『エゴ』と『本音』の見分け方【心の声を聴く】 | 傷だらけの人生を愛ある人生にする。

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【3児の母×シンママ×心理カウンセラー】親子関係、夫婦関係、鬱、モラハラDV/傷だらけで孤独な人生から繋がりを取り戻しすための取説。


 

 

 

どーもこんばんは、心理カウンセラーの奈美ですサングラス

 

 

ご質問をいただきました!それがこちら。

 

【エゴと本音の見分け方】

 

これは私にとっても、誰にとっても深いテーマになるなぁと思い、今日も奈美なりに、奈美節で語りたいと思いまする。

 

 

まさにこれって『ありのままの自分で、自分らしく生きる』ことに繋がるとも思うし、このテーマ興奮した。

 

 

しかも今の私にとっては難しい、だからこそ燃えた(やっぱりこういう奴だ私は)

 

 

いきなり余談から入るけど、私はエゴとか『闇の深さ』が見えると大興奮する変態っす。

っていうのも、その真逆にある『光の強さ』もめっちゃ感じるからなんよね、だから変に取り繕おうとせずに闇は闇!で出していただけると、『よっしゃこの闇からでっかい恩恵探すで』ってなるし、ドロドロ闇の深い話を聞いてても、なんかキラキラしたものも感じる。

 

これは私の『感覚』なんだけどね、でもその証拠である価値魅力才能が闇の中に埋もれてるだけだから、私はそこにスポットライトを当てるお手伝い。

 

(今日の話はこの『感覚』めっちゃ出てくるで)

 

 

さて本題。

 

 

ぶっちゃけ言うと、ハッキリ見分けようとせんでええやん!と思うの。すんません、元も子もない。w

 

あ、でもちゃんと説明はしますよ!

 

 

白黒ハッキリさせたいタイプの人はあれこれ思考が動くと思うけど(私も結構このタイプである、もはや考えるのは趣味である)、グレーゾーンを許すことも大事でっせ!って先に言うときますわね、よいしょ。

 

 

でもそりゃあ、エゴより本音を選んだ方が、幸せな方向にはいく、エゴは自分を幸せにしない声でもあるのでね。

 

だがしかしやで、エゴの声だって一応本音ではあるんやで。

自分が傷付くことから守るためのものでもあるんやで。


 

 

エゴ。

 

心の痛みの声。怖れの声。欲求の声でもある。

 

怖い、こうなりたくない、やりたくない、どうせこうでしょ?離れたい、これがしたい、助けたい、なにかしてあげたい。

 

この中にも『愛』を感じてやることってあるし、『罪悪感、無価値感』を感じてるからやりたいのもあるし、ネガティブな感情ポジティブな感情どっちもあっても、そういうもん。

 

だって、ネガポジ表裏一体なんやから。

 

 

 

だからハッキリ見極める!ってより、心地良さが勝ってるならそっちを選べばええんやない?と思うのよ。

 

こうしなきゃ…とか、『べき、ねば』思考で選ぼうとしてるならそれはエゴやない?って思えばいいし、やりたいことやってないとかも。

簡単でわかりやすいのめっちゃざっくり言います↓

 

 

この色が本音

この色がエゴ

 

私がこれまでにあった過去のもので例えますわね。

 

 

ほんまはもっとゆっくりしたいけど

ご飯作って子供たちお風呂入れて寝かせなあかんな…あたししかおらんし。

『だから頑張ろう』←これは今もあるわ、褒めて

 

ほんまは誰かに助けてほしいけど

弱ってる自分を見せるのはかっこ悪いな…こんなことも1人で解決できん自分って悔しいな。

『だから1人でやろう』←依存心抑圧(自立しすぎ)もはや1人でやるのがデフォルトにさえなってた。

 

ほんまはもっと自分の欲を出したいけど

重たい女やと思われて引かれたくないしなぁ…言うのが怖いわ。

『だから平気なフリしよう』←自己嫌悪隠していい子ぶってた可愛いあの頃

 

 

書いてみたらわかるけど本音って、心の声ってめっちゃシンプルっしょ。

 


一方エゴの声ってお喋りなのよ。

ごちゃごちゃ言うてくんのよ。



実際はもっともーっと、複雑でややこしいものやけど。

 


 

たまにはサボってええやん

無理せず頼って甘えたらええやん

素直に伝えりゃええやん

 

 

ってのを『自分に許可』しましょーね!ってことなんやけど。

あ、今はできるようになってきたよ。

そうしたいな、と思ったら素直に。

いつも常に思ってるわけじゃないからね。

 

自分の本音(感情とか欲)を許可できないと、行動に移せないんよね。

 

 

まずは、エゴの声も受け入れる、そこにあるものはあるんだから、それは受け止める。それも今の自分!

 

 

 

 

エゴも本音も、瞬間的に、無意識に発せられることが多いし、完全に、完璧に見極めようとすればそれこそ何も出来なくなってしまうと思う。

なので完璧主義の方は要注意(ちょいブーメラン)

 

これも既に書いたけど、白か黒か!思考の方は、グレーゾーンを許しましょう。(はーい)

 

 

 

大事なのは『感じる』ということ。

 

 

どれがほんとに欲しい?

どれを選ぶ方が気分がいい?

 

 

自分の感じていることを無視して、自覚なく瞬間的に思考を使ってエゴの声って発せられてる。

 

 

これまではこうだったから、とか

いつもこうしてるから、とか

習慣になっていることでも一旦、どうしたいか、どう感じているか、意識し直してみるといいと思う。

 

 

こうしたいな、これが欲しいな、こう感じているな、という感覚。

自分が心地よい方を感覚で選ぶ。

 

 

 

選んでやってみたら

 

『やっぱり感覚は合ってた!』

 

と思うこともあれば

 

『感覚と違ってたな〜』

 

と思うこともあるかと思うけど、その違いも自分で知っておくと、本音とズレがある時も段々と気付けるようになると思うんよね。

 

『こういう感覚で選んだ時はやっぱり違うな』

『こういう感覚で選んだ時は満足するな』

 

感覚って、体感とも言える、心がザワつくとか、なんか体が硬直するとか、ワクワクして心躍るとか、なんか心臓がギュッとなるとか、ゾクゾクするとか。人によって感じ方それぞれだから説明しづらいけど!

 

日常的に意識してみると、自分の感覚で選んでいる時のぴったり感とか、感覚とズレている時の違和感とか、何となくでも感じられるようになると思うんよね。

 

これは『直感』を育てるにもいいと思う。

 

 

 

 

自分の本音を無視し続けると拗れていくのは結婚生活でもよーーーくわかったんだけど、本来の自分が失われていくからそれだけでストレスがかかるのよね。

本音を抑え込むのにもエネルギーがかかるわけで。

 

 

 

もっと遊びたーい!

でも仕事しなきゃ…

 

 

いやまぁ、現実的には仕方ないんだけど…この程度なら誰でもあるでしょ?

 

ややこしいのは、この場合だと『もっと遊びたい』本音を後回しにしてないか?ちゃんとその本音に気付いてるか?ってとこでもあって、仕事せず遊べばええやん!って短絡的な話ではなく。気付いてるならまだいい。

『遊びたいけど仕事しなきゃ』が悪いわけでもなく、こういうのみんなあると思うから、そんな自分をもっと褒めてもええんやで!ってことと、思考を選ぶクセがついてるとそもそも『もっと遊びたい』ことすら忘れてしまうこともあるのよ。

その反動で、えらいこっちゃなることもある。

(元旦那がまさしくこれだった)

 

 

『遊びたい、もっと自由がほしい』

と思った瞬間に

『それはできない』と思ってしまってて、エゴの声って大きいものだから、本音の声が埋もれちゃうのよね。

 

 

自己犠牲がクセだった私もそうだった時期あったけどね〜!

似た者夫婦やったな!

 

 

いい見本が3人もいるのにね、子供っていう、本音丸出しの可愛い生き物が。

 

 

 

 

『自分が感じていること』

『自分がしたいこと』

『自分が求めているもの』

 

これら本音を、過去の経験から『思考(エゴの声)』によって抑圧してしまうんだけど、それは『過去の痛み』があるから↓こんな風に

 

『またああなったらどうしよう』

『こういう時はこうするべきだ』

『あの時こうだったからきっとこうだ』

 

これら、頭で考えて導き出したこと。

 

 

拒絶されたから、バカにされたから、誰かの価値観に自分の意見が押し潰されたから、こうしないと苦しくなるから、他と違うことをしたら怒られたから、やりたいことができなかったから、望みが叶わなかったから…

 

過去の傷が、自分の心を守るために、思考が働く。これは防衛本能とも言えるから、悪いものでもないんだけどね。

 

 

正解を求めて自分の『感覚』を無視したら拗れていく

と思っております。

 

 

 

 

『思考(エゴ)』『感覚(本音)』を押し潰してるとなんか上手くいかんことになるんだけど、無意識にやってしまってて、気付きにくい。

 

 

のが、厄介なところ。

 

 

思考っていくらでも作れるから。

もちろん幸せな思考も作れるけど。

 

でも感情とか感覚って瞬間的に出てくるものだから、それは本音だと思うのよ。

 

エゴの声は『怖れ』からくると言っても、怖れも瞬間的に出てくるし、じゃあ本音かエゴかどっちなのよ?って話になるから、私はあまりハッキリさせようとしないことを推奨します。

 

 

『怖れ』から作られた思考はエゴだと思っていいと思うけどね。

 

 

 

元も子もないこと言うと『何を選んだとしても、自分が選んだことが正解』だし、間違えたかも!と思ったとしてもそれを選ぶだけの事情があることもあるし、何を選んでも恩恵はあるんよね。

 

その時の自分にとってはそれが正解だった。

 

後悔しても、それでええんやで。

これから幸せな方を選べるようにしていけばいいだけで。

 

 

 

エゴの声だとわかれば従わない!本音にだけ従う!

という風にしたいものなんやけどね、もう全部本音って思ってもいいわ、幸せしか選ばないなんて、完璧なんてないもん。

現実的にエゴの声を選ばざるを得ない時だってあるし、でもエゴの声は長期的に見ると自分を幸せからは遠ざけてしまうから、本音を選べる割合が増えるといいよね。

 

それに本音に従ったとしても、後悔することだってありますゆえ。

 

 

エゴの声って『ニーズ(欲求)』の場合もあるから、ややこしいんよね。

『自分の欲に素直になる』ことを推奨してるし、ほんとにどっちなんだい!?となると思う。

 

 


例えば



『好きな人と付き合いたい。でももう別れは経験したくない』

 

 

っていう、どっちも本音っちゃ本音だけど、いや好きなら付き合えよ両想いだろってパターンでも、付き合わない選択をする人もおるんよ。

 

 

別れを経験したくないのは心の痛みがあるからエゴ?いやいや、でもこれ誰にでもあることだからこう思うのは仕方ないし(度合いにもよるけど)、好きだから付き合いたいってのも『誰かに心の穴を埋めてもらいたい』依存心満載の場合もあるし、その場合そこに心の痛みが見えるからと言ってエゴと言うのも危うい、人が誰しも持つ親密感を求める素直な欲求も含まれてると思うから…

 

 

とか考え出すとわけわからんやろ。

(私がよくやるやつや)

 

 

やっぱり結局『何を感じてるのか』が大事なわけで。

『怖れ』なのか『喜び』なのか。

 

 

このパターンは、付き合わないことを選んだことで、『これ以上傷付かずに済んだ』安心感みたいなものはあるけど、『愛し合う』幸せは選べなかったんよね。

 

でもこれも、良い悪いではなくて。

 

そもそもなんで『別れがある』前提なのか?ってところに、心の痛みが隠れてるわけではあるけど、どうしたいの?ってだけや。

 

 

付き合いたい!けどこんな自分はすぐ振られるかもしれない。

 

だってこんなやつだから…

前にもすぐ振られたから…

いつもそうなるから…

どうせまた上手くいかない

 

 

エゴってごちゃごちゃ言うてくるっしょ。

こっちの声ってほんとデカいから。

 

 

でも、これ感じてる時全然喜び感じてないっしょ。

 

 

エゴの声が聞こえたら

『今』の自分の声ではない!と思う方法もひとつ。

それもの自分やん!とか言う私が矛盾してること言うけど、それは選んだ結果のこととか、あれこれ悩んでる自分のことに対してであって、エゴの声は今の自分が感じてるけど過去の自分が発してる声って言えばいいかな。

 

エゴは過去の痛い経験から発せられる声でもあるからね。

 

あーなんか過去の私がピーチクパーチク言うとるわー。

で?今の私はどうしたいの?

 

と、思い直す、自分と対話する。

 

 

付き合うことひとつに関しても、『愛し合いたい』っていう当然の欲求、本音もあるわけで、喜びを選べるようにしていくのを目指していけば、自然と本音を選びやすくなるんやけど、心の痛みが強すぎるとそれを選べないこともあるんよね。

 

 

本音の声が大きくなると、エゴの声も大きくなることもあるから、『好き(幸せ)』になるほど『不安(怖れ)』も大きくなるやん。表裏一体。

 

 

まぁ

『好きな人と付き合いたい。でももう別れは経験したくない。』って言ってる人がいるなら私は

 

 

『別れが怖いほど好きなんやね??それだけ本気なんやね??♡』

 

っていうテンションになります(聞いてない)

 

 

 

『親密感への怖れが強いんだろうな〜そうなったきっかけはなんだろう?』というところがわかるとしても、『好き』っていうワクワクするエネルギーの方に意識を向けて欲しいし、私も向けたい(恋バナ好きなやつ)

 

 

『エゴか本音か』見極めたところで、好きなもんは好きやん?もし怖れがなかったら?好きでワクワクしか残らんやん?(厳密には怖れはゼロにはならんけど)

でも好きがなかったら、そもそもその怖れって出てこんやん?誰かを好きな幸せもなかったやん?幸せ欲しいやん?じゃあ好きっていう本音に従おうよー!って、言うだけさ。

 

 

 

怖いのね!エゴの声だね!ってわかったからって、やることは変わらない。本音に従えるようにエゴの声を小さくするために、エゴの声のもとである『心の痛み』に向き合うことにするだけっす。

 

 

なので、『エゴか本音』か見分けついたとしても、本音を選べる人はいいのよそれで。

 

 

『怖れ』はなくならない!から、エゴの声を選びたくなっても仕方ないし。

怖いまま本音に向かうことを目指しますわ。

 

 

 

無価値感がエゴの声だとするなら、その声が大きすぎたら、『私には私の価値がある』っていう、自分を幸せにさせるための本当の声って届かなくなる。

『幸せになりたい』っていう人が誰しも持つ本音を『どうせ私は…』っていうエゴの声で被せてしまう。

 

 

エゴの声って、心の痛みが発する『怖れ』だけど、それだって心の防衛本能だから、悪いものでもない、自分を守るためのものでもあるから。

 

エゴの声が強いのは、それだけそこに痛みがあるってだけ、それだけ。

 

良いも悪いもない。

傷付いたことがない人間はいないんだから。

 

 

でも苦しいなら何とかしていこうか?っていう、結局ここにくる。 

 

 

 

自分が心地よいこと、幸せを選択しようとするとエゴが出てくることもある、だからややこしいのよ。

 

 

私よく、『人は人を愛したいもの』とか言ってるし、『愛とは幸せの根源』だとも思ってるし、『罪悪感と愛情は比例する』とも言ってる。

 

 

人には愛があるっていうことは、、、ね?

幸せにしようとしない声(罪悪感)もあるものなのよ。


 

だからエゴは誰にでもあるし、ある意味それも本音だし、ハッキリさせようとしなくてもいいと思ってる。

 

 

 

 

『エゴか本音か?』ってぐるぐる悩んでる時点で、何かしらの怖れがすでにあるんやないの?なんか本質から目を逸らしてない?っていうときもある。

 

自分の感覚を信じられない、本音に自信がない、『失敗して後悔するのが怖い』とか。

 

 

すでに後悔があって『本音で選んだのかな?エゴだったのかな?』って、考えてることもあるんだよ。後悔から目を逸らすために。『自己否定』から目を逸らすために。

 

 

だから結局『何を選んだとしても自分が選んだならそれが正解』って思えるだけの自己肯定感はあった方がいいよねって話になるんやけど、常に自己肯定感高い状態ってのも難しいし、『どっちを選んでも後悔する』ことはあるわけで、後悔しないくらいの選択だったならそもそも悩んでないわけで。

 

結局これなんよ、自己承認。

 

 

とにかく自分の『今』を受け入れよう。

それができないから、あれこれ考えてしまうことってあるよなーと、自分の経験からも。

 

 

 

 

 

エゴは怖れって書いたけど、それ含め自分。

闇も光も併せて自分、それがありのままの自分。

ありのままの自分でいられないって、めっちゃしんどいっす。

一方自分らしさって、本音に素直に従える自分。

 

ありのままの自分ではダメだ!っていう、勝手なジャッジ(判断)があるから、エゴの声に従ってしまって、本来の自分とズレていくと、それは自分らしいと言えるのか?

 

ダメな自分を隠すと、自分らしさからは遠ざかる。

 

 

まぁもちろん、ダメな自分を隠したいのもそれが『今の自分』なら、今はそれが自分らしいとも言えるし、自分らしくないけど今はそうなんだからしゃあないやん?とも言えるし、何にせよありのままを受け入れる心は、あると楽だよね〜。

 

 

まぁね、子供みたいに感情のままに生きづらいよね、大人って。

 

 

ありのままを受け入れられないとしたら、自己否定だったり、自己嫌悪だったり、罪悪感だったり、過去の経験から観念が出来上がっていて、このへんがエゴの声として出てくる。

 

『ベストなことしか起こらない』としたら、エゴの声も今の自分にとって必要なことで、でもそれはこれからも自分に必要なのか?

もう、過去のものだから要らないんじゃない?

 

って風に、過去の思い込みを手放したり、傷を癒したり、新しい自分にアップデートしていって、心に素直に生きやすくしていくのよ。

 

 

心に素直に。

心のままに。

心を生きる。

 

それが自分らしさ、セクシャリティっていう、生命のエネルギー、性っていう生命そのもの、良いも悪いも含めた、いやむしろ良いも悪いもない、丸ごとそのまんまの自分。

 

それを体感として感覚として受け入れられた時、何が起こるかと言うと、言語化するのが難しいし、ちょっとスピっぽく宗教っぽくなるかもしれんけど(心理学ってそれらと密接しとるしな)

 

 

エゴの声が一瞬にして聞こえなくなる。

 

ちと怪しい表現するけど、女神様になったような、神様と繋がったような、宇宙の一部になったような、人智を超えたような『快』しかない感覚になるのよ。

 

 

こういう表現は信じ難いかもしれんけど。

 

 

わかりやすく言うなら、『愛』にまみれた感覚というか。

 

自分に対しても誰かに対してもそれを感じる状態というか。

 

私はそれが人の本質やと思っとります。

 

 

そしてこれを感じたフレーズが、私が掲げている(プロフ参照)

『天上天下唯我独尊』

なんやけど、これはまた話すわね。長くなりすぎるw

 

 

 


 

そもそも論、『本音がわからん、どうしたいかわからん』ってこともあると思うの。

 

私なら『考えるのやめて好きなことしてみよか』ってなる、言う。

私みたいに考えるのが趣味ならいいと思う、でもどのみち考えても多分答えは出ないことが多いw

 

 

本音って『感じる』ものだから。

 

 

私の場合、スマホメモとかに考えを文章にして視覚化するし、感情もガンガン書くから『ん?』っていう違和感に気付けることもあるんやけどね。

 

でも、わからん!ってなることもあるよ。

 

 

そういう時はとりあえず自分の好きなことしてる、感情が動くことをしてる、音楽聴くとか、漫画読むとか、感情が動くと、『あたしこう感じてるんやな』ってふと気付けることもある。

 

 

好きなことすらわからん…ってなってる時、結構危険な匂いがする。

 

そういう時はまず心身共に休もう。ほんまに。

 

考えてもわからん時は『思考を止める』ことをしよう。

 

 

どうしたいかすらわからない自分に焦らなくても大丈夫、責めなくても大丈夫、わからないことにも意味がある。

 

 

わかりたくない理由があるのかもしれない。

本音がわかると困る理由があるのかもしれない。

 

 

 

そういうの私もありますで。

 

 

特に結婚生活でめちゃくちゃありましたわ。

 

 

『相手のこと好きかどうかわからん』とかもそうだし、『離婚したいのかしたくないのかわからん』とかもあったし、ね。

 

 

『こうしたい』と思ってたことが実はエゴだった!

ってこともあったし、『したくない』ことが本当はやりたいことだった!ってこともあったし、『答えを出そう』とせんでええからね。

慎重になりすぎると、失敗を恐れて『正解』を探しちゃうし、『幸せより正しさ』を選ぼうとしてしまうことが私もよくあった。

 

 

逆なんよね、『正解より幸せ』を選ぶのがある意味正解だし、その時はそれがしたかった!ってんなら、その時の自分にとってはそれが正解だった。

 

『自分が選んだことが正解』

 

でいいと思っている、奈美さんです。

 

 

 

 

 

 

 

プロフにも、『自分らしくいれば勝手に上手くいく信者』的なこと書いてるくらい、なんか上手くいかねぇな〜って時はもれなく『自分らしさ見失ってんな?本音に従ってないのか?』っていう風に見ていいと思う。

 

 

それも完璧完全な判断はめちゃくちゃ難しいよ。

 

 

 

まぁ、なんとなくでも、感覚的にこうだなと思ってることが合ってたってこともある。

 

 

 

でもその、なんとなくこうかな〜が、過去の経験から、『こうなるだろうな』の場合もあって、心の痛みからそう思って信じていて、それが現実に『投影』されていたり、いわゆる『引き寄せ』になっていることもあるけど、もうそんなん見分けつかんやん!って話で、わけわからんなってくるやろw

 

 

だからこそ、『感覚的にこうだな』ってことを感じた時の『体感』にも注目して欲しいんですわ。

 

 

間違ってるか合ってるか関係なく。

 

極論を言うと、何も間違いとかないから。

 

 

 

エゴか本音かなんて、簡単な見分け方はあるけど、見分けるのが簡単なわけではなくて、矛盾してるような本音が出てくることもあるし、真逆の本音が共存するのもある意味当たり前だから。

 

まぁそういうのも、ちゃんと自分の心を知っておかないとわからないんだよね〜。

 

 


 

 

まぁ、日常的にちょっとしたことから、『どっちが本音かな?どっちが心地良いかな?』っていうのは意識して選ぶクセはつけといたほうが、喜びを選びやすいとは思うし、なんとなくこうしたいと思ったから〜っていう『直感』を信じられるようになれば、迷ってる時間は減るわね。

 

 

 

 

『ダイエット中だけど、お気に入りのケーキ屋さんが期間限定スイーツを販売してるだと!?食べたい!!』

 

さて、こういう場合、どれがエゴでどれが本音でしょーーーかっ?って、わからんくない??w

 

 

『食べたいなら食べればええがな』

『いや、でもダイエット中だから我慢しなきゃ』

『でも食べたら絶対幸せな気分になるやん』

『食べた後に後悔するかもよ』

『食べ逃した方が後悔するかもよ』

 

 

ね、よくわかんないでしょw

 

 

『今日めっちゃ頑張ったからただのご褒美だよ』

 

っていう、自分の幸せのためなのかそうでないのかわからん声だって自分の中から出てくるわけでw

 

 

今の気分はこう!だとか、直感で選んでもいいんやで。

それが大切な彼との関係性だったり、引越しとか転職とか、人生の大きなイベントだとぐるぐる悩むのも無理はないけども。

 

 

結局これなんだけど、エゴだろうが本音だろうが、その時の自分はそれを選んだんだからしゃあねぇな!ということを肯定できればいい!のです。

 

 

 

 

 

 

ちなみに私、ブログ等の文章を書く時は思いつくまま感じるままに書くこともあって、でもそれだけだと私にしかわからんよなって思う書き方になっちゃうので、『思考』はしっかり使ってます。

『思考(エゴ)』っていう書き方をしていたので紛らわしいかもしれないけど『思考(幸せ)』なこともあるし、何よりも

 

 

感覚(直感)で選んだことを実現するためには思考も必要。

 

 

思考、大事。思考を悪者にはしないでね。

エゴとか本音とか感覚とか直感とかややこしいけど、ほんまに。

 

 

 

女性性(直感、感覚)で望んだことを、男性性(思考、行動)が実現するっていう、ほら何事も表裏一体でさぁ。

 

あかん、女性性とか男性性とか出してきて自らややこしくしようとしてしまっているw

 

 

 

カウンセリング中は感覚も思考もどちらも使ってます。

まだまだカウンセラーとしてはヒヨっ子だけど、自分の感覚を信じて話せてること、多いと思ってるんよね、そりゃあ自信ないまま話されてもクライアント様も不安になると思いますけど。w

 

もちろん頭の中で整理して話すので当然思考も使いますけど、『なんかこう感じるな』っていう感覚も大事にしてます。

 

 

これはカウンセリングに限らず、プライベートでも、あまり考えず言葉が出てくることが多いのよね。それって『感覚』で喋ってるのかもしれないw

 

 

めちゃくちゃ思考癖あるのに。

 

 

ていうか誰でも、感覚も思考も使ってる。

 

 

なんとなくで選ぶな!っていう人もいるけど、ね。

だからって優柔不断だと文句言う人もおるやん。

 

 

とにかく私は良い悪いで判断しないでね♡って言いたい、何事も。

 

 

 

『感覚』って言ってもいわゆる第六感的なものや、これまでの心地よい経験から『この感覚が好き』って感じる感覚、その逆も。

 

何にせよ、自分のことを知る、自分の快・不快を知る、自分の心の感度を上げていく、感覚の信憑性に自信をもてるくらい経験を積むことを増やしていけば、『間違ってたらどうしよう、失敗したらどうしよう』っていうエゴの声より、『感覚的に』こうだわ、っていうのが増えると思う。

 

 

そういう時、楽なんよ。

『ちゃんとしなきゃ』等の一方エゴの声が出てきた時はしんどくなる、心も体も。

こういう体感も意識してみるとわかりやすいと思う。

 

 

 

『感覚』の話すると、何時間も喋れそうだ、どうしよw

でも説明めっちゃ難しくて、2日くらいかかったw

 

 

 

超余談、よくゲームするんだけど(最近はSwitch)、コントローラーのボタン見ずに操作できるんよ。

 

もちろん初めてのときは

『ジャンプはXボタンか』

『ダッシュはBボタンね』

『弓を構えるのはZRで…』

『武器の変更は十字キー右』

『Aボタン使わねぇのかよ、つい触っちゃうよ』

って、いちいち意識してたのに。

 

(この情報だけで何のゲームかわかる人いたら最高、同士)

 

 

ちなみに上に書いたボタン情報、わざわざゲーム起動して見ながら確認したw

それくらいもう体に染み付いてるというか、体が覚えてるんだよね。感覚で覚えてることって、説明難しいってあるよね。

 

 

『やべぇ!敵きたからYボタンで攻撃!』

とかいちいち考えてないw

瞬間的にもう先に指が動いてる。

 

 

直感も同じようなものだと思う、いちいち考えなくてももうそういう『感覚』としてインストールされてるから、心地よい方を選ぶ習慣付け、してみる価値はありまっせ。

 

 

 

 

『大丈夫』

 

って言うセリフ、よく言うんだけど、それも根拠ない時もふつうにある。w

 

『そんな気がする。あたしがそう思うからそうやねん』

 

これも感覚と言えるかなと。

感覚を信頼してる、って感じ。

 

 

まぁこれが

 

『大丈夫ってことにしときたい。あたしがそう思いたい』

 

という強がり(エゴ)で自分に言い聞かせる時もなくはない、過去にそういうのあった、ほんまは『不安』なのにそれを見逃してた!とか。

 

 

 

そういうのはなんとなく視界の隅にモヤがかかってるような、見て見ぬふりしてるものあるなって『感覚』があるものだし、だいぶ気付けるようになった。

それは心の声を聴く練習を何度もしてきたから。

本音で大丈夫と思えてない自分を受け入れようと思えるからこそ、本当に『大丈夫!』と思えてる時はその直感はだいたい当たる。

 

もちろん強がりの時でも結果的に大丈夫だったことだってあるし、本気で思ってても『あれ?』ってこともあったけど、そんな自分をだいぶ受け入れられるようになった。

 

 

ただ『大丈夫』と思えば本当に大丈夫になる、いわゆる『引き寄せ』的なものもあるかもしれないけどね。

 

 

 

 

違和感を感じることは一度立ち止まって見直すことも大事だと思うのよ。

 

それも『感覚』だけどね。

 

 

 

ということで、私が語れる限界を感じてきましたので、このへんでw

 

 

 

心理カウンセラー奈美でした{emoji:148_char3.png.グラサンハート}

 



 

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