読者の皆様へ



私がPRプランナーになれた理由(わけ) を最後までご覧いただきましてありがとうございました。


積極的なPR活動をしたわけではないのに、読者の方が日に日に増え、メッセージをいただくようになったことをとても嬉しく思っています。このブログを通して、同じような病と今も闘っている皆さんからメッセージをいただき、互いに励まし合える仲になれました。ブログを書く前は少し戸惑いもありましたが、思い切って書いてみて、本当に良かったと思います。


現在の私は、幸いにも病気の再発もなく、元気に過ごしております。

しかし、この病に対しての世間の理解はまだ得られていないように思います。特に、働く(または働かなければいけない)女性にとっては、時として深刻な問題を抱えています。


誰もがなり得るこの病のことを考えると、体験した私だからこそ何か出来ることがあるのではないかと思っています。



PRプランナーとしては、平成20年度に日本パブリックリレーションズ協会の個人賛助会員となり、交流会や勉強会に積極的に参加し、現在はアイカンパニーという名称で、広報・PR支援組織の設立準備をしています。


今後は、アイカンパニー として、中小企業の皆様のお手伝いをしたいと考えています。


さらに、アイカンパニー・ブログ をご用意し、いち広報人の立場からお勧めの本や情報の発信。それに加えて、PRプランナーの地位向上のための委員会や、協会の賛助会員としての活動を通して、資格取得を目指す皆さんにも役立つ情報を提供できるようにしたいと思っています。


ブログをあなたのお気に入りに加えて下さったり、読者登録していただけると嬉しいです。

これからも、どうぞ宜しくお願い致します。




平成20年第1期 PRプランナー Kate(ケイト)より




アイカンパニー  http://ai-company.net/default.htm

アイカンパニー・ブログ  http://aicompany.seesaa.net/


2008年10月6日(月)、PRプランナーに認定しますと書かれた、昔とったお免状のような通知書が届いた。待ちに待った瞬間だった。


2006年に入った会社で右も左もわからず、広報担当に任命され、大規模な展示会を2度こなし、小さなセミナーも開いてきた。

リリースを書いて配ったり、業界紙の記者さんとお話したり。広告も出したし、雑誌へ記事も入稿した。


その間には、自分の入院があって、大小2つの手術があって、家の引越しも、リストラと会社の倒産も経験した。


それでも、どんな時でも、この資格だけは諦めなかった。やれば出来るってことを自分にも、周りの人たちにも証明したかったから。


PRプランナーは、ゴールじゃないことは良く承知しているつもりだ。

広報・PRの仕事は多岐にわたっていて、まだまだやることがたくさんある。これは、ひとつのスタートに過ぎない。



『広報経験2年弱の私が、どうやってPRプランナーになったのか』 第一章の終わりである。



PRプランナーKateとしての奮闘ぶりは、いつか第二章でお話したいと思っている。




PRプランナーという呼称を使って良いかどうかは、試験を管轄している協会が決める。


PRプランナーという呼称を使うにふさわしい人間かどうかが、ここで見られるのだと私は思っている。さあ、面接人申し込むぞ!と、思っていたら、なんと協会側から


「あなたは、PRプランナー補面接を既に受けているので、改めて面接する必要はありません。書類に必要事項だけ記入して申し込んで頂ければ結構です。

ただし、それでも面接を希望する場合には、面接を申し込んで頂いても構いません」


といったようなメールが来た。



要するに、一度PRプランナー補として認めてもらっているので、書類審査だけで良いですよと言っているわけだ。

面接を再度申し込むにはお金もかかることだし、書類審査だけで良いならそうしてもらおうと、書類だけ送った。


だけど、万が一のこともあるしちょっと怖くて、合否結果を待つことになった。


それでも、早くPRプランナーの名刺が欲しくて、新しい呼称の名刺の発注だけは済ませておいた。