瘀血剤の経験 その2
前回のブログ「瘀血剤の経験 その1」で少し紹介した、小川新せんせいの遺著『古今腹証新覧』には、瘀血には2つのタイプがあるように書いてあります。
前回に扱った「桃核承気丸」は下腹部にできる瘀血です。臍の左下から始まって下腹ぜんたいに広がります。下腹の張りや痛み、生理のトラブルなど下腹部に関する症状が中心になります。
それとは別のタイプの瘀血を小川先生は考えていました。瘀血のできる場所は、脇腹からみぞおちにかけて。臓器でいうと肝臓や胆のうが関係します。先生は「肝実瘀血」という言いかたをしました。
下腹部の瘀血が、生理のトラブルや下半身の打撲傷などから出来てくるのに対して、肝実瘀血は、風邪や扁桃腺などの熱病をくり返して、熱が肝臓に慢性的に停滞することで出来上がります。
また精神的なストレスを抑えこんでいても、やはり肝臓に熱気が停滞して、やがて瘀血になっていきます。
コンピューターを仕事で長い時間使う人は、目と脳を酷使してストレスを溜めこむことになります。
漢方医学では、ものごとを計画したり、判断をしていくのは肝臓・胆のうの働きだとしています。また目も肝臓の血を消費して、ものを見ていると考えます。コンピューターやスマホの画面を長く見ることが、肝臓には負担になります。
その結果、肝臓の血が乾いて、肝実瘀血が出来てきます。
例 35歳 男性 痩せて筋肉質の身体つき
《主訴》
冷え性、手足が冷たい。 肩こりがひどい。
男性で、冷え性を主に訴えて、漢方薬を求めて来られる方は珍しいと思います。さらにこの方のお話をうかがうと、疑問がふくらみました。
この方は趣味とはいえ、毎日のようにかなりハードにランニングをこなしています。また、休日にはスポーツジムで筋トレをするのも楽しみだそうです。
ふつうの考えでは、運動をすれば、全身に血が巡って、汗もかくし全身が熱くなるし、もちろん手足も温もるはずです。
それなのに何故、この人は冷え性を訴えるのか?
《診断》
治療室のベットに横になってもらって、お腹を押さえてみました。
そのお腹がとにかく堅いのです。
この図は、小川先生の腹症の本の「四逆散(しぎゃくさん)」の人のお腹です。左右の腹直筋が、肋骨の付け根から、お臍の下の方まで、ギューッと突っ張っています。
この人のお腹も、この本の図とよく似ていました。運動で鍛えられて、無駄な脂肪がないので、いっそう筋肉の突っ張りが目立ちます。
お腹ぜんたいが堅くブロックされていて、押さえられて痛む場所はどこにもありません。
他の体調をたずねてみると、
食欲はしっかりあります。食欲が落ちたり、胃の不調はありません。
便秘気味。しかし便秘薬を使うほどではない。
水分はよく取っている。 舌も乾いて赤みがありました。
寝つきが悪く、寝てからも睡眠が浅い。
小便の具合はふつう。
《四逆散について》
「四逆散」は漢方古典の『傷寒論』にでてきます。よく似た名前の「四逆湯」の仲間につづいて出てきますが、四逆湯と四逆散はまるきり中身のちがう処方です。
四逆湯は、身体を強力に温める「附子」が主薬です。全身が冷え切って、陽性のエネルギーが尽きかけているときに、救急で使う処方です。
「四逆」とは手と足が冷え切って、その冷えが体幹に迫ることを言います。
いっぽう四逆散は、肝臓に詰まった熱を取り除く「柴胡」「枳実」「芍薬」が組み合わさった処方です。
これが何故、似た名前になっているのか? それは身体の内部に熱気がギュッと詰まると、外に熱エネルギーが出られなくなって、手足が冷える場合があるからです。
内部に熱は詰まっているので、口は渇いて舌も赤い。やや便秘がちです。
内部に熱が詰まって外に出られないのを、精神的な状態に置きかえてみると、心に怒りや不満が鬱屈して、感情が素直に表現できない、つまり気ウツの状態になります。
江戸時代の名医、和田東郭によれば、腹直筋が棒のように突っ張っている患者を診たら、「怒りは無きや? と問うべし。必ず、イエスと答えるだろう。」と。
最近は、みんな気ウツを病んでいるから、慢性病の患者百人を診れば、五~六十人は四逆散に加減して処方している、と。
なんと日本人は江戸時代から、ストレスからの気ウツに悩んでいたんですね。真面目すぎる困った国民性です。
《考察》
この方もご本人の考えでは、趣味でランニングやジムでの筋トレに励んでいるのでしょうが、なにか真面目でひた向きに、どこか仕事のように取り組んでしまっているんではないでしょうか。
運動こそ、もっともストレスの発散に有効に働くはずなのに、運動によって筋肉と頭脳を酷使して、血を浪費するので、余計に筋肉と頭脳で血が不足して、筋肉は強張って肩こりがひどくなり、気分的にも追い詰められるような、悪循環に陥っているように思います。
四逆散は、柴胡と枳実が肝臓に詰まった熱気を発散させて、内にこもった気分を外に解放させます。
芍薬と甘草は血行を良くして、筋肉と頭脳の緊張をほぐし、気分を和らげます。
《治療》
四逆散は、たった4味の単純すぎるお薬なので、そこに別甲・茯苓などを加えた「解労散(かいろうさん)」という処方にしました。
別甲(べっこう)はメガネのつるや櫛などにする海亀の甲羅ではなくて、スッポンの甲羅を乾燥させたもの。筋肉や気分がギュッと固まったのをほぐす働きが強力にあります。
解労散はがんこな肩こりや、お腹の中のしこりによく使われる処方です。
解労散を7日分、服用してもらうと、頑固な冷え性や肩こりはすぐには変化しませんが、まずお通じが毎日、するっと出るようになりました。
またお腹を押さえてみると、表面の強い緊張が緩んできています。ただし、深く押さえると、内部の筋肉の強張りはまだ続いています。
この処方を続けていけば、やがて頑固な肩こりと手足の冷えも緩んでくるでしょう。
写真は2月に近所で咲く花。 上からツバキ、蝋梅、山茶花。