一休さん三球目 | たかしまりょうのかたりましょう♫

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かたりすと・高島 亮のブログです。

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一休さん3日目が、無事やってきました(^^)

昨日からの一休みは、本当に一休みですんだようです。
あー、よかった。

6月19日にはじまったこの「一休(19)さんシリーズ」、
8月10日にやっと(810)最終回を迎えました(わずか3回ですが)。





有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け



一休さんがお師匠さんから、
「人生とは?」(人はどこから来てどこへ往くのか?」)と訊かれ、
答えるときに歌ったものだそうです。


(または、禅の公案への答えとして、とも言われてます)



有漏路(うろじ)とは、「煩悩、迷い(の世界)」。

無漏路(むろじ)とは、「悟り、仏(の世界)」。


つまり、


人生というのは、煩悩の世界(この世)から悟りの世界(あの世)へと帰っていく間の

ほんの一休みみたいなもの。

だから、雨が降ろうが風が吹こうが大したことはない。


というような意味だとされています。



ちなみに、

この歌の「一休み」をとって、

お師匠さんが「今後は『一休』と名乗るがよい」と言ったので、

一休さんになったのだとか。


それまでは、「宗純(そうじゅん)」さんだったんです。


さらに、子ども(小坊主)の頃の名前は「周建(しゅうけん)」だったそうですから、

アニメの『一休さん』は、

本当は『周建さん』というのが正しいタイトルだったわけですねー。


さて、
漏とは、煩悩のこと。

欲や迷いがダダ漏れになっているから、漏という字をあてたんでしょうか?


昔、混沌(こんとん)というのっぺらぼうの帝に、

南と北の帝が7つの穴(目と耳と鼻と口)あけてあげたら、

混沌は死んでしまった。


という話が『荘子』に出てきますが、

目、耳、鼻、口はダダ漏れの元、煩悩の元、ということを示しているのでしょうか?



おもれ―♪(お漏れー♪)話ですね。


一休さんも、

「有漏は悪くて無漏がいい」「煩悩はダメで、悟りがいい」

と言いたかったわけじゃないような気がします。



人間だもの、煩悩も迷いもあるさ。

それをダメだと否定するんじゃなくて、

悟らなきゃダメだと躍起になるんでもなくて、

まあ一休みして、

人間だもの、煩悩が元で雨が降ることもあるだろうし、

迷いが元になって風が吹くこともあるだろう、

それもまたおもれー♪と認めていけば、

大したことはない、大丈夫だよ~。



そんなふうに言っているような気がします。



教え(言葉面)や形式にとらわれず、

人間をよく見て深く知っていただろう一休さんならではの、

一級品の歌だなあ、と思います。



というわけで、

お届けしてきた一休さんシリーズ。


2カ月近くもかけてわずか3日間でしたが(^^)、

1日に1球(一休)ずつボールを投げて、

無事3球を投げ終えることができました。



サンキュー(^^)♪