DJ レインボー RYO こと、かたりましょうのたかしまりょうです。
今年もあとわずかで終わりますね。
やだー!
終わりなんてイヤだー!
と言っても、仕方ないんです。
年は必ず終わります。
いくらイヤだと言っても、
イヤーだから(笑)。
でも、終わるということは、
次が始まるということ。
何かが終わるときには、さびしさや辛さが伴うこともありますが、
新たなものが始まるということに目を向ければ、悪いことではありませんね。
「イヤだ」は別名、「執着」といいます。
「◯◯したい」「◯◯が欲しい」は、
願い、欲求、希望、夢。
これ自体は悪いものではありません。
いや、むしろいいものなんじゃないでしょうか。
次なるものへの原動力やモチベーションになるし、
ワクワクも続くでしょう?
そういう意味では、
夢も希望もあっていいと思います。
でも、この思いが強くなって、強くなりすぎて、
「◯◯じゃなきゃイヤだ」「◯◯が得られないとイヤだ」となると、
執着になります。
執着も、それ自体は別に悪いものではありません(物事に良い悪いはないので)が、
苦しさやしんどさを生むというのも事実。
ワクワクも終わります。
執着はワクワクの終着。
しかも、執着には際限がありません。
執着すればするほど際限がなくなって、
もはや再現できないくらいになることもあります。
どこまで行っても終わりがない。
そういう意味では、
執着は、終着だけど、終着がない。
どっちやねん!(笑)
はい、どっちもです(笑)
「◯◯でいい」「◯◯でよかった」と思える(感じられる)状態を、
「幸せ」といいます。
「◯◯じゃなきゃイヤだ」「◯◯が得られないとイヤだ」と思う(感じる)状態が、
「執着」でしたね。
「いい(よかった)」と「イヤだ」ですから、
正反対です。
つまり、幸せと執着は正反対ということ。
だから、執着すると幸せにはなれない。
正確に言うと、
執着しているときは幸せを感じられないんです。
幸せを感じられないどころか、
苦しかったりしんどかったりします。
苦しかったりしんどかったりって、イヤですよね?
そうでもない?(笑)
そうでもなかったらそれでいいんですが、
もし苦しくてしんどいのがイヤで、
楽になりたい場合はどうすればいいか?
思いを弱くすればいいんです。
思いを軽くすればいいんです。
思いを手放せばいいんです。
思いが強くなって重くなって手放せなくなると執着になるのだから、
思いを弱くして軽くして手放せば楽になります。
原理的にはそういうことですね。
だから、楽になりたければ(幸せを感じたければ)、
ものの見方を変えて(たとえば、「ない」ものを見るのではなく「ある」ものを見る)、
思いを「重い」から「軽い」に切り替えればいい。
でも、だからと言ってそうしなきゃいけないわけではありません。
それに、実際には、思いは思い通りにならない(変えられない)ことも多々ありますから。
楽がよくて執着が悪いわけではないんです。
ただ、執着すると苦しくてしんどいというだけ。
苦しくてしんどいかもしれないけど、
それだけ思いが強いということは、
それだけ大事にしている(思っている)ということ。
だから、何かに執着してしまっているときは、
苦しくてしんどくもあるけれど、
それだけ自分にとってはそれが大事なんだな、
自分はそれほどそれを大事に思っているんだな、
と思えば(認めれば)いいんです。
認めれば、問題ではなくなります。
認めないと、問題が生まれるので、
苦しさやしんどさは終着なく続きます。
執着を問題と見て、なくそう(取り除こう)とすればするほど、
問題はなくならない(問題であり続ける)ので苦しさもなくならないけど、
執着も問題と見ずに、それはそれでいい(仕方ない)と認めると、
問題でなくなるので苦しさもなくなる。
かもしれません(笑)。
重いも軽いもい〜んだよう〜♪
執着するのも手放すのもい〜んだよう〜♪
と歌ってゆれると、
少しは楽になるかもしれませんね。
しんどいことも、
はー、しんどー、と言いながらゆれればいいんです。
はー、しんどーもい〜んだよう〜♪
と歌いながら、
振動(笑)。
執着は、ワクワクの終着で、しんどさが終着なく続く。
執着は、しんどさの終着で、大事にする思いが終着なく続く。
どちらもあり。
好きなほうでいけばい〜んだよう〜♪
年の終わりに執着のことを書き始めたら、
イヤー長くなりました。
今日はこの辺で終着にして、
新たな道(新道)の始まりを楽しみにすることにしましょう♪