この間の日曜日、玄関に人の気配がする。高校生だろうか、封筒を手にやってきた、
「俺ぁ、草村の親戚の者です。E子叔母さんが、師匠に教えてもらいなさいと言うがです、恥ずかしいがやけど、見てください!」と。
緊張のせいか足をガタガタ震えていた。家の前を行ったり来たりする若者がいるのに気づいていたが、まさかラブレターの添削の頼みとは思いもよらなかった。E子の甥だという。思い起せば、昔、あいつにも、ラブレターの書き方を手ほどきしたことがある。他人さまに手ほどきするほど、俺は上手なわけはない。ハッタリをE子に言っただけなのに、少しは役に立つこともあるのか。師匠と言われると悪い気はしない。そんなわけで、今回はラブレターの<手ほどき>をテーマにお届けしたい。
恋文とは、愛を告白する 付け文のこと。なんとも艶やかで古めいた言いかたに思える。ラブレターなどというと、現代風で薄っぺらな感じがする。せめて内容に少しく重厚さが欲しい。想いを抱く人に好意を届けるための密書とも言える。書けないといくども破いたりして、ひそかに小さな胸を痛める。ところが、現代のようにスマホが行きわたり、たとえばLINE がコミュニケーションの手段になると、大切な文言さえも平凡でありきたりになる。
若者が持ち込んだ封筒には、便せんが入っていた。文字は躍っているも、次のように書いてあった。
・・・いつもあなたと同じ汽車で、通っている草村と言います。あなたが好きです。思い出すと胸が熱くなって夜も眠れません。(中略)あなたにあまりつきまとって、ストーカーと間違われるのではと心配です。あなたのことが忘れられません、お願いです、付き合って下さい。(以下略)
この手紙には余韻とか、枯淡の趣を楽しむところがない。ラブレターであっても、単なる付け文であってはならなない。その昔は、万感の想いを下手な文字でも、心をこめて、文字の並びや字面に心を配って相手の心に響くように書いたもの。彼の手紙の文面も直截な言い方が多かった。もう少し婉曲な表現が好いかもしれない。
比喩や暗喩なども少し入れたらどうかと言ってやった。花鳥風月という古典的手法で、心の内を花や小鳥になぞらえたりする。言葉を自由に使う喜びにもなる。恋に心が奪われて、とても余裕はなさそうである。どうせ受験勉強中なんだから、万葉などの古典あるいは、西欧の歴史や文学を引き合いに出すと面白いとも言ってやったのだが・・。たとえば、万葉集の古典の有名な恋歌などどうだろうか。
たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝(あした)に 恋ふべきものか (詠み人知らず)
昨日の夜お会いしたばかりなのに、あなたがお帰りになって、一夜明けて、朝になってみると、もうこんなにもあなたが恋しくなるのです。
ラブレター論は措くとして、いくらか指導をしてやらねばならない。そうは言っても、まだ高校生である。そのあたりも考えて・・・、少しは、恋文っぽくなったろうか。
ミチコさん、思い切って告白します。僕は風に揺れる一本の葦ですが、あなたは土にしっかり根を張った楓です。通学の電車で初めて、あなたを見たとき、“いい人”だなと想いました。その時から、あなたのことが忘れられず、人知れず同じ車両に乗るようにしました。一昨日、満員電車の中で、おばあさんに座席を譲っていましたね。大地にしっかり根を下ろしている人でなければ、あんなふうに振舞えません。ほんとうに清楚で素敵に映りました。それで決めたんです、告白しようって。(中略)
庭の楓の葉っぱでこしらえた栞です、読書の友として、あなたのそばに置いて下さい。(後略)僕は、あなたが好きになりました。
好意を持つ人に恋文を書く上で、留意すべき点は、下手な字でも心をこめて一字一句丁寧に、想いが相手に届くように書くこと。感情を高ぶらせて、手紙を書くことに酔ってはいけない。深夜、人が寝静まった時に書くと、恋心が盛り上がり、そうとうな熱を帯びた内容になってしまう。だから、熱も少しは必要であるも、入り過ぎてはいけない。朝、いきなりポストに投函せずに、読み返してからにしたいもの。
ともかく何度も礼を言って、帰って行った。果たして愛が成就するだろうか、しかし、そこまで俺にも責任は持てない。