才能が問題を作るけど、乗り越えるのも才能を使う | 傷だらけの人生を愛ある人生にする。

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【3児の母×バツイチ恋愛×心理カウンセラー】カウンセラー根本裕幸氏の弟子8期生/乙女時々おっさん/元メンヘラ非行少女/親子関係、夫婦関係、鬱、モラハラDV/傷だらけの過去も愛で癒して幸せな未来に繋げる脳内発信




どーもこんばんは、心理カウンセラーの奈美ですサングラス

タイトル、ちょっと師匠のと被ってるやつあったかもしれん…被ってたらすいません。(土下座)
というかどっかのブログ記事に書かれてた一文やったかな?
いっぱい読みすぎて脳にインストールされてらw

でもほんまにそうやなって体感することが増えた〜師匠あざます〜(熱い抱擁)


問題と思ってるかもしれないけど、あなたが変わらなくてもいいいんだよ!ってこともある。

変えるのは、ありのままの自分をダメだと思っている、その思い込みだけ。
そのままでええんやで、というお話。



さて、今日はとある方からのご相談内容で、あんまりこういうこと書いてなかったから私なりに解説、いきまっしょい!!!わっしょい!!!

(っていうテンションの話題ではないけどな)



ざっくり言うと『嫌がらせが気になる』という件について。
(パワハラ、イジメ等もこれに該当)

気になって当然やんな、めっちゃムカつくやん。
呪ってやろうかって思うやん。(私だけ?)


はじめはそれで当然。


ただ、こういうの慣れてしまうと、ムカつくー!って思いつつも華麗にスルーできるようにもなったりするねんな。
でも、感情までスルーしちゃうのは、ちょっと待った!
ぜひ溜め込まずに吐いて吐いて!おえー!

こういうのほんと優等生タイプだと波風立てたくなくて我慢しちゃうこと多いのよ。

(心理学で言う優等生とは、私が我慢すればいいわ〜って、自分を犠牲にしちゃうことね、ざっくり)


ムカつくだけでなく、悲しいよね、わけわからんよね、私はこう思ってるんだよなぁ〜と、自分の気持ちを自分で認める、受け止める、これほんと大事。
ほんで、吐く。おえー。まじ吐きそうやん、ふざけんなって言ってやりたいやん。
吐くというのは信頼できる人に話したり、ノートや紙に感情を書き出すことも結構効果的。


もし大切な人が同じ目に遭っていたら?
その人を抱き締めるつもりで、自分のことも抱き締めてほしい。
(物理的にはなかなか難しいからイメージねw)


あなただって、誰かの大切な人なんやから。あなたのことを大切に思ってる人が、自己犠牲して苦しみを乗り込んでる姿見たら、悲しむよ。


ほんでまたここで、私は大切な人を悲しませちゃう…っていう風に思うパターンもあるのよね、どんだけ良い子なのよって話よね。


こういう人の場合、自分を愛してもらう練習しましょーね。(特大ブーメラン)




そして、本当に嫌がらせのつもりで相手はしているのか?
自分がそう感じているだけなのか?(このパターンもある)
どちらにせよ、なぜ気になってしまうのか?

少し厳しい言い方になるけど、問題は相手ではなく自分が作り出すものなんよね。

気になっているのは自分、問題と思っているのは自分、だから。(これはパートナーの浮気や子供の不登校等も同じ)



ちなみに私もいじめ経験あって、中学生の頃は『負けたくねぇ』精神で、しかも元々口がたつから(口喧嘩強い)、言い負かして余計悪化することもあったわー!

こういうやつもいます。w
だから波風立てないやり方が良くないとも言いきれん。


やつら私の悔しそうな悲しそうな顔が見たいんだろな〜と思ってたから、すんっ( ˙-˙)としてたりもした、けど、やっぱりそりゃ傷付いた。
だから尚更負けた気分になって強気でいた。



まぁまぁそれはさておき。



相手の言動に傷付くということは『同意』している部分もあるんじゃね…ってこと。
自分で傷付くことを選んでる、という少し厳しい見方もできるんですわ。

『あ、はい、私そういう扱い受ける人間です』

みたいな。


例えばだけど
『お前友達おらんの?』と言われてもし傷付くなら『そうなんです』って認めていて、かつ、『そんな自分はダメだ』という自己否定があるということ。


単に、『私友達居ないんだよね〜』と認めていて、それを自分で何も悪いことだと思っていない、そんな自分でもええねんと思っている(自己肯定している)場合、まぁ傷付かない。

自己肯定感とは、どんな自分も愛するということだから。

『愛は傷付かない』ということ。
(深い、むずい)


でも私みたいに完璧主義にならないでね。切実に。w


ただここで勘違いして欲しくないのは、なにか『された』自分が悪いわけではないっていうこと。
そもそも、『された』っていうのは被害者の目線よね、被害者と加害者はイコールでもあるんよ、『あいつが何かした!』って、被害者が加害者を攻撃した時点で…加害者になりかねん、だからそういう気持ちはぶつけると喧嘩になるよね、大人の場合それは裁判とか、あれは法律を介した大人の喧嘩やしねw

その相手と今後も関係性築きたくないならそれでいいけどね。

これが大事な相手の場合は、自分も悪くないけど相手もそうするだけ傷付いてたからなんだな〜って誰も悪くないわな〜って『双方無害者』を目指す方が、関係性は壊れにくいわね。


よくある、浮気された!あいつが悪い!
とかね。
今回ここは端折るわ。ぽいっ


ちなみに師匠はもっとわかりやすく色々書いております。

私の場合、絵を描くことに自信があるので
『お前、絵下手くそやなー!』
って言われても、1ミリも傷付かん。
あ、そう?でもあたしはそんなん思わんから、って吐き捨てれる、余裕で。


でも、私に絵を依頼してきて、誰に頼んでも同じやわーみたいなこと言われた時は傷付いた。

何が違うのか??

この時の私はあらゆることに自信を喪失していた時期で、誰に頼んでも同じということは、私の価値を見てくれていないと感じた(=私が自分の価値を見失っているだけ)
いわゆる無価値感を刺激されて、ムカ!っとした。


常に傷つかない状態は目指さんでもええし、自分の状態によっても変わるし、ね。


でもこういうことにも恩恵があって、
『いやいや、あたしにはあたしの良さがあるし!?あたしの絵はあたし以外には描けへんし!?他の人にないものがあたしにはあるし!?』
って、怒りとともにではあるけど、自分の価値思い出せたのよね。


怒りって、自分を中心に戻してくれるものでもあるから、結構大事なんよね〜。


私の『』内のセリフ、自分自身の価値を受け入れるには、ここまで思えるくらいでいいの。





そもそも嫌がらせをする人というのは、劣等感が強いもの。
相手を傷付けることで、優越感を感じたいわけで。
『劣等感と優越感はセット』なんだよなー。


そしてこの相談して下さったクライアント様の場合、ずば抜けた感性をお持ちの方で、それを聞いただけで私は『憧れの的にもなるけど、そりゃ攻撃の的にもなるわなぁ…』と思ったくらい。もちろんクライアント様が悪いわけじゃありませんよ。

この方に限らず、本当は個性的で魅力的なだけなのに、いわゆる『出る杭は打たれる』状態になっちゃうのよね。
良くも悪くも目立つことが多い。


言い換えると、嫌がらせをする人たちは『こいつが魅力的で敵わない、だから潰してしまえ』と思っているようなもの、それくらい魅力的なんだよ!って言われてるようなもので、その自覚が持てるようになれば、傷付くことは減るんだよねー!
やつらは、素直に相手が魅力的なのを認められないほど、自己否定も強いってことになるんだけども。

『出る杭は打たれる』って、こういうこと。


いわゆる嫉妬されてるってこと。
嫉妬って、羨ましいだけならいいけど、自己否定があると苦しくなる。

その苦しみをやわらげるには、素直に認める。自分の気持ちを受け止める。
それが出来ないうちは、自分より格上(と思い込んでる)相手がいては、苦しみはなくならないと思ってるようなものでね〜本当は自分の問題なんだけどね〜。
そして格上だと思いたくないから見下すのも、劣等感の証。

人を落とすんやない、自分が上がるんだよ。


嫌がらせする側される側、どちらも自分の素晴らしい価値や魅力を自覚しましょうね!ってことやね。w


彼らの問題は彼らの問題、彼らのことを変えることはできない、彼ら次第なので、自分の問題は自分の問題として向き合うことになる。



嫌がらせを受けることが昔からある人とか、やはりパターンを繰り返すのはそこに本質が隠れてたりする。
彼らが持っているであろう『劣等感、自己否定、嫉妬』を実は自分も隠して持ってたりする。
同じ感情で繋がってるなんて、おえぇぇ!ってなるけどね。w


個性が突出してる人は、輪に馴染めないことも多い、孤独感とはお友達みたいなことになってしまうこと多い、悲しいけどね。


自信もなくなるよね、輪に馴染める人に嫉妬することもあるだろうしね、子供の頃から何年もずっと繰り返すパターンだと、孤独感も相当なものになるしね。
なんとか輪に入れても、本来の自分を抑えてると、居心地良くなかったり(私はそれで自分から輪から外れたこともあった)


それがまさか自分が魅力的すぎる故…なんて、想像なんてできないよね、だいたいみんなそうよね。
でもほんと、目立つ人って良くも悪くも目立っちゃうんよね、それ故に輪に馴染めないだけなんやけどね。


劣等感があるからと言って誰もが嫌がらせをするわけではないけど、別パターンとして、目立たぬよう引っ込んでしまうこともあるよね。
ただ、引っ込んでも目立っちゃうくらい光ってるから、やはり目をつけられてしまう。w


なのでこういう方の場合、もういっそのこと、目立っちゃいましょ!って言いたいわぁ〜。


出る杭も
出切ってしまえば
打たれまい

ということですな。(華麗な五七五)


どーせ引っ込んでも目立つんだからw
ほらほらぁ、こっちおいでよ〜と、引っ張りあげたいw


というのも、これは私も先日先輩カウンセラーのジュンコさんに言われて( ゚д゚)ハッ!と気付いたことなんだけども


孤独な人の才能のひとつに
カリスマ性
があります。ほぁあ〜

(私もまさか自分が???だった、有難いっすね)


『私は人と違う』ということで傷付いて、劣等感を抱いて、『普通』の人と自分を比較して、自ら引っ込んでしまうことってあると思うんやけども、まさにこれが

才能が問題を作る。
問題の影に才能あり。

ってことなんすよねー。

天才は孤独、とも言い換えましょうか。
(私の自己肯定感オバケが発現した)


変わり者、と見られることもある、というか良い意味で『普通』じゃないもん、普通の人達のようにしようとしても、やっぱり自分らしさからはズレちゃいますわね。



私もだいぶ変わったヤツだったから…
私は昔から自分のことをGenius!(意味:天才)
だとか、いやほんまアホやな。
テストやプリントに記入する名前に『様』を付けていたり(坂井奈美様って自分で書いてた)まじでぶっ飛んでるやつだった。


これは私のキャラというか、ヤンキーも優等生もオタクも誰とでも仲良くしたいし、できる、しかもその全部備えてる(やんちゃしながら優等生もするしオタク)見た目が派手だったから、まぁまぁこいつこーゆーやつだわ…って流してもらえてたところもあるんやけど、そーゆーことですよ(どゆこと)


これが自分!!ってのを全開で前に出してたら、もはや誰も文句言わねぇ。w


しかも別に人を傷付けてないしね。
勝手に、『あんたが目立つせいで私が霞むわよ!』ってやつがいわゆる、今回の題材の嫌がらせする人たち、よく漫画とかドラマでありがちなやつよね、今思うと。



そーゆーことっす。
結局自分らしく生きることでしか、楽に生きる方法ってないと思う。


やべぇやつだ、と思われても構わん!っていう勇気、逆にそんな私を素敵!と思ってくれる人がいることも知っていたらいいのよ。


私も当時は多感で繊細な思春期だったから、これがあたしー!と暴走(?)しつつも、攻撃してくる輩もいたし、これじゃダメだと傷付いたこともかなりあったし、引っ込んでしまった部分もあり、部分的に大人になってからも引き継がれたところもあってそれが問題を作ることもあったんよね。

これがいわゆるセクシャリティの抑圧問題。


思春期って、比較や競争で傷付きやすくなる。
二次性徴も始まり、自己嫌悪も増えたり、恋愛をすることも増えるので、ほんと色んな感情が混沌と渦巻く時期なんだよねー。



自分らしさ全開!!って言うとぼんやりしてるけど、そのままでじゅうぶん素敵なんやから、そんな自分を抑えるの、もうやめません???って思うんですわ。


本来の私ってこうだったわー!バカだったわー!って、私で言うならそんな感じ。w


バカと天才は紙一重
アホと幸せは紙一重

それを思い出せました、師匠が私のことアホだとかポンコツだとか元ヤンだとかいじり倒すのも、意味あるものだとじわじわ感じられて、もう、愛してます。(ぶちゅ)


ていうかほんと、アホになる、バカになる、そしたらアンチなんて気にならん。
アホとかバカって幸せそうでしょ??w


私みたいに、これをわざわざ公言してしまうと、それに反応する輩もいるだろうけどw
だから自分で思ってるだけでもいいんだよ。
それをちゃんとわかってくれる人もおるからね、私とか、ね。



この記事を書くきっかけを下さった、クライアント様、ジュンコさん、師匠、改めてありがとうございますハート


こちらのクライアント様には、詳細を直接メールでもお返事させて頂いております。
カウンセリングご利用後、初回限定アンケートにご協力頂ける方で、ご感想を書いて下さった方には追加質問があればお答えしております!


カウンセリングはちょっとまだ勇気が出ない…
けど相談したいことがある…
って方は、ココロノマルシェという、無料相談掲示板もございます。
(誰が回答するかはわかりませんが、複数回答頂ける場合もあります)


よければご相談下さいね乙女のトキメキ

心理カウンセラー奈美でした!




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