瘀血剤の経験 その1
漢方医学の中に「瘀血(おけつ)」という考えがあります。体内に停滞して固まってきた血液が、いろんな悪さをするという考えです。
漢方を勉強し始めた40年前から、瘀血が重要な漢方の理論で、瘀血に対処するいくつかの処方も重要なものだということは、分かってはいました。
しかし実際の患者さんをみて、これが瘀血の状態だな、というのが身をもって分かり始めたのは、比較的最近のことです。
そういう患者さんの例を、いくつか検討してみます。
例、 40歳 女性 がっしりとした骨太の体格 明るい性格
《経過》
以前から、生理の周期に関係するひどい頭痛と肩こりで、針灸治療と漢方薬を併用されていました。
漢方薬は肝臓の熱を冷ます「柴胡剤」と腎臓・肝臓に血を増やす「六味地黄丸(ろくみじおうがん)」を合わせていました。
生理が遅れたりとんだりし始めたころから、更年期的な逆上せやイライラが強くなってきたので、六味地黄丸を「桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)」に替えました。桂枝茯苓丸は、瘀血剤の中では作用は穏やかで無難な処方です。
《主訴》
今回、夕方にお電話があって、「いよいよ更年期も極まってきました。」と。何のことですかというと、ここ最近、イライラがつのって来たけど、夕べは「イ~ッ!」と大声で叫びたくなった。そして「イ~ッ!」のときに頭の奥が堪らなく痒いような気がして、爪をこめかみに立てて我慢していた。
そのせいで夕べはほとんど眠れなかった、とのこと。
それで仕事終わりにすぐに来てもらって、詳しくお話をうかがいました。
恐ろしいのが、最近のイライラや「イ~ッ!」には何の原因もなく、ただむやみに理由なく腹が立つことです。
職場の人と揉めたりしたらまずいなと思いましたが、日中はそんなに気にならず、夜になったら起こる症状のようです。
実は、夜間に症状がひどくなるというのは、瘀血の特徴でもあります。
他の症状を尋ねると、顔が逆上せて赤くなっている。顔は熱いのに足は痛いほど冷える。
頭痛や肩・首のコリもひどい。
口が渇いて、冷たいものを飲んでいる。
こんなに気分的にイライラしても、ご飯はしっかり食べている。
お通じは、少し緩い目。これは瘀血剤を使うのに迷うところです。瘀血剤には多くは便秘を下す働きのものが入っているからです。
《診断》
ベットに横になってもらってお腹を押さえると、下腹ぜんたいが堅く張ってもいますが、お臍の左斜め下が特に堅くて、また強く痛みます。
臍の左は、お腹に瘀血が溜まってくると最初に痛みが出る場所です。
下の図は小川新先生の腹診の本に出ている、桃核承気丸の人のお腹。黒い部分が押さえて堅くしこっています。お臍の左下に斜めに堅いしこりが描いてあります。
次に膝の内側の「曲泉」というツボを押さえると、泣くほど痛いといいます。ここは肝臓につながるルートの通り道で、瘀血があると痛む場所です。
舌の乾きと冷水を飲んでいるのは、体内に熱が充満していることを示します。内部には熱が詰まっているのに、足は氷のよう冷たいのは、瘀血のせいで血と気の巡りが阻まれているからです。阻まれた熱気は、上に突き上げて、逆上せになっています。
この方の「瘀血」を除くのに、「桂枝茯苓丸」では力不足だったのでしょう。
もうワンランク上の瘀血を除く力の強い「桃核承気湯(とうかくじょうきとう)」が必要だと思いました。
《桃核承気湯について》
桃核承気湯の主薬は、桃仁(とうにん)です。桃核ともいいます。モモの種のなかのお宮さん。アーモンドのような形です。
リンゴの種でも噛むと、イヤなツンとする臭いがしますね。確かに桃仁にはアミグダリンというシアンの化合物が含まれていて、多少の毒性があります。植物の種には次の命の元になる、キツいエネルギーが詰まっているのでしょう。
そういう毒性の部分が、動かなくなって固まった血を溶かして流し去る働きをします。
江戸時代にも、桃核承気湯は服用に便利なように「桃軍円(とうぐんえん)」という名前の丸薬としてよく使われました。この「桃」はとうぜん桃仁ですが、「軍」のほうは「大黄」を指しています。
「大黄」はタケダの漢方便秘薬の主薬で、体内に詰まった熱気や血、不消化物を強力に下す力があるので、「将軍」のあだ名があるのです。
さらに「芒硝(ぼうしょう)」が入ります。芒硝は硫酸ナトリウム。塩類下剤として大黄とタッグを組むと、体内に停滞した熱気や?血を下して排除します。
また「桂皮(けいひ)」はシナモン。ニッキです。瘀血のせいで下腹部に熱が停滞すると、上に向かって逆上せが上がります。桂皮は熱気を上から発散して逆上せを収めて、エネルギーを滑らかに循環させる作用があります。
昔の漢方医書『傷寒論』には、「熱が下腹に詰まると狂ったようになる。不正出血があり、下腹が引き攣れて痛むのには、桃核承気丸が良い。」とあります。
強い瘀血ができると下腹が張って痛み、出血し、精神状態が変になる、ということが書いてあります。じっさいに、お産後の精神異常などにも使われてきたようです。
《治療》
この方にも服用に便利なように煎じ薬ではなくて、メーカーが作った丸薬、「桃核承気丸」をおあげしました。
さらに顔の逆上せ、口の渇き、さらに精神的な症状が強いのは、心臓の熱が旺盛なことを示しているので、心臓の熱を冷ます、「黄連解毒湯(おうれんげどくとう)」を加えることにしました。
もしこのお薬でダメだったら、もっと強く働く煎じ薬にしますから、すぐにお知らせ下さい、と念を押しておきました。
さいわい、この組み合わせで1週間のんでもらうと、イライラが無くなったりはしませんが、「イ~ッ!」のほうは1回だけになりました。
もとから軟便気味だったので、大黄+芒硝の作用で下痢しないかと、そこだけは心配していましたが、何も変化は無かったようです。これが漢方薬の面白いところで、体質の本当の大元のところにピタリと合えば、取り立てて悪いことは起こらないようです。
この処方を続けてもらえれば、更年期も無難にやり過ごせるだろうと思います。
写真は、朝の散歩のときに撮った各種のウメです。