2022年は色々あったなあ!

今年も昨年と同様に、コロナ感染が続いた一年だった。 そんな中での2月4日、北京冬季オリンピックが開催され、日本選手の頑張りに国内は湧いた。 閉会式から4日後の2月24日、ロシア軍ウクライナに侵攻した。 戦争はいまだに続いている。 ロシアから電気・ガス・水道のインフラを攻撃されたウクライナ国民が寒い冬をどう過ごせるのか心配だ。 7月には安倍晋三元首相が暴漢に撃たれ亡くなった。 11月20日から始まったFIFAワールドカップでの日本代表の頑張りに国民は大きな力をもらった。  加えて、三年ぶりの「どんたく」と「山笠」は福博の人々を元気にした。

 

年末最後に投稿する「うっちゃんブログ 10選」も恒例になってきた。  今年も振り返って10のブログを選びたいと思う。 その前に個人的なことですが、ブログには投稿していない大切な出来事が二つあった。 

 

出来事-1  9/2    母が99歳で逝く

ここ数年間、何度か危篤を繰り返していたので、気持ちの整理は出来ていて覚悟もしていた。 99歳の大大往生だったので「告別式」ではなく、親族が集まって「お別れ会」として長寿を祝った。 戦後の不安定な時代に、弟・妹と共に育ててくれたことへの感謝は絶対に忘れない。

 

出来事-2  12/13  初孫が生まれる

母が旅立って三ヶ月後に、一人っ子の息子夫婦に長男が生まれた。 母は曾孫の顔を見ることは出来なかったが、天国で喜んでいるだろう。 時代とは”このように家族が血を継いで行きながら過ぎていくのだ”としみじみ思う。 息子が生まれるのが遅く、かつ、息子の結婚が遅かったので、後期高齢者の一・二歩手前での初孫だ。 予定より10日ほど早い出産だったが、母子ともに健康。 まずはホッとしている。 この子は僕のことを「ジージ」って呼ぶのかな・・・(一人でニヤッと笑う)。

 

 

それでは、今年(2022年)のブログ10選です。

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 1/31  香椎に存在した二つの野球場① ←クリック

 

昨年(令和3年)の末、皆に惜しまれて「香椎花園」が閉園した。 かって「香椎花園」の中に野球場があった。 大リーガーのジョー・ディマジオ選手が女優マリリン・モンローとのハネムーン旅行で来日した際、この香椎球場に立ち寄ったことが語り継がれている。 でも香椎にはその前に、もう一つの野球場が存在していた。 上の写真がその野球場で、左側に手書きで「昭八、七(昭和8年7月)」と見える。 ホームベース周辺が現在の福岡銀行香椎支店辺りになる。 レフトの金網?の向こうに香椎川がある。 この球場にもう一人の伝説の大リーガーが来たと云う話が残っているが・・・。 

 

 

 2/7  唐津焼 学びの旅① 唐津焼の歴史と窯巡り

 

唐津焼を学ぶ まち歩きツアー」に参加して来た。 唐津市内ではホテル・旅館・レストラン・公共施設など、あちらこちらで唐津焼を目にする。 市内で活躍する窯元の作品を、あらゆる場所で観賞出来るところが「まち歩き」を楽しくしている。 九州の主な焼き物は秀吉の文禄・慶長の役によって連れて来られた朝鮮人陶工によって開窯されたと思っていたが、唐津焼はそれ以前から焼かれていた。 それらは「古唐津」と呼ばれている。 写真は唐津藩御用窯を務めた「中里太郎右衛門窯」から独立した「隆太窯」の窯主・中里 隆氏が「ろくろ」を廻す場面。

 

 

 3/21  市道香椎4800号線

 

今年の初め、香椎宮前参道のJR側の丘に工事用の重機が入り、木立がいきなり伐採され始めた。 初めは何事かと思っていたが、しばらくして、これが「市道香椎4800号線」の工事だと分かった。 香椎宮二の鳥居前から「国道3号線博多バイパス」につなぐ僅か数百mの市道だ。 しかし、現在のクスノキ参道及び周辺の車両混雑を考えると、我々香椎の住民にとって大変ありがたい道路だと解った。 完成が待ち遠しいが、今後の工事の進捗を見守っていきたい。

 

 

 4/4  大宰府官道と雑餉隈の謎 

 

NPO法人 福岡城市民の会」が主催する「まち歩き」の学習に何度か参加した。 上の図はその時の資料だが、平城京・平安京と大宰府を結ぶ官道(青線)と、大宰府鴻臚館を結ぶ官道(赤線)が直線で二本描かれている。 発掘された道路遺構の角度や形態から幅10m程の直線だったことは、間違いないようだ。 道の両側には側溝があって、しかもアスファルトのように踏み固められていた。 特に赤線の西ルート新羅の使者が通るので、周りの景観にも気を使っていたようだ。 青線東ルート)と赤線西ルート)の間に雑餉隈があって、その由来となる浪漫にも迫った。

 

 

 4/18  川上音二郎のゆかりの地を訪ねる①

 

川端商店街明治通り側入り口に、扇子を広げて「オッペケペー節」を演じている川上音二郎の像が立っている。 明治時代、妻の貞奴(さだやっこ)と共に欧米公演を成功させたスーパースターだ。 貞奴(さだやっこ)は伊藤博文が囲っていたナンバーワン芸者だったこと、二人の結婚の媒酌人が福岡出身の官僚で、明治憲法に係わった金子堅太郎だったことも面白い話しだ。 いずれにしても、多くの芸能人を輩出して来た福岡県民気質の原点が音二郎の身体の中に流れていたことは間違いない。

 

 

 5/4  「どんたく」が帰って来た

 

今年のゴールデンウィークの「どんたく」開催は、まだまだコロナ感染拡大のリスクが大きかった。 しかしながら実施する決断をしたことは、間違いではなかった。 結果的に第七波・八波の感染となったが、実施したことで、イベント時に於ける感染防止策が追及できた。 それよりも気持ちの問題ではないか? 福岡には僕と同じような「のぼせもん」が多い。 3年続けて「どんたく」、「山笠」が無ければ、福岡は沈んでしまう。 どんたくパレードが、どんだけの人々を元気づけたか。 僕も「SEIKAサウンド」を聴いて身体に力を覚えた。

 

 

 6/13  奥村玉蘭と香椎宮① 香椎浜男村

 

奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)の名前を知らない人も多い。 江戸時代後期、中洲の中島町で醤油醸造店を営んでいたが、絵が好きで、弟に店を譲ると、藩領内の町並み・神社仏閣・名所旧跡などを描き続けた。 これら246点の挿し絵と解説をまとめたものを「筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)」と云う。 江戸時代後期の筑前国の歴史・習俗を知る一級資料(福岡市博物館所蔵)とされている。 香椎浜男村香椎宮を描いた2点を細かく見てると、興味ある発見が出来た。

 

 

 8/1  西国無双 立花宗茂 

 

飾り山笠には毎年NHK大河ドラマが標題として組み入れられることが多く、今年も「鎌倉殿の13人」に人気が集まった。 福岡県内では「立花宗茂」を大河ドラマの主人公に押す運動が、柳川市を中心とする招致委員会によって続けられている。 実現すれば経済効果は大きいだろうし、宗茂は柳川藩の前は立花城の城督だったので、香椎の町も一躍全国区に伸し上がるかも知れない。 招致活動の一環として「飾り山笠」の標題としては毎年取り上げて欲しい。 今年の標題は薩摩島津軍が香椎の立花城に攻め込んだ時のお話だ。

 

 

 10/17  新原・奴山古墳群をウォーキング

 

沖ノ島関連遺産群がユネスコ世界遺産に登録されたのが2017年。 JR九州ウォーキングが登録5周年を記念して関連遺産の一つ「新原・奴山古墳群」のコースを設定した。 この10kmのウォーキング参加を発表の時から楽しみにしていた。 この古墳群には前方後円墳が5基、円墳が35基、方墳1基の計41基が現存している。 これだけの規模を見るのは、宮崎の西都原古墳群以来である。 古墳に眠る被葬者は胸形(宗像)海人族の首長者たちとされる。 彼らが大和王権から沖の島での国家的祭祀を担う等、王権との関係については浪漫が広がる。

 

 

 12/5  対馬の旅② 鰐浦の韓国展望台

父や母の介護では奥さんに多くの苦労を掛けた。 これからは旅行などで労ってあげたい。 四十九日が過ぎたころ、旅行支援補助金と地域クーポンを利用した「対馬の旅1泊2日」のツアーに二人で行って来た。 対馬福岡から近いのに初めての訪問だった。 古事記日本書紀には対馬の名前や、神功皇后が朝鮮半島に向かう最後の拠点港だった鰐浦(わにうら)の地名も出ている。 その鰐浦韓国展望台がある。 ここから釜山までは約50kmの距離なので、天気が良ければ街が見えると云う。 曇りだったけど、ぼんやりとビルのような建物が確認出来た。 

 

 

2022年が暮れる。 この1年が短かったのか長かったのか・・・色んな事も含め、私生活の中では、母の旅立ち、初孫誕生などもあった年だった。 その意味では来年をキチンと過ごすかどうかが大切なことなのかな・・・。

 

今年のブログはこれを最後にしたいと思います。 いつも「香椎浪漫」に訪問いただいて有難うございました。 来年も宜しくお願い申し上げます。

 

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