭」という言葉を初めて聞いた。「欠け、損なう?それはないだろ!」イヤ~な思いが胸に沈殿し、学校というところへの不信感のような感情が湧いた。何の疑念も無しにこの言葉を使う教師たちの無神経さに驚かされたのだった。
私自身が、小学校2年生のときに父親を亡くし小学校6年生のときに母親を亡くしているからであろう。それなら自分も、「欠損家庭の児童・生徒」と呼ばれていたのだろうか、と複雑な思いに至る。私の場合は「超欠損家庭」とでも言ったのか。
遠慮がちに先輩教師に尋ねてみる。すると「配慮が必要ってことなんじゃない?実際、母子家庭や父子家庭に、問題の子が多いじゃないですか。」という返事が返ってきた。そうかもしれない。そうかもしれないけれど、「欠損家庭」という表現はないだろう。
私が初めてクラス担任になったとき、小学校のころ父親を交通事故で亡くし、母一人子一人で生活する男子生徒がいた。テニス部に所属し、学習状況はトップクラスを保ち続けていた。リーダーシップもある。暗い影など微塵もなく、問題行動を感じさせるものは何もない。私自身の中学校時代を思い返しながら、似ている状況についてそれとなく会話を交わしているうちに、生徒会長も務めるようになった。母親の「まっすぐな凛とした生き方」と「知性」が影響していたのではないかと、思い返すことができる。
一方、転勤した別の学校では、学年160人の中に父子家庭と母子家庭の子が10人以上いたことがある。ほとんどが離婚によるものだった。この子たちが気持ちを共有して、一種の連帯意識を持つのは、当然の流れだ。大人たちの表現で言えば、「つるんで」行動する。
深夜に家を抜け出して寄り集まったり、バイクを乗り回したりする。軽トラックを運転し、警察に捕まった豪の者もいる。授業はサボりがちになり、親が仕事に出かけたあとのアパートの一室に何人かが「たむろ」する。そこにはタバコもあり、酒もある。登校を促すために、私たちは何度もそこを訪ねたりもしたが、なかなか難しい。中学3年の時に、酒を飲んだその勢いで登校してきた男子生徒もいた。
その子の父親は大酒飲みで、離婚の侘しさもあったのか、人生のウサを酒でしかまぎらすことができない。子どもの教育にまで気を配る余裕がなく、息子には「食べさせる」だけで精いっぱいだったのだろう。そんな環境の中で、子どもも酒に手をつけるわけだ。
ところが、その父親が突然亡くなってしまう。いい加減な父とはいえ、その遺体を前にした子どもの衝撃と狼狽はいかばかりであったろう。親を失った中学生はどうしたか。朝5時半、途方に暮れた彼は、クラス担任の先生のところに電話してくれたのである。これは、ちょっとした感動だった。毎日が問題行動だらけだったが、子どもは子どもなりに先生を信頼し、頼りにしていたのだ。担任の先生はすぐさま彼の自宅に駆け付け、葬儀の段取りやら親戚関係への連絡やらを手配し、みなし児となった中学生の就職先も探すことになる。今はしっかり働いて、家庭も持ったと聞いている。

