陰か、陽か。どっち? その2
前回は、妻の腹痛を例に、陽気不足を補う「人参湯」と、「陰気不足」を補う「小建中湯」を区別することを書きました。
今回も、「人参湯」と「小建中湯」を使い分けた例を検討します。
≪35歳 男性 主訴 疲労倦怠、食欲低下≫
春先に、かなり細身で長身の方が尋ねてこられました。
訴えは、いくつかあります。
①とにかく疲れて動けない。
②朝、起きないといけないのに目が開かない。
③朝の起き抜けは、声が嗄れて出ない。
④疲れすぎて、ご飯が入らない。
⑤冷たい物を摂ると、急に胃が痞えて、しんどくなる。
何故、そんなに疲れるのか、お仕事を尋ねると、食品系の自営業をやっていて、そんなに重労働ではないが、一人で何もかもやらないといけないから、かな?
<漢方的な考察>
これらの訴えを、「陰気不足」と「陽気不足」という観点から見てみると、
「陰・陽」で単純に仕分けられないように、症状が込み入っています。
労働をして筋肉を使うことは、「血」を消費することです。
「血」という「陰」を消費するので「陰気不足」になります。
①疲れて動けない、③声が嗄れる、は「血」の不足です。
しかし、④疲れすぎて、ご飯が入らない、となると、胃の「陰気不足」でも起こりますが、「陽気不足」の感じがします。
さらに、⑤冷たい物を摂ると、胃が痞える。
これは、まさに胃の「陽気不足」そのものです。胃の「陽気不足」=胃が冷えているので、そこをさらに冷やされると、痞えてしまいます。
この方の今の状態は、「陰気不足」・「陽気不足」の2パターンで分けられない、もう一段、深いところまで、体力的に落ち込んでいるようです。
<漢方の薬理から>
今度は、漢方の生薬の薬理から、「陰気」・「陽気」を考えてみます。
全ての生薬をその働きから、大まかに辛味・苦味・甘味に分けてみます。
ピリ「辛味」は、生姜、肉桂のように身体を温め、エネルギーを外に発散させるので、「陽気」を補います。
逆に、「苦味」は、口に入れると口がキュッとすぼまるので、身体を引締めて冷やすので、「陰気」を補います。
では「甘味」は、どう働くか?
甘味を摂ると、ホッとして身体が緩んできます。これは甘味が体液=「血」の元を作って身体を栄養するからです。
人体の「陰気」「陽気」も、「気」だけでは存在できません。
甘味が作る「血」という土台があって、始めて働けるのです。
言葉の上で混乱しそうですが、「血」という物質も、「陰・陽」で分けると、体内を潤して冷やすので、「陰」の性質があります。
だから「血」が不足しても、「陰気不足」で熱が出ます。
しかし、「血」の不足が限度を越えると、胃が動かなくなって、「陽気」も作れなくなります。
この患者さんの今の状態が、「血」の不足がひどくて、「陽気不足」にまで陥った状態だと考えられます。
もう一度、患者さんの診察にもどると、
<舌診>
まず舌を診せてもらうと、表面はパサパサに乾いています。
しかし、舌じたいの色は、血の気がなくて白っぽくなっています。
舌の表面のザラザラが、一部分、剥げてツルツルになっているのは、「血」の不足を示しています。
口が乾くか尋ねると、いつも口が乾いて、少しずつ温かいお茶で潤している。
この、「口が乾くが、温かい物を飲んでいる」というのが、内部で「血」が不足して、「陽気」も無くなった状態をよく表わしています。
<脈診>
つぎに脈を診ると、
沈んで、細くて、少し緊張した硬い感じです。
脈の細いのは、「血」じたいが無くなっています。
沈んでいるのは、脈を上に浮かせる「陽気」が無いから。
緊張した硬い脈は、「血」が無くて流れが詰まった感じでしょうか。
<腹診>
今度は、お腹を押さえさせてもらいます。
「人参湯」の良い腹証図がないので、「半夏瀉心湯」で代用します。
この腹診が決め手になりました。
心窩部からお腹の真ん中あたりまで、硬く張っていて、そこらを押さえると痛がりますが、いちばん痛がるのは、心窩部ではなくてお腹の中央あたりでした。
この腹の中央の痞えと圧痛は、生薬の「人参」の治すものだとされます。
<治療>
「人参湯」の主薬は、もちろん「人参」です。
人参
「人参」を噛んでも甘くはないのですが、薬理上は甘味とされます。
胃の「血」の元を作りだす、もっとも強力な生薬です。
その滋養強壮の効果を尊ばれ、栽培品でも高価な生薬です。
胃腸が弱ったときに、胃じたいを元気にして働かせます。
「人参湯」に、さらに胃腸に「血」を増やすように「茯苓」加え、全身の「陽気不足」があるので、強力に「陽気」を補う「附子」を少量加えました。
この煎じ薬の7日分を服用して、うんと身体が楽になって、食欲も出てきました。
さらに2週間分を服用して、元のように動けるようになったので、そこで治療はいったん終わりました。
<夏バテに「小建中湯」>
7月半ばになって、夏バテで、またお見えになりました。
外で働く仕事があると、熱中症のようになる。
すごくしんどくて、動けない。
頭がのぼせる。
汗が出ない。
しんどくて、ご飯が入らない。
まず、脈を診せてもらうと、今度は、表面に浮き上がって薄く広がって、押さえると、中は力が抜けています。
これは、「陰気」が無くなった状態です。
「陰気」は、外にある「陽気」を引き締めて、内に収斂させる働きをします。
「陰気」が無くなると、内に引き締める力が働かず、外に「陽気」が散らばってしまいます。
この脈は、その状態を表わしています。
「陰気」が無くなると、内部に熱が多くなるはずですが、この方の場合は、今回もすこし複雑なことになっていて、熱中症になりそうなのに、あまり口が乾かない。
舌を診ても、やや潤って見えます。
脈は「陰気不足」の「小建中湯」で間違いなさそうなのに、口が乾かないのは、解せません。
この方の本来の体質は、「陰気不足」の「小建中湯」が合う体質なのでしょう。
しかし、そこを無理して働きすぎると、「血」が無くなってしまい、「陰気不足」を通りこして、「陽気不足」に陥るのでしょう。
いまは、半ば「陽気不足」に陥りかかった段階ではないでしょうか?
つぎに、お腹を診せてもらいました。
今度は、腹直筋が上から下まで突っ張って、まさに「小建中湯」のお腹になっています。
「小建中湯」は、苦味の「芍薬」が、他の薬の倍量入っていて、「陰気」を補って、緊張した筋肉を緩めます。
また、「芍薬」以外の「甘草」「大棗」「膠飴」の甘味が、強力に「血」の不足を補います。
とくに「膠飴」は、漢方専用に作られたアメで、胃の「血」の元を作りだします。
膠飴(漢方用のアメ)
「小建中湯」の煎じ薬を服用して、1日分で、熱中症みたいな逆上せが引いて、身体が楽になりました。
7日分を服用して、食欲も出てきて、その年の夏はなんとか乗り切れました。
写真は、店の横に植えたツバキ
去年はほとんど咲かなかったのに、今年はいくらでも咲いて、あたり一面にこぼれています。
腹証図