消えた4年分の記録と、残っていたもの【もう1人の家族】 | 傷だらけの人生を愛ある人生にする。

傷だらけの人生を愛ある人生にする。

【3児の母×シンママ×心理カウンセラー】親子関係、夫婦関係、鬱、モラハラDV/傷だらけで孤独な人生から繋がりを取り戻しすための取説。




どーもこんばんは、心理カウンセラーの奈美ですサングラス


【悲報】黒歴史満載の過去ブログが消えました真顔


(ごめん、私以外にとってはめっちゃどうでもええ情報)


DECOLOG(デコログ)っていう、17歳くらいから21歳頃までやっていたブログがあったのよ。

思い出も黒歴史も詰まった私の青春が…

ブログ投稿機能の廃止により、去年9月に削除されたらしい。
めちゃくちゃショックなんやけど。
え、やばい、普通に泣きそうになった。


【~ 航 海 士 ★ ナ ミ ~】

っていうブログタイトルでやってた。w
動く絵文字とか自分で作ってさぁ、ガラケーでポチポチやってたんよ。

あの頃はまだ今みたいな長文書いてなかった〜


私の長文は、結婚してすぐから書いてるスマホメモ日記で慣れたのもあると思う。
ほんの3ヶ月くらい前までは3000件やったメモの数も、さっき見たら3200件になってたよ。


3ヶ月の間にどんだけ書いとんねん。
しかもほぼ長文やからな、ブログより長文なやつもあるからな、何時間か書き続けたやつもあるからな。
(中には講座のメモとかもあるけど)



あの頃、楽しかったなぁ…
ほぼなんも考えてなかったもんな、遊ぶこと以外。

でも闇は抱えてた☆


土日は絶対遊んで、朝まで遊んで、なんなら平日も遊んで、ほぼ毎日誰かと連絡とって、とにかく遊んで、ギャル時代のイケイケドンドンパリピ時代の…

今より肌も心も真っ黒だった奈美さんの思い出消えた。



でもな、あるひとつの記事をスクショしてたやつ残っててん(あたしナイス!)

それ載せる。




















いやもう、泣いた。

らむぅぅぅぅぅハムスター←毛色違う


ちょっとタイトル詐欺やろ。
『もう1人』の家族やなく『1匹』やけど。

『もう1匹』の家族にしたら、他にも何匹かおるみたいなるやん。

だからあれやん。

そのへんはあれやん、言葉のあや的な(?)




14年くらい前か。
あたい19歳の時で、8歳上の元彼と同棲してたのよ。


この頃、実家がほんまに居心地悪くて、逃げるように男の家に転がり込んだ。


親も引き止めることもなく。

でもしっかりホームシックにはなってちょっと泣いたのも覚えてる。


そしてらむが死んだことを聞いた時、家を出て行ったことも後悔した。
なんであたしがおらん時に死ぬんや!って、悔しかった。


でも私、過去を思い返す時に『家族』の中にらむを含んでなかったことに気付いた。
私はなんて酷いやつや…家族を忘れるとは。

子供たちが生まれた時と同じように
『こんなに可愛いって思えるんやってくらい可愛い』
と思ってたのに。



親から逃げたつもりやったけど、どこかで『家族を見捨てた』とも思ってた私。

らむのことも見捨ててしまってたんか、って、今更思ってしまった。


いやいや、これは、ほんまはその当時感じてたものをやっと思い出せただけなんやろな。


あの頃は、こんな罪悪感感じ切られへんくらい、辛かったから。


忘れちゃってたけど、らむが私のこと恨むわけない。



(出ていった当時まだ小学生で可愛がってた弟を置いていってしまった罪悪感があるのも、ここ数ヶ月で気付いてん、罪悪感を感じたい私がおるのぅ)




今なら、らむは私に死ぬところを見せたくなかったんやなって思える。


そして今また、『家族と言えど、生きてるのは当たり前じゃない』ってことを再確認させてくれた。


当時はほんまに後悔ばっかやったけど。
私に幸せをくれたらむにはほんまに感謝もしてる。


『私は必要とされてる』

って感覚、長女を身篭った時に初めて感じたと思ってたけど、らむがいた時が初めてやったんかもしれへん。



でも私はらむがいなくなった時『もう二度とペットは飼わん』って決めた。


この頃の私にとってのらむは、今いる3人の子供たちみたいに、我が子みたいに可愛い存在やったから。


もう二度とあんな思いしたくなかったから。


だから子供に、ペット飼いたい!って言われてもこれまでずっと断ってた。
まぁ、うちのマンション飼われへんし、子供3人で手一杯やからってのもあるけど…



でも、不思議なもんやな。
動物嫌いな母親でも、さすがにらむが死んだ時は泣いてたくらい。
私にとってもほんまに大切な存在やった。



そんならむを、『我が子』同然だったらむを置いてでも逃げ出すくらい、苦しみを感じてた家。


苦しみの大半は『罪悪感』でもあったんだろうなと、今やからこそわかるけど。




ペットと言えど、家族同然、我が子同然。


そして、『我が子』同然のらむと離れる寂しさより、罪悪感に耐えきれず『自分の家』から離れて他の逃げ場を見つけた、当時の私。

『我が子』と離れる寂しさより、罪悪感に耐えきれず『自分の家』から離れて他の逃げ場を見つけた元旦那が、瞬時にリンクしてしまった。


あの当時私が父親に言われた
「この家に居場所がないと思ってんのはお前だけや」
って言うセリフ。


私も元旦那と離婚する前に言った
「この家に居場所ないと思ってんのあんただけやで」
ってセリフ。


どこまで被るのよ。


色々と過去のことが蘇る。


あの当時父親に言われたセリフに対しては
『何言ってんのかわからん。あたしの居場所なくしてんのはあんたやろ』
って思ってたし、瞬時に心に壁を作って、言葉の真意を受け取らないようにしてたことも、感覚として鮮明に覚えてる。


私のせいにしてた元旦那も、そう感じてたんかな…


私が元旦那に言ったセリフは
「あたしと子供は、この家はずっとあんたの居場所と思ってる」
って意味やったし、そう伝えたけど、もしかして父親もそうやったかもしれへんな。


でも、私は出て行った。

『もうここにあたしの居場所はない』

って思い込んで。
元旦那もそうやったんか…?



うーん、離婚する前から気付いてたんやけどね。

『あいつはまるでかつてのあたしみたいなことしてる』

って。
そういう言動が、離婚する前の別居で、この件以外にもかなり増えたから。


でもこれらも全部、私の心の傷のありかを教えてくれる投影だとしたら…


人の心ってほんまどないなっとん。ってくらい、こわいな。


『未解消の問題は繰り返される』

『自分の心が変わらなければ、環境を変えても似たような現象が起きる』


こういうのは、まじで何度も味わってきたわ。
今でも、過去の傷が新たに浮き上がってきて悶絶してる部分もあったりするし!


いや、新たにってことじゃなく、ほんまは離婚前からあったわ。忘れてただけで。


扱いきれんかったから、1年くらい経って、今また潜在意識から意識上に上がってきたんやな。心ってすげぇな。


『まだここに癒されてない傷あるで』


って知るために、また痛みを思い出すことになったんやな、私は。
傷の上にまた傷が重ならんために、早いうちに癒しにかかれーってことかいな。





そしてらむのお墓参り、もう何年もしてなかったな。
近くのお寺に眠ってるのに。
近々行こうと思う。


あと、らむを火葬してもらった時にもらった、自宅用の小さい塔婆。
あれをずっと実家に置いたままやから、自宅に持ってこようかと思ったけど、下の子2人が雑に扱いそうやからしばらくまだ実家に置いとこうか…迷うな…

当時使ってたガラケーまだあるし、らむの写真なんとか印刷できひんかなー。(やり方わからんし画質めっちゃ悪そ)



14年経っても、今は傍におらんでも、やっぱり愛は消えてないなぁ。

もう、また泣きそうっ!



そもそも、普段は見もしない昔のブログをなんで見ようと思ったか。

『もっと自分を生きたい』

って、漠然と考えてた時に、ふと思い出したんよね、デコログ。
あの頃は今より自分らしく生きてた気がするな〜どんなやったかな〜って見たくなってさ。


いやほんまブログ丸ごと消えてんのはショックやけどさ。


私が『自分を生きる』ために、過去の痛みと向き合うきっかけになったんやとしたら、らむのおかげでもあるやーん!

今でも大好き!ずっと大好きだよ〜らむハムスター飛び出すハート



ショックなことやったけど、恩恵もあったし、書きながら気付けてよかった。



過去を思い返す上で、家族以外にも『過去の痛み』のありかにも気付いて、ほんま傷だらけの人生やなー!って、なんか逆に笑えてきたわw


【~ 航 海 士 ★ ナ ミ ~】

のブログは消えたけど

【傷だらけの人生を愛ある人生にする。】

ってのが、今の私のブログタイトルやから。

傷だらけの人生を航海してきたナミさんがもっと『自分を生きる』ために愛ある人生のために、母として女としてカウンセラーとして、これからも自分全開で発信していくために、自分の心に向きあい続けよ〜!



(お弟子講座中の課題にある『キャッチコピー』思いつかずとりあえずタイトル設定してそのまんまなのは秘密)

(ブログタイトル『自分を生きる』でもええなぁと思ってきた。)



心理カウンセラー奈美でしたハート


4月の個人セッション
残り4枠です!

STORES 予約 から予約する


友だち追加

公式LINEでは先行予約受付や
最新情報を不定期でお届けメール
お問い合わせの返信もLINEだとすぐに
確認しやすいのでスムーズです乙女のトキメキ