鳥越俊太郎氏の電子マネーを巡る発言が炎上気味のようである。
鳥越俊太郎氏(78)が電子マネー強制社会に怒り 「私たちは現金世代」
おっしゃることの意味は分からなくはないのだが、伝え方に問題があるのだと思う。
私が物心ついた頃から、私の父はクレジットカードを使っていた。たぶん70年代後半か80年代前半にはすでに利用していた。ダイナースカードだったと思う。まだ日本でのクレジットカードの歴史としては初期の頃だ。
なので、私もあまり違和感なく、大学生になるかならないかの90年前後にはクレジットカードを持っていた。学生用の「ぴあカード」だったと思う。VISAとの提携だった。「ワールドチケットぴあ」というのが登場し、日本から海外のミュージカルチケットがカード予約できたことを記憶している。
父は他界したが、鳥越さんは亡くなったうちの父よりは一歳若い。現在78歳。なので、「私たちは現金世代」というのはあまり正しくない。クレジットカードの普及という意味では、むしろキャッシュレスを推進してきたのが鳥越さんの世代だと私は思う。
ところで私は極力、日本でも海外でも現金は持ち歩かない。持ち歩くには現金という形態ではリスクが高いからだ。支払いの際に数えたり、お釣りを受け取るのも面倒だ。最近はApple Watchで大抵のことはできる。現金を使わずに決済できるものはすべて電子マネーかクレジットカードで済ます。
ただ、ひとつ気になっていることがある。例えば自分の子供と一緒に外食にでかけたり、買い物に行った時。子供に「現金支払い」という行為を見せることができない。支払ってもらっている「ありがたみ」を感じさせるというのは「ピピッ!」という音だけではできない。それでもクレジットカードへのサインが必要だと、多少は「セレモニー」の感がある。しかし20000円以内の支払いは、たいてい「ピピッ」とやってしまうので、子供に「ありがたみ」が伝わらない。
例えば、家族4人でちょっとしたファミレス程度のところに行ったとする。普通に7,8000円はかかる。下手をすればもっとする。これを支払うときに、「1,2,3,4,5…」と千円札を数えることで、8000円の価値は「1000円札が8枚」と可視化される。これがないと、800円も「ピピッ!」8000円も「ピピッ!」なので違いが伝わらない。このあたりが、子供のマネートレーニングとしては課題だと思う。
もっとも、その昔は「給料袋」という形で、現金で給与が支払われた時代に比べれば、今では多くの給与が銀行振込だ。すでに現金の持つ「価値」の「身体性」は多分に失われている。電子マネーの非身体性をことさら気にする必要もない。きっとなるようになるのだろう。
ところで、FAXという機械はすでに古臭いものだと、最近では「揶揄」されることが多い。だが市場から決して消えない。これは「紙→紙」という変換が未だ代替されていないからだ。「スマホ→スマホ」のコミュニケーションは、ここ最近は多く登場したが、それでも「紙」の情報をダイレクトで「紙」に変換して瞬時に届けるコミュニケーションはできない。だから、この市場においては今でもFAXが独占状態なのだろう。
ちなみに「ポケベル」というツールが消えたのは、ポケベルの独占機能はすべて「ガラケー」に吸収されてしまったからだ。。。
という意味で、仮に鳥越さんの立場に立って、どうしても「現金」の普遍性を主張したかったのだとしれば、「自分は現金世代」「落ち着かない」「お釣りのときに会話が・・・」といった、ふわっとした言葉ではなく、「電子マネーでは決して代替されない現金ならではの機能は何か」に限定して話せばよかったのである。
亡き父の世代でもあり、著名ジャーナリストの鳥越さんに敬意を払いつつ。。。