どーもこんばんは、心理カウンセラーの奈美です
昨日、5回目(毎月土日2日間)のお弟子講座が終わりました。
講座内のことなので少しぼかして、またもや思いのままに書いてますわ。
一昨日、5回目1日目の講座で、根本師匠への質問タイムの時、泣いてしまったよぉおお
っていうか、けっこうほぼ毎回泣いてるかもしれん。w
本当は、前日の夜からずっと泣きたかった。
なんかすごく寂しくて、誰かに話を聞いて欲しくて、お弟子の誰かに頼りたくて、みんなに向けてメッセージを送ろうか、個別にしようか、でもみんな忙しいだろうな…
(カウンセラー名乗る人間にも当然こういうことはあるんすよ、人間だもの。なみを)
そう悩むうちに結局相談することをやめた。w
まぁ、大人になればそりゃあ、相手のことを考えて遠慮するっていうのも大事な場面は当然あるわけで。
でも、自分がしんどくて、助けが欲しいなら、甘えることだって大事なんよな〜。
(人に甘えられない人達、見てるー?w)
人に甘えられない、頼れない、申し訳ない、結局1人で抱え込んでしんどくなる。
こうなってしまった心の事情ってのも色々あるけど、わかりやすく『罪悪感』が絡んでまっせー、でも『愛』ゆえにでっせー、そして私みたいなこういうパターンもありまっせーって話をします。
私は人の感情に共鳴しやすいというか、相手の持ってる感情なのに、まるで自分のことのようにその思いを引き受けてしまうことがある。
ネガティブな感情を吸い取ってしまう、らしい。
(らしい、というのはほぼ無自覚だから)
これは少なからず誰にでもあるらしいけど。
悲しんでる人を見たらこちらまで悲しくなるとか
イライラしてる人のそばにいるとなんかイライラしてきた、とか。
そんな感じかな?w
こういう時こそ自分軸っ!!
が、大事なんよね、私は私、人は人、っていう線引きが元々苦手なんやろなー(感受性が豊かってことにしとこか♥️)
私の場合
『それであんたが癒されるならあたしが貰ってあげる』
くらい思うこともあって、自分から貰いに行ってるところもあるわなー。w
貰ったとしてもそれをちゃんと抜く、燃やす、浄化する、その訓練も必要だ。
貰わないように線引きすることも大事やね。
別にカウンセラーしてるからとか関係なく。
そういう体質の人は人混みとか満員電車苦手な人もおるね。
直接人に触れる仕事してる人も貰いやすいらしく、鍼灸師の友人も、人から貰ってしまう自覚があるとのこと。
やっぱりそういうのあるんやね〜。
でもその分癒してあげてるんだよね〜。
私がふと、講座前日にふと浮かんできたある思いがあって、ほんまに、ふと。
でもそれは私が人から聞いた、その人の思いに似ているものだったことに気が付いた。
私のそれは『私はこのお弟子講座の場に相応しくない』という思い。
ひとりぼっち、孤独。そんな思い。
わかってんのよ、きっと誰もそんなこと思ってない、私の居場所のひとつやん、て思ってるし。
『あれ?これってあの人が言ってたな…あ、あの人も孤独な人やな…あれ、元旦那…?あれ?…』
もしかしてまた誰かの吸い取っちゃったかな??と思ったけど、いや、これ、私が元々持ってたやつだ、まだあったんだ…とも気付いた。
孤独感がふと浮かんでくること、最近増えてたからねー。
そろそろお前も改めて向き合えや?っていう、内なる奈美さんの声が周りの人に投影されてたんかもねー。
あたしが持ってたやつじゃーん!て気付けたのは有難いことやから、私はその人たちにむしろ感謝する。
だって、心を癒すチャンスやからね!!!
そのことについて根本師匠に質問したんよね。
どっちなんでしょう??って。
吸い取っちゃったのか、私が持ってるものがその人のおかげで出てこれただけなのか。
師匠「どっちがピンとくる?」
奈美「…あたしが持ってるやつが出てきたなと思います」
師匠「一番怖いのは、そういうの子供に渡しちゃうこともあるから、だから貰わないように、引き受けないようにしなきゃね」
奈美「もー!それ言わんとってくださいよぉー!」
って泣いた。
私が1番恐れているところを、突っつかれたくないところを突っついて下さった、師匠はそれが上手い!さすが師匠!もーやめてー!と思いつつ、心の中では拍手喝采。
2回目?か3回目の講座でもそれがあった!w
子供にこのネガティブな思いを引き渡したくない、でも、渡してしまってる気がする。
そもそも私の罪悪感が浮き彫りになっただけ。
そのことに気付いてしまったからこそ、その通りだと言われるのが怖くて、認めたくなくて、質問できるまでに時間がかかった。
気付いた瞬間から泣きそうになったのに、涙を引っ込めて、他の同期の質問を聞いてた。
奈美「今のあたしは危険かもです、あたしはいいからみんな幸せになって欲しいモードなんでw」
師匠「それはモロに吸い取っちゃう。だから自分のエネルギーを上げとかなきゃいけない」
師匠「1番いいエネルギーの上げ方、奈美ちゃんはこれは簡単だと思う」
奈美「ほぁぁ!?」
それが『大好き』っていう愛のエネルギー。
愛を与える。
愛として見る。
師匠「罪悪感を罪悪感として見るとモワッとするけど、罪悪感を愛として見るとキラキラする」
そもそも罪悪感と愛情って比例するもんね、どっちを見るか?やもんね。
ほんで、そうやったわ、あたし、人が大好きやったわ、人のこと愛したいし、人の持ってる愛が大好きなんだわ。
愛ぶっぱなしてたらええんやわ。
そうしてたらネガティブなもの引き受けないのか。
貰ってあげようじゃなくて、あたしの愛で包み込んであげればいいのか。
愛のエネルギー高めればいいのか。
いつも師匠は本質を示してくれる。
私は大好きのエネルギー出すの簡単やって、サラッと言ってくれるところも、師匠の愛を感じる。
私はそれが簡単に出来てしまうって見てくれてるんや。
いやん、また泣いちゃう。
そんな話の後、お弟子仲間やスタッフさんが、抱きしめてくれた。
奈美さんのモノは私が吸い取るよ、と言わんばかりのめちゃくちゃ愛を感じるハグ。
まるで、こうやってやるんだよ、と教えてくれてるような気もした。
めちゃくちゃ深い愛を感じた。
母のような深い愛。
抱きしめられながら
「奈美さんから悪いもの出てないんだよ、安心して出していいよ」
って言われて更に号泣。
「人に渡したくないから頼れないんだよね」
あぁ、私そうだったんだ…って気付いた。
だから私は人に言えないのか、頼れないのか、私のモノを相手に渡したくないのか、相手が引き受けることもあるから。
私は人から色々と引き受けやすいのに、それを抜きたくない、自分の中から出すことに抵抗があったのは、そういうことか。
私の持つモノは、私から出るものは、まるで毒のように思ってたんやな、これこそが『罪悪感』なんだろうな。
でも、相手に背負わせたくない『愛』でもあったんだよな。
その『愛』を、自分に向けてなかったんやな。
私のことが大事な人は、『私はいいから…毒なんで』って思いを抱いてる私を見たらどう思うやろう?
私が泣きたいくらいしんどい時に、どうしたいと思ってくれるやろう?
その視点を忘れてた。
どうせ私は愛されない。
から
どうせ私は愛される。
っていう前提に変わってきてても、長年の心の癖がひょっこりはんしてくる時もあるんよねー。
まだまだ私も癒しが必要ですわ!
まるで自分のことを何か汚いもの、毒のような、悪いもののように思ってるところが残ってたんやな、私は。
うんうん、罪悪感ね、最近よく出てきてたわ!w
逆に自分は愛の存在だ、とも思ってるんやけどねー!人はみんなそうだからねー!
(こう思えるとこがほんまに変わったところなんよ)
私は闇が深い。とも最近よく考えてた、けど、私はそれだけ強い光も持ってることを改めて受け取ろうと思った。
私が笑うだけで、私と話すだけで、私が触れるだけで
『癒される』
って言ってくれた人達のことを思い出したから。
その時の自分は、どんなエネルギーでいたか?
確かに『大好き』っていう自分の中の愛のエネルギーで満たされてた時だわ。
その他にも『嬉しい、楽しい』とかも、愛のエネルギーやんね。
これは持論だし、私が私のことを肯定するためでもあり、私と同じような人達にはもれなく同じようなことを伝えてるけど
闇が深くてもいい、でも、光が強いから闇もあるんや。
どっちもあるものやから、何事も表裏一体やから、どっちを選ぶか。闇だけの世界は何も見えんけど、逆に光だけになっても何も見えへんで。
闇を知ってるから、光の存在の暖かさもわかるんや。
なんか言うてる事が抽象的かもしらんけどw
(だからプライベートでは言う相手は選んでるw)
影薄くしたければ明かり弱める、みたいな感じや。表裏一体やから、闇を嫌うのではなく、呑まれるのではなく、これも自分の大事な一部か、って受け入れる。
闇だと思うどんなとこでもな。
私は私の事そう思ってるんだーへぇー😲
まるで第三者かのようなw俯瞰して見る。
で?何でそう思ったん?誰かに言われたん?誰が私のことそう思ってるん?
うん、私やね。w
もし誰かに言われたとしても、自分はそうなんだって思うとしたら、それに同意してるってことやからね。
ただ、子供はピュアだから親に言われるとそう思い込むし、そこがルーツな場合も多い。
(あれ、なんか似たようなこと前回も書いた?デジャヴ感じたw)
ただ人の心で言えば罪悪感(闇)薄くなったからって愛(光)も薄くなるかってそういう訳じゃない、それはそもそも『人は愛の存在』やと思えば、まぁそういうことやん。(どういうこと?w)
罪悪感が強いほど、愛情も深い。
けど罪悪感はなくならないもの、減らすことしかできない。
傷付いて、不安で怖くて、孤独だったからこそ、愛や繋がりや安心感の有難みもよくわかるから、ネガティブな感情も大事なもの、自分の闇の部分があったからこそ得た光もある。
それを改めて感じられた。
(これ私だけでなくみんなそうやからね)
でも自分の中に溜め込んで、その処理の仕方を知らない、やってみるけど何故か抵抗があったのは、私の場合それを家の中でしてたからかも。
家って、子供たちのいる場所だから、自分の中に溜め込もうとしてたけど、そんなもんピュアな子供は察知して吸い取るわなー!
そもそも人からそういうのって、漏れだしちゃうしね。
家の中でできる浄化の仕方ばっかり考えてたけど、外でできる方法も必要かな〜海行きてぇな〜遠いな〜w
と思ってたら師匠には、『家を神社化』するという、なんか壮大に思えるけど、出来るらしい、そんな提案を頂いた。
まぁ、私を中心に、この空間を、浄化のエネルギーで満たせるような工夫をすればいいのね。
まず、お方付けからですね!!!w
神社が散らかってちゃ神様も逃げ出すぜ!!w
(子供3人いたら現実的に厳しい日もあるが)
そして『私はこのお弟子講座の場所に相応しくない』と思うことが、私にとってどんな意味があったのか?どんなメリットがあったのか?
起こることはすべて正しい、ベストなことしか起こらない
という見方をするならば、そういうことやったか…って解釈ができたのよね、今から書くけど。
自分のこととなるとポンコツやのに気付けた。w
最近、『お弟子みんなとずっと一緒におりたい』って思うと泣くことが増えた。
それくらい、大好きになった。
だからなのか、大好きすぎて離れるのが辛いからか、逆にシャットダウンしたくなってた自分もいた。
距離を空けとくほうが、離れるときのダメージが減るからね。
わかりやすく、親密感への怖れやった。w
心理学を知る人なら目にしたことがあるだろう、この怖れ。
学んでいる人なら当然知っている、この怖れ。
親密感への怖れについてはまた詳しく書くとして、この怖れが強くなってきてたからこその『私はこのお弟子講座の場所に相応しくない』だったんかなと。
だって、そう思うことで『親密さを避けるための理由』にもなるやん。
『離れるための都合のいい理由のひとつ』になるわけやん。
あーあたしここにおられへんわーって。
↑しかもこの思い、また別の場面でも感じたことあったんよ、親密感への怖れが強まっておる!ひぃ
ということで、全力で癒しにいくために先輩やら師匠やらとりあえず癒しの場にいく機会増やしたよ、カウンセラーにも癒しの場は必要なんですわ。
そもそも人を癒すならまず自分が癒されてないと、ね?
そしてまだ私はヒヨっ子だし。
しかもこの親密感への怖れは『あたしなんかおらんほうがええんやろ?』っていう、子供時代からの根深ーーーい傷がまだ残ってることも表してた。
でも本音は?おりたいねん。
寂しいけど次回の講座で、8期生のお弟子講座は修了を迎えるわけで、抗えない寂しさではあるんやけどね。
まぁ、修了しても関わりは持てるんだけどね!
この怖れのせいもあるのか、私は2日間あるうちの1日目の講座は遅れて行くことになったんよ。歯ぁ、痛くてな!w
親密感への怖れの罠って、巧妙。こわい。
そして、『あたしなんかおらん方がいい』
っていう罪悪感は、補償行為にも繋がる。
『あたしはいいからみんな幸せになって』
っていう自己犠牲的な愛にも繋がる。
そして、罪悪感は自分を誰かに愛させない。
だから『人を頼れない、甘えられない』
自立問題にも繋がる。
でも、私を愛したい人達ばかりの場所だった。
手放したくなかった、でも終わってしまうなら、 なるべくダメージ減らすために距離を空けとこう、そんな心理が働いたのかもしれんな。
だがしかーし、改めて『愛を受け取る』こともできた日だった。
罪悪感って、自分に愛を受け取らせない感情でもあるからね、受け取れてよかった。
そして改めて、犠牲的ではなく、『愛を与える』ことで自分を高められることを気付かせてもらえた。
ありがとう。
って思いは、愛を受け取ってるし、感謝っていう愛を与えてるわけやからね、自分の中の愛を感じてるわけやからね。
もう、1日目は帰ってからも泣いてたよ。
声掛けてくれた人、抱きしめてくれた人、泣いてたらティッシュ渡してくれた人、当たり前のように、奈美ちゃんは大好きのエネルギー簡単でしょ?という信頼と愛を向けてくれた師匠も、みんなの愛が暖かくて。
まぁ、歯ぁ痛くても、遅れても、懇親会の串カツだけは絶対行く気でおったけどな!w
大好きなみんな×大好きな串カツ=行かねぇ選択肢はねぇ。
(なんやかんや怖れを抱きつつも、結局大好き!を選んだ結果、幸せになった)
さて、相変わらず長くはなりましたけども、誰かの感情引き受けちゃうのを防ぐにしろ、親密感への怖れが出てきたことに気付いてなかったにしろ、『大好きっていう愛』のエネルギーを意識することは最強やでって話やな。(雑)
愛、愛、愛って、おさーるさーんだよーばりにアイアイ言うけど、そもそも愛がわからない人には私の言うことわからんのかもしれへん。
でも大丈夫やで、愛がわからん言うてる人って、愛を感じたくないモードなだけやから。
愛されてないわけでも、自分に愛がないわけでもないねんで。
あ、これも前回書いたかもしれんけど、自分のためになんかするだけでそれは自分への愛やからな、お腹すいたらご飯食べるのも、そやで。
生存本能、で済ませることもできるけど。
自分が空腹で苦しくなるの避けるために、自分が死なんために食べてんねんから、愛やろ。(圧)
次回!
親密感への怖れについて書こうと思ってたけど、好きと愛の違いについて書くか、迷ってきた。
ふふふ、ブログ最近サボってたのも親密関係への怖れだったりして、でもネタはいっぱいあるんだよ。🤭
そして来月もカウンセリングモニター様募集します!
まとまりなくてすんません!
奈美でした!