陰か、陽か。どっち?
陰・陽の模式図
陰陽は絡み合って存在する。陰の中に陽、陽の中に陰を含んでいる。
<ミニ治験例>
夕べ、寝るころになって妻が、「お腹が痛い」と言いだしました。
いつから? 晩ご飯を食べたくらいから、少しずつ。
夕食後に、散歩にも出ているし、そのあと、お茶とお菓子も食べているから、劇痛がする、というわけでは無さそう。
そのうち治ると思っていたけど、だんだん痛みが強くなってきた。
それでも、痛みに顔をゆがめて、身をよじって、というほどではない。
ふつうの、お腹の痛さ。
痛む場所は、お腹の真ん中あたり。心窩部(みぞおち)とか、下腹部、肋骨下(脇腹)とかではない。
場所的に、胃の痛みだろうと思います。
痛みの程度から、夜中に漢方薬の煎じ薬を作るほどではあるまい。
エキス剤の粉薬で、間に合わせようと考えます。
では、漢方の処方は何にするかといえば、選択肢は2つに絞られています。
「人参湯」か、「小建中湯」、どちらかです。
漢方医学の理屈は、「陰と陽」を基本に作られています。
人間の身体の中を巡って、生命活動を行っている、エネルギーを「陰気」と「陽気」の2つのエネルギーの不足・過剰で、病気の状態を考えます。
陰陽論 すべての事象を陰・陽に分けて考える
「陽気」の性質は、身体を温める。
内から外、下から上に向かって、拡大・発散的に働く。
逆に「陰気」は、身体を冷やす。
外から内に、上から下に向かって、収縮・下降的に作用する。
先の「人参湯」と「小建中湯」の作用を、「陰気・陽気」で考えます。
<人参湯の薬理>
「人参湯」は、お腹の「陽気」の不足を補う処方です。
要するに、胃腸が冷えて起こすいろんな症状、腹痛・下痢・嘔吐・食欲なし・身体が冷える・元気が無い、などに使います。
ふつうの生活をしている、ふつうの体力の人が、急にお腹が痛くなった、という時に、だいたい使えます。
<小建中湯の薬理>
いっぽう「小建中湯」は、お腹の「陰気」を補う処方です。
「陰気」が不足すれば、「陰気」は身体を冷やすエネルギーだから、少し熱が出ます。
また「陰気」は体内で「血」を増やし巡らせるエネルギーだから、「陰気」が不足すれば、筋肉に血が不足して、筋肉が引き攣れます。
また「陰気」が無くなっても、胃腸の動きが悪くなるので、食欲が無くなり、便秘・腹痛が起こり、手足がだるく、ぐったりします。
「小建中湯」は、こういう筋肉の引き攣りによる腹痛に効果を発揮します。
お子さんの、腹痛や、運動会の練習が始まったら出る発熱にも、よく使います。
「人参湯」「小建中湯」と、「陰気・陽気」の関係が分かったところで、では、それを現実の患者さんの病状に、どう当てはめて、判断するのか?
「人参湯」なら、「陽気」が不足している=胃腸が冷えている。
「小建中湯」は、「陰気」が不足している=胃腸に熱がある。
では、胃腸の状態は、どうやって診察できる?
<舌診>
簡単なのは、舌を診ることです。
舌は、胃腸などの内臓の状態を、目で見て、外から確かめられる器官です。
胃腸が冷えていれば、舌は湿っている。
胃腸に熱があれば、舌は乾いている。
だから「人参湯」の舌は潤っています。
ただ、「小建中湯」は、「陰気」が不足しているだけで、体内に「実熱」が詰まっているわけではないので、舌はやや乾燥気味、という程度。
舌が赤くて、カラカラに乾燥していれば、別の処方になります。
この時の妻の舌は、やや湿り気味でした。
ふだんから、妻は、胃腸に水分が多めの体質なので、舌は湿り気味です。
だから、いちおう「陽気」不足の方に、ポイントを付けておきます。
<脈診>
つぎは脈を診ます。
「陽気」が不足すると、外に向かって拡張するエネルギーが無いので、脈は小さく、沈んで触れにくくなります。
逆に「陰気」が不足すると、内に向かって収縮するエネルギーがないから、外に向かって拡張して、大きく張り出した脈になります。
妻の脈を診ると、比較的、手に触れやすい脈のように思えます。
この脈は「人参湯」の、胃腸が冷えて弱った状態ではなくて、「小建中湯」の、内部に少し熱があって、筋肉が緊張した状態のように見えます。
舌診は「陽気不足」の「人参湯」、脈診は「陰気不足」の「小建中湯」と、食い違った情報を示しています。
脈診か、舌診か、どちらかに確信があれば、それに従いますが、いまはどちらとも決めかねます。
<分からない時は安全なほう>
そういう場合にどうするかというと、たとえ間違えても選んだ結果が、より害の少ない方を選びます。
妻のいまの状態が、「陰気不足」=胃腸に熱がある状態だったとして、そこに間違えて「陽気不足」を補う「人参湯」を飲ませても、胃腸を働かせる「陽気」が増えるだけで、急に症状が悪くはなりにくい。
逆に、「陽気不足」=胃腸が冷えているときに、間違って「陰気不足」を補う「小建中湯」を飲ませるとどうなるか。
胃腸は余計に冷えて、腹痛はさらにひどくなるでしょう。
これは「陽気」と「陰気」の性質の違いを説明しないといけませんが、「陽気」は「陰気」よりも素早く動いて、すぐに失われやすいものなのです。
「陰気」は、動きが遅く、すぐに増えたり減ったりはしにくい。
だから、漢方薬でも針灸治療でも、「陽気」を補うことを治療の中心に置いて、「陰気」を補う=「陽気」を取り除くことは、慎重に行います。
<まず人参湯>
それで、店から「人参湯」のエキス剤の粉を持ってきて、1服を飲ませました。
もし、余計にお腹が痛くなるようなら、夜中でも起こしてくれ。また、別の薬を持ってくるから、と言って、そのまま布団に入りました。
そのまま夜中に起こされることもなく、朝を迎えました。
しかし、実は眠ることはできたけれど、それで腹痛が治ったかというと、これが、治っていない。
朝になっても、まだお腹の痛いのが続いています。
やはり判断を間違えていました。
寝る前に、急に腹が痛いと言われて、より無難なほうを選んだせいです。
<正解は小建中湯>
妻が、「人参湯」の粉を飲もうとするのを止めて、今度は「小建中湯」の粉を持ってきます。
それを飲んだら、10分もしないうちに、夕べから続いていた腹痛は、なんとなく終わっていました。
その後も、何度かぶり返しそうだったから、その日は3、4回、「小建中湯」の粉を服用しました。
考えてみると、前日の夕食と今日の朝食も、ふだんと変わりない調子で食べて痛し、朝夕のお散歩もふつうに歩いていたから、胃腸の「陽気不足」=胃腸が冷えて弱った状態ではありません。
こういう食欲や体調を考慮することと、脈で診た状態をどう考えるか、その判断力を高めていかないとならないようです。
いたって軽めの腹痛で、エキス剤の粉で対処できる範囲の病気だから、すぐに答えが出たので、よい勉強になりました。
花の写真は、上から、シダレザクラ、マンサク、シモクレン、ナノハナ
うちの近所で春先に見られる花です。