4月になって、(社)日本パブリックリレーションズ協会(略称:PRSJ)の会員種別に新たな枠が設けられた。

PRプランナー補の人たちが入れる「個人賛助会員C」というものだ。


会員になると、受験料や勉強会の費用が会員価格になるし、会報は送られてくるし、まだまだ勉強中の私にとっては良いことづくめなので、会費を払って早速会員になった。


そうしたら、なんと5月29日(木)の18:30から行われるPRSJの総会に、新しくPRプランナーと、PRプランナー補になった人も招待するというお知らせが来た。


嬉しくて、ワクワクして、この日ばかりは仕事を早く上がらせてもらって、会場に向かった。

最寄り駅は内幸町か霞が関なのに、この日の私は何を勘違いしたか国会議事堂前で降りてしまい、15分程歩きまわることになる。


これは後に働くことになる場所を示すものだったのではないかと、思っている。



話がそれたが、私がPRSJの催しにはじめて出席したのが、この日だ。

しかし、その場で名刺交換をすることになるとは、うっかり。想像もしていなかった。


職場では短期の派遣契約だったので「名刺を作ってください」とは言い辛く、自分で作るのはPRプランナーになってからと決めていたので、この日は人に渡せる名刺なんていうものがなかったのだ。


何人かの人が私に声をかけてきて、名刺交換をと言ってくれたがとうぜん「申し訳ありません…」としか答えられず、「お仕事は?」と聞かれても、ビミョーなポジションなので、説明しても反応がいまいちだった。


それに会員は業界関係者ばかりで、あちこちに顔見知りがいるような風だった。

「なにあんた、名刺も持たずにこういう場に来ちゃってるの?」

思い過ごしかも知れないが、私には話しかけて来た人が、そんな風に見ているような気がしてならなかった。


名刺がないことが、こんなにも情けないことになるとは…。


PRプランナーと、PRプランナー補の紹介タイムがあったので、それにだけは出て、後は会場の隅っこでなるべく目立たないように、お料理を食べてそそくさと帰った。



が、これでめげるような私ではなかった。

翌日から早速、PRプランナー補の名刺作成にとりかかり、馴染みの業者さんとの連絡を重ねた。

4月に面接を受けてから、ずっとずっと合否結果を待たされていた会社がある。世界的大企業、イメルト氏のいる某外資だ。


派遣ではあるものの、ようやく採用通知が来て5月12日(月)から就業することになった。

実はこのとき、あちこちに面接に行っていて(もちろん派遣会社の勧めで、同時に面接して良いと言われたので)この外資を含め、同じ日になんと3社から合格のお知らせが来てしまったのだった。


どこの企業も広報の仕事で、とても遣り甲斐があり、すぐに来て欲しいと熱望された。


これは例えるなら3人の男性から同じ日にプロポーズされてしまい、誰か1人を選ばなくてはならないぐらいの人生にとっての一大事で、私は2時間だけ時間を下さいと言って、悩みに悩んだ。


その結果、もうこんなチャンスは2度とないかも知れないと思ったので、その外資の広報部へ行くことにしたのだった。外資というとドライでクールなイメージもあってかなり怖いけど、中をのぞけるチャンスだってそうそうないのだからという気持ちが、私をそうさせた。


その世界を誇る巨大企業での私の仕事は、広報部でのリクルーティングのためのウェブページの作成に関する仕事。で、まあ簡単に言うと、ウェブサイトが見づらく、日本ではかなり認知度が低いのだった。


その良い例が、年配の方には「家電やさんでしょ?あの冷蔵庫で有名な」という認知度はあるものの、下の世代にいうと「外資の車屋さん?」と言われてしまうぐらいしか、なかった。


そう、ウェブはあるもののPRとしての役割をあまり果たせていないのだった。


と、なるとだ。どんなに優秀な人材がいたとしても、企業の日本国内での認知度が低ければ、自ら応募する可能性が低くなるという事なのだ。


これは良くないよね。と、いうことで、ウェブの知識があり、意見出来る外部の人間が選ばれえたという訳だ。このプロジェクトは遅いときは23時までになり、お昼休憩もないほどハードなものだったが、なかなか面白かった。


しかしこの仕事も6月末までの短期プロジェクトだったので、すぐに終わってしまった。

1月20日。合否結果はまだ出ていなかったが、今回ほど受かった気がしないものはなかった。そこで、mixiのPRプランナー資格試験コミュニティ の同志であるやすぞうさん(コミュニティの管理人さん)や、皆さんに、3次試験対策の勉強会をしませんか?と、持ちかけていた。


でもまあ一応、「合否結果が出てからにしましょう」ということでペンディングになっていたのだが、不合格が明らかになり、再度その話をすることになった。


そこで、3月中に新しいトピックを立てさせてもらい、実際に集まったのは4月11日(金)であった。


勉強会に行きたいと言ってくれた人は何人かいたが、急な出張や会議で1人減り、2人減り、結局その場に集まったのは、管理人のやすぞうさんと、Ritaさんと、私だけだった。


会場は、試験で使ったので集まりやすいかなということで品川にしたのだったが、不合格となった3人には、少々トラウマがあり・・・。私は私で、所用で約束の時間に遅れて到着する始末。今でも、お二人には申し訳なかったと思っている。


そしてようやく3人集まり名刺交換をして、自己紹介がてら話ていると、なんのあの素晴らしいコミュニティは、やすぞうさんが試験を受ける為の備忘録として作ったものだと言うことが本人の口から明らかになった。

( その割には、試験合格後も第4回のスケジュールを記載していたりと、素晴らしい管理ぶりに驚きます。)


方や、「PRの資格で、社長や支店長や部長にバシッと言える良いものはないかしら?」という理由で、たまたまそれを見つけたのが私なワケで…。


PRプランナーという資格をもともと知っていて、それでコミュニティに参加したのではなく、やすぞうさんのコミュニティを見て、「そんな資格があるんだ!」と知って、いまここに至る事を知り、やすぞうさんも驚いていた。



その後は勉強会らしく、どんな問題が出て、どう答えたか。などを食事をしながら話したような気がする。


で、その後は勉強会とは言っても今後どうするか?「合格している人が1人もいない勉強会では説得力がない」という話になったり、「スズセンさんという恩師は、審査基準さえ抑えておけばぜったい合格するはずと言っているので、それは間違いないだろう」などと私は私で言ってみたり。


とにかくそれぞれが課題となるような新聞の切り抜きでも良いし、何でもいいから持ち寄って、次回はそれをテーマに課題Bを解きませんか?という所まで話を詰めた。そして、「次回は5月に会いましょうか?」という事になり、駅でさようならした。



勉強会のその後だけれど、みんなそれぞれ忙しかったのもあり、結局開くことはなかった。

開くことはなかったけれど、文字だけであった同志と顔を合わせてあれこれお喋りしたことは、今でもすごく有意義な時間になった。