2008年2月16日(土)、合否結果が来た。

 

受験日 2008年1月19日(土)


受験結果内容

課題A ニュースリリースの作成     合格

課題B 広報・PR計画の立案の作成  不合格



したがって、3次試験の結果は「不合格」であった。


本人としては、今でもはじめての割にはいい線までいっていたんじゃないかと思う。

だけど、3次試験は実務者向けとなっている。


計画の立案の作成を実務で一度もしたことがなけりゃ、まだ漠然としか理解できていなかった、この私が受かってしまう程度の試験であれば逆にそれだけの価値かと思ってしまう。


リリースは、お正月返上で頑張った成果がきちんと出ているし、課題Bの広報・PR計画の立案の作成についても、その通りの結果となった。


とんとん拍子にここまで進んできて、不合格というたった3文字がこんなに衝撃を受けるとは思わなかったけれど、勉強不足の部分はまた補えばいいんだからと、結果を素直に受け入れ、気持ちを新たにした。

2008年1月初旬、部長は何かに追われているようで、本社へ行っていたりするし、私とも距離を置いてあまり口をきこうとしない。資金繰りが上手く行っていないのだろうか。


ここはひとつ、広報・PRの立場からお金をかけずに会社をPRしたりと、再生へ向けて頑張るのが私の使命なのではないか?と、思った。


そこで社長に、これからの会社のPRについて、いろいろやらせてもらえないかと直訴したところ「やってみなさい」との事だったので、俄然やる気が出てきた。


ところが後日急に社長から社長室に呼び出され、まったく身に覚えのないことで一方的に叱られ、挙句、「退院してきたばかりなんだから、おとなしくしていないとクビニするぞ!」と恫喝された。


社長はもともとワンマンで、社長という立場をわきまえない、社長らしからぬ暴言を吐くことがたびたびある人だった。そんな風だから、私の説明など聞く耳も持たず、そう言うだけだった。だから、ほんとうに頭に来た。


あまりの社長の豹変振りに私も頭に来て、すごく裏切られた気持ちにもなり、支店長の仕事が途中だったけれど、もう任務を遂行することはできないと思ったので、支店長に一通り事情を話したあと、「そういうわけなので、もう辞めるつもりでいます」と、伝えた。


すると支店長からは、「あたなが居ないと困るから、社長には私から話をするから、そんな事を言わないで欲しい」と言う返事が帰って来た。




ところが1月31日、木曜日にいつも通り会社へ出社したが、朝から様子がおかしい。

管理部門に2年近く席を置けば、社内の様子が異様なことぐらい想像がつく。


夕方17時になって、あともう少しで帰ろうかという時になって、直属の上司である部長から急に呼ばれた。

広い会議室でいきなり

「申し訳ないけれど、会社がもう危ないので、逃げられる人から逃がしてあげたいと思っている。来月にはまた他の人にも同じことを言わなければならない。

でも、その人たちの給料は保証できない。

Kateさんは本当に良くやってもらった。だから、給料が出るうちに逃がしてあげたい。

kateさんには悪いが、給料1か月分出すから、今日限りで会社を辞めてください。」と、言われた。


部長はほんとうに情けないような顔をして、私に詰め寄った。


社長や、支店長と一緒になって、私にいろいろなチャンスをくれたのは、この人だ。いちばん厳しかったし、いちばん信頼してくれていた。その部長がこの私に辞めてくれと言うんだから、選択肢はないんだろう。と、思った。


私がその事を確認すると部長は改めて「これは、リストラです。他の皆には、kateさんが辞めることを言ってないので挨拶しないで、引継ぎもしなくていいので、そのまま帰ってください。

今年の展示会も出展はできないから、こちらでキャンセルします。」と言いました。



私は「会社の状態が良くないことは、空気や部長の態度で何となくわかっていましたけど、こんなに早くこんな日が来るなんて、ショックです」と言って、泣いた。


部長は「泣かせてしまって、ごめんな。申し訳ない」と言って謝った。

会社が残る可能性がまだゼロではなかったので、私に黙って辞めろということだった。



いま思えば、ほんとうの事なんて誰にもわからないが、あのとき急に態度が豹変した社長は、じつは給料を一か月分でも余分に払いたくないから、私から辞めるよう仕向けたのかもしれない。


支店長は朝からその決定を知っていて、帰り際に「Kateさん、ごめんなさいね。また連絡しますから」と言ってくれた。



そうして、私は晴れて自由人となった。

この会社に入社して、3月で丸二年になろうとしていた、本当に矢先の出来事だった。


2008年1月19日(土)、私はまた品川に来ていました。

1次試験の時と同じ品川駅におりましたが、今度の会場はもっと駅よりの富士通ラーニングセンターでした。


12階 S11教室の09-006という座席に座り、それぞれの科目の採点ポイントである5つを何度も何度も心の中で復唱しました。


試験開始の20~30分ほど前になると、試験にあたっての重要事項の説明がはじまり、課題A、課題Bの紙資料とUSBフラッシュメモリが配られます。


試験時間は10:00~13:00と3時間に渡り、よほどの事情がない限り中座や途中退席は認められない為、一定時間が経過したところで水分補給のための水がペットボトルで配られるという過酷な試験です。



10時になり、一斉に試験開始となりました。


出題内容は紙で配られる他に、パソコンにも予めデータで入っていたので、早い人はその問題をパソコンにコピーしてキーボードをカタカタならしています。


私は問題をまずよく読んで、内容を理解することからはじめました。ペース配分を考えたら、リリースを1時間、残りの2時間で企画の立案にあてなければ間に合わないでしょう。


カタカタカタカタ………。


キーを叩く音が気になって、なかなか集中できません。


リリースの課題は、高機能レンジの問題でした。

簡潔でありながら、適切でなければならない。どこまで書いて、どこを削ろうか。見出しは?書いたり、削ったり、そうこうしているうちにどん時間が過ぎて行きます。


1時間ぐらい経過した所で、最初の説明通り水が配られはじめました。


なかなか気が散って、集中できません。


気がつけば、11時20分。10分でリリースを片付けて、課題Bへ移りました。

問題は、広報問題とマーケティングの2つから選べますが、私は得意なマーケティング問題にしました。

問題の商品は、実際に売られている「オトコ香る」という前から気になっていたガムと思われる内容でした。このガムをどのように戦略的な企画にのせて、且つ、実現可能なものにするか。どうすれば売上が上がるかを考えるのです。


すぐに思い浮かびました。が、私は試験前に広告ハンドブックという本を買って勉強していたので、後で考えると中途半端に余計な知識が入ってしまっていたのでした。


私の考えた企画はうろ覚えですが、以下のようなものでした。


私はガムを使ったキャンペーンについて、

コアターゲットを20代から50代の男性とし、サブターゲットをその他の年代の男性と、若い女性と広く設定しすぎました。


キャンペーンは、駅中、トレインジャック、TVCM、Webに携帯とあれこれ考え、TVCMに起用する男性タレントについても、細かく記述しました。


更に、キャンペーンの概要もあれこれ書いたのですが、その全体像はスケールが大きなものになり過ぎていて、とても残りの時間でまとめられるようなものではありませんでした。


時間のない中、何とか形にしようと年間スケジュールまで書いて、とりあえずまとめた所でタイムオーバーとなってしまい、とても受かった気がせず、ただ、やるだけやったので後は奇跡が起こるのを待つような気持ちで家に帰りました。