樫平吾に代わり、息子より皆様へご連絡させていただきます。

 

 突然の訃報となりますが、

樫平吾は2020年11月28日に永眠いたしました。

 

心不全により、突然の別れとなりましたが、大きな苦しみも感じる間もなく人生の幕引きをいたしました。75歳となります。

 

前夜まで談笑し、翌日も飲み会を予定していた程、元気に過ごしておりました。

死ぬ直前まで笑いを振りまいていたことが父らしく、また幸せ者であったと感じております。

 

父は本ブログを毎日欠かさず発信することを生きがいとし、また皆様との繋がりを歓びとしておりました。

 

死ぬ直前ままでやり遂げました!!!

 

本ブログを以って、樫平吾のブログ更新は完了とさせていただきます。

 

本当にありがとうございました。父に代わり深く御礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これっちゃ、なんてうまい炊き込みご飯!本当に、あんた作ったがけぇ?プロ顔負けの味やぜぇ!もっとお代わりして好いけぇ?」
そんな風に言うのは言わずと知れた近所のヒマ人主婦E子である。俺が作った料理を、口を極めて褒めちぎる。ここは褒め殺されないように注意をしなければならない。あいつにすれば、元手も何もいらない、褒めるだけで口に入る。

 

このごろ、一杯引っかけて床に入ると、夜中に目が覚めていけない。何もすることがないので、何か作ろうと厨房に入る。冷蔵庫を開くと、野菜庫に大根・人参・ゴボウ。テーブルの脇に、安いツナ缶が転がっているだけ。この材料で、ツレを驚かせてやろうと腕をふるった。料理は、炊き込みご飯。

 

 

「味がよく染みてクセになりそうな味やっちゃ。醤油味やね、それに人参・ごぼう、それからきざみ揚げけぇ、他に何が入っとるがぁ?」
「まあツナ缶も入れたよ」
「へえー?それで調味料は?」
「あのなぁ、ヨンベ、俺が晩酌で飲み残しの日本酒と刺身の皿に残った醤油よ、捨てると勿体ないにか。知っておろうがぁ、『目指せごみ減量』のことを!」


すると傍からツれが口を出す、
E子さん、嘘よ!醤油は、娘がお土産に持ってきた出汁の効いたお取り寄せらしいの。料理酒よ、心配しないで!」
あいつをことのほか喜ばせたのは、何のことはない、人参ごぼう炊き込みご飯。それに冷蔵庫に残っていたしめじしいたけも加えた。面白いもので、炊き込みご飯に、人参は赤い色を添え、ごぼうが際立ったを出す。それに生姜の一欠けらも入ると薬膳料理の味がする。調味料にみりんも加えたの忘れていた。

 

 

E子、汝()よ、ちょっとご飯に、ゴマを振れ!それに俺が用意した魔法のロックソルトを砕いてやろう。抜群の味に化けるぞ!」
ロックソルトっちゃ、何けぇ?おっかないもんやないがけぇ~?」
「俺の友達が登山家でな、ヒマラヤを登山した折に、お土産に持ってくれたのよ。ロックソルトって、岩塩門外不出だけど、E子様に特別に出してやるよ。買うと目の玉が飛び出るほど高いぞ。あんたが健康に良いとか言うて飲んでおる萬金丹は、あれっちゃ、富山の鼻くそを丸めたもんや。これは、そういうものとは違うよ。ちょっとやそっとで、手に入らん代物よ」
「あなた、嘘ばっかり言ってダメよ!E子さん、この人がインターネットで Amazon のサイトから取り寄せたものよ!そんなに高くなんかないわ」

 

 

「おいH 子!折角だから、俺の作った大根の甘辛煮つけをご馳走してやれや!」
一口食べたあいつの頬が緩んだ。
「きゃあ、何て言うまいもん!鶏の手羽元に、ゆで卵も入っとるねぇ~ん!」
「これはな、取り寄せの軍鶏の手羽元よ、卵は、そんじょそこらのサービス品のロハの卵とは違うよ。これもお取り寄せよ」
「嘘ばっかり言って、ケチで通った平ちゃんが、高いモンを私に出すわけないちゃ。鳥の手羽ちゃ、10本200円、卵もサービス品やにか。でも本当美味しいわ!平ちゃんマジックや。タダみたいに安いモン高級品に作り変えるがやねぇ~!うちの宿六にも、少しもらって好いけぇ?これやったら、毎日食べたいって言うわ。どうしようの~ん。あんたの家に、弟子入りして料理を習わんにゃーならんぜぇ!」

このごろは知らないが、俺の住む浜里集落は昔から美人の産地と言われている。なぜなのか不思議に思っていた。あるとき、近所のマサルが解説してくれた、
「この辺りはよ、北前船で大儲けしたモンが大勢おった。それによ、一攫千金を狙って北洋に出かけたやん衆よ、だからよ、冬なんか花札バクチ賭場があちこちに立ったってよ。ベッピンさんをから連れて帰ってきたモンも多かったと、俺の父ちゃんが言うておらした。E子もU子の家もありゃ、もともとやん衆や」と。
たしかに、美人が多かった。ところが、その2世3世は、都会に出ると戻って来やしない。

 

 

昨日の昼過ぎだった。近所に住むE子が、例によって玄関先で叫ぶのである、
「奥さん、平ちゃん、昨日何をしたか、あんた知っておられる?病院へ行ったんやろうげぇ、それでU子ちゃんのところのユメちゃんに、平ちゃんが手を出したと評判やよ。村中で知らんモンはおらんと。また何をしでかしたがやろ?」


頓珍漢なE子のヤツ、どこでどう聞き違えたのか、大騒ぎをしていた。情報というのは、難しいもので、それが何に基づいたかによって、事実・推量・伝聞と3つに分類される。事実は、まさにファクトで真実そのもの。情報となると、時として誰がと勘ぐったり、推し量ったりすると歪められる。ましてや、又聞きとか伝え聞きになると事実から、かなりかけ離れる。

今回もそのたぐいのようである。
 

 

誤解である。一昨日、いつもの定期健診に市民病院で、U子の自慢の孫娘のユメ子に採血してもらったのは事実である。シャツをまくって手を出したのも嘘じゃない。痛くもない腹を探られているのは俺である。血管が奥にあって、見つかりにくいと親切に教えたら、堅くなって腕に注射針を2度ならず3度まで突き刺した。それをキズ物にしようとしたとは酷いではないか。キズにされた被害者は俺である。お風呂に入って、腕のを見ると紫色に変色していた。

ブログとフロク(付録)の違いもわからない悪女どもが、誰からか話を聞き及んで、噂話を広めたのだろう。多分、こんな具合だったろう、
「浜里の平吾っちゃ、とんだ食わせモンよ。U子さんちの孫娘を知っておろうげぇ?浜里出身の美人看護師よ、あの子に手出してサ、なんやら刺されたらしいよ。あの助平爺よ、いちどギャフンと言わせにゃならん。懲らしめるために、奥さんや近所に聞こえるくらい大きい声で、叫ばっしゃい!」と。

 


 

ブログの仲間にも、こんなコメントを書いてきた人がいた。70余歳のご婦人だが、若いとか美人という言葉に、意地悪いほど反応が早い、
「採血に手間取る看護師さんは、いくら美人でも、腹が立つと夫は申しております。年配で気が利いた人なら良いのです。夏なんか、採血の跡が残って目立つし・・・」と。
だから、言っておいた
「妬かない!妬かない!若い子は、それしかないんだから・・」と。

そうかと思うと、別の野郎が言ってくる、
「美女の手は、舞い散る雪の欠片のように冷たかったかい?でも、 お友達のU子祖母さんにバレないようにね」と。
要らぬ心配をする。それゆえ、こんなふうに応えておいた
U子が吠えるかもしれない、『こらっ、孫娘にまで手ばだしよって』と。だったら、こっちも負けじと、『お前ぇところの孫娘は、吸血鬼か?』と言うてやろう」
現実とはかくも違うのである。は所詮ウワサであって、事実情報ではない。悪女らは、いつも事実に目をつむり、勝手な推量をして、次々と伝聞を加えて、撒き散らす。

午後の3時過ぎだった、好天気に誘われて、ひこばえの野を抜けて散歩に出かけた。晩秋のこの季節は、空気が澄んでいて、遠くの北アルプスの山々もくっきりと全容を見せる。すでに冠雪をまとってはいるが・・。そろそろ家の外の雪囲いをしなければ、・・スタットレスタイヤへの交換も急がねばと、考えて家に戻った。家の郵便受けに一通の封書があった。差出人は、かつての職場のボスからの年賀欠礼の封書である。

 

手前の黄色く見えるのはひこばえである

喪中につき年末年始のご挨拶を遠慮申し上げたく・・・(略) 3年前に、妻が食事準備中に脳溢血で倒れ、救急病院に担ぎ込まれ、リハビリを続けてまいりました。その甲斐もなく左半身が不自由となって・・・。ほどなくステージⅣの大腸癌が見つかり、肝臓への転移も重なって、長期にわたって国立がん研究センター中央病院で治療を行っておりました。・・・その後は抗がん剤治療などを施しながら病気と闘っておりました。小さくしようと再手術を模索していた折、腸閉塞を起こし再度入院となりました。一旦は退院して自宅で、・・・・私は、脳出血のリハビリに希望をつなぎ、一緒になって病と闘い、かすかな希望を持った充実した日々でした。妻が、脳梗塞で倒れたとき、私は齢82で・・・(略)リハビリ介護のため介護保険制度の勉強をはじめ理学療法士や作業療法士から、介護の操作も学びました。(略) 介護の甲斐もなく、年明けの3日、昏睡状態に陥り、79歳の生涯を閉じました。妻が亡くなったのを機に、今後、年末年始の挨拶状は失礼させていただきます。誠に勝手ながら・・(略)
 

伴侶の遺骨を持つのは辛い

そんな年賀欠礼の手紙を読みながら、ボスと仕事をした現役時代を思い起こしていた。四半世紀も前だった、伝統的営業スタイルが一般的だった時代に、大手外資企業から、営業担当重役として入社し、革新的営業展開を図った人物である。多くを学び、敬愛してやまない彼にしても、奥方を病から救えなかった。

 

この2年ほどの間に、我が身にも、口腔癌直腸がんが襲った。一か月余りの入院を二度も余儀なくされた。だから、苦労はよくわかる。近所の住人も、<あそこの爺さまも、あまり長くはないかも・・>と哀れみの目で見ていた。後期高齢者の身なれば、この世の中を仕舞う時期かと考えないでもなかった。まだ未練があって、息を吹き返した。幸い医者も見放してはいない。そんな時、中途で入社した外資企業の同僚の勝ちゃんが、霜月の某日に死んだとの報せが、フェースブックで知ることになった。やはり癌で亡くなったと・・・。40年前からの付き合いで、共に荒野を駆け巡った戦士だったのだが・・。

 

庭の残り少なくなった柿を啄ばむ小鳥

わが小学校は、辺鄙な田舎にあるも、全校生徒の数は500人を誇っていた。うち2割の100人の児童は浜里集落から通っていた。その小学校も今や統合されて、浜里の頭数は10人にも満たない。どいつもこいつも田舎を棄てて都会に出たからである。浜里で都会から戻ってきたヤツは、俺一人である。

そんなことを考えながら、昔の小学校のガキ友の顔を思い浮かべてた。男子生徒は、学年で30人いた。級長のアキオも、カズオも死んだ、今一人の秀才のユウイチはアルツハイマーだと。他に7人は、すでに鬼籍に入っている。3人に1人は冥途の住人である。次が、俺の番かと思わないでもない。

 

近所のヒマ人主婦E子は言う、

「わたし、平ちゃん分まで長生きするちゃ!何のために、仏教婦人会世話役をやっていると思うとるがぁ!H子さんが、あんたのこと忘れんようにするよ、心配は要らんちゃ!」と。

ふと、庭の柿の木に目をやった。つい1ヶ月ほど前は、たわわに実をつけていた柿の実は、すでにわずかである。小鳥が啄みにやってくる。ガレージに置いてやっているオスメスの元野良ネコ2匹も、寄り添って仲良く暖をとっている。もう間もなく木枯し吹き荒ぶ冬の到来である。なんとか乗り切り、草木の萌ゆるを迎えたいもの。

「平ちゃん!奥さんにだけ芋掘りさせて、あんたは、ただ突っ立て見ているだけや。いつも甘えて、腰が痛いとか、病み上がりだと、しゃ、ウッソ)や。あんたは、ブログで忙しいとか上手いこと言うておる。私なんか一日中テレビを見てても、な~ん凝らんよ。みかんを剥くのに手を動かしておるもん!」と。

 

テレビを見てても肩が痛くなることもないし、みかんを剥いて腱鞘炎になった話は聞いたことがない。冗談は休み休み言って欲しい。こっちは、ノートパソコンの使う姿勢が悪くて、身体にガタがきて泣いている。なにせ一本指タイピングである、寄る年波に勝てないもの!E子の作戦は、ツレの肩を持って、巧いこととろろ芋をせしめることにあるのだ。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-山芋

 

それはともかく、5月の連休に植えたとろろ芋が、仰山採れた。去年の失敗に懲りて、今年は波板雨樋を組み合わせて植えたから、掘り起こすのも楽だった。それでも、布団からはみ出したヤツもいた。掘る面白さを知ったツレは、文句も言わずに作業をしていた。

波板雨樋をつかわないと、長いもは地中深く1メートルにも伸びて、掘り起こすのに数時間もかかる。途中で折れてしまっては、価値が半減してしまう。

 

ガキのころ、とろろ芋は貴重だった。嵩を増やすためにおろし大根を混ぜて、味噌汁を出汁がわりに入れていた。今なら、めんつゆを用いて、かつお節・海苔・きざみネギ・生卵をトッピングして、炊きたての丼ご飯にかけるとこの上なく美味。酒の肴に、千切りにして、二杯酢をかけて、削り鰹節とゴマをふりかけるという手も。グラタンやチーズのベーコン巻の組み合わせもある。郷愁を味わうには、とろろ汁の方が好きである。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-とろろ汁


1か月前に、自然薯は収穫を終えていたから、E子に横取りされなかった。てよかった。あいつは、きっとこう言って持って行っただろう、
「私ね、長芋より自然薯の方が、粘りがあって好きながやっちゃ。うちの父ちゃんも好きながよ。すこし、貰って好いけぇ」と。
E子の亭主のことなんか知るもんか。食わせたいなら、魚卵の組み合わせお裾分けを持って来んかい。毎年、今ごろ北海道から届くはずなのを知っている。それを言っちゃ、男が廃るから我慢して黙っていた。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-魚卵


そう言えば、数日前に悪い夢を見た。珍しくE子のやつが、お歳暮を持ってやってきた。
「平ちゃん、ちょっと早いがやけど、今年もいろいろとお世話になったから、これをどうぞ。うちの父ちゃんが持って行けと言うもんやから、届けに来たよ。いっぺんに食べたらダメやよ、大事に食べっしゃい」


不思議に大きな箱に入ったタコ・スルメ・ナマコの詰め合わせだった。ご亭主に悪いなと思った。頬張って食べようと試みたが、入れ歯では言うことを聞かない。歳はとりたくないもの。夢でよかった。そんなものを貰って、恩を着せられては敵わない。どうせ呉れるなら、魚卵の詰め合わせが好い。タラコ・筋子・数の子は、正月に外せない逸品。万に一つも、E子からの僥倖などありはしない。お歳暮のシーズンである。ウナギも喜ばれる品なるも、山芋も<山うなぎ>とも呼ばれて珍重される。師走まで旬日もない、そろそろ、お歳暮のシーズンである。

  山うなぎ ねばり(値張り)が届く 年の暮れ

今朝は決めて」と。
サラリーマンのころ出がけに、家内が玄関先で叫んだ。何も、ネクタイを決めろという意味ではない。これは、ケ・サ・ハ・キ・メ・テ のことである。

携帯財布ハンカチキー名刺入れ定期入れを忘れていないか、今一度チェックして」

という意味。よく、何かと忘れるからである。どれも大切で、特に名刺は営業マンにとって、異国でのパスポートにも匹敵する。トランプのカードか単語カードみたいなものだが・・・。

 

今回は、名刺の話である。古今東西、男とは、肩書が好きな人種らしい。サラリーマンにとって、名刺は必須アイテムである、問題は、肩書で、専務・部長・次長・・・・、キャリアを積んでくると気にするようになる。今は課長部長もインフレだが、昔は大変だった。親戚で大会社の課長という肩書がついたと言って、お赤飯が親類縁者に届けられた。そのとき、初めて課長って、たいそうエライんだと知った。親戚の家では兄弟姉妹が揃って、ご膳で祝っていた。何よりも、両親が大喜びだった。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-名刺


人間と言う生き物は、馬齢を重ねると、肩書や勲章が欲しくなる。話は飛ぶけれど、勲章と言えば、福沢諭吉が勲章を辞退したことで有名である。その言い分が好い、

「車屋は車をひき、豆腐屋は豆腐をこしらえる。学生は書を読むというのは人間当たり前の仕事、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければ・・」と。

 

人間、死ぬと戒名法名を位牌・墓誌・法名軸につける。法名の上につける尊称のことを院号と呼ぶ。これは平安時代に、その人の住んでいる寺院の名をもって、尊称とする風習があったそうな。後に、寺院の名に関係なく<〇〇院>の称号を用いるようになった。滑稽なのは、法名に院号を付けたがるのである。昔の年寄りも、死んだら、院号が欲しいと言っていた。これは、ずいぶんお高いのである。生きているうちに、みんながびっくりするような、院号を自分で書いて用意しておこうと思う。たとえば、文章院釈平穏居士なんてどうだろうか、もちろん冗談である。
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-法名


碁会所をやっていた縁筋から聞いた話によると、常連客の中には、退職すると肩書がなくなって、ずいぶんさびしい思いをする人が多いらしい。みんなに何らかの肩書を出すことにした。△△囲碁会、会長・副会長・名誉顧問・顧問・幹事etcと。みんな嬉々としてやってくるようになったと。人間、いくつになっても肩書が欲しいらしい。仲間の飲み会に行くと名刺の種類を何枚ももっていて、見せびらかす輩が必ずいるもの。何を隠そう、俺もそうかな・・
 

そう言えば、人のことを笑ってばかりもいられない。小学生の高学年になって、衛生当番だかなんかになった。すると腕に紅い腕章をつけるのだが、なんだか嬉しくて、学校の行き帰りもつけていた記憶がある。さぞかし、親は笑っていたろうと思う。
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-肩書


この間、文房具屋で名刺作成用紙を求めた。実によく出来ていて、パソコンから作成用のテンプレートをダウンロードして、文字やロゴも豊富で、デザインも自由自在。写真も挿入可能だし、両面印刷もできる。紙質もよく一般の名刺と比べてもそん色がないどころか、多色刷りもお手のもので、優れているのである。 

近所のヒマ人E子が言うかもしれない、

「平ちゃん、あんた名刺もっておる?わたしにも頂戴よ。なんやら、ラジオの朝生という番組でコラムやって、コラムニストけぇ?随筆なんちゃらに、書いているブロガー似非人(エッセイスト)樫平吾、サロン・ド・碁 席主?」

この間の日曜日、玄関に人の気配がする。高校生だろうか、封筒を手にやってきた、
「俺ぁ、草村の親戚の者です。E子叔母さんが、師匠に教えてもらいなさいと言うがです、恥ずかしいがやけど、見てください!」と。


緊張のせいか足をガタガタ震えていた。家の前を行ったり来たりする若者がいるのに気づいていたが、まさかラブレターの添削の頼みとは思いもよらなかった。E子の甥だという。思い起せば、昔、あいつにも、ラブレターの書き方を手ほどきしたことがある。他人さまに手ほどきするほど、俺は上手なわけはない。ハッタリをE子に言っただけなのに、少しは役に立つこともあるのか。師匠と言われると悪い気はしない。そんなわけで、今回はラブレターの<手ほどき>をテーマにお届けしたい。

 

文とは、愛を告白する 付け文のこと。なんとも艶やかで古めいた言いかたに思える。ラブレターなどというと、現代風で薄っぺらな感じがする。せめて内容に少しく重厚さが欲しい。想いを抱く人に好意を届けるための密書とも言える。書けないといくども破いたりして、ひそかに小さな胸を痛める。ところが、現代のようにスマホが行きわたり、たとえばLINE がコミュニケーションの手段になると、大切な文言さえも平凡でありきたりになる。

 

 

若者が持ち込んだ封筒には、便せんが入っていた。文字は躍っているも、次のように書いてあった。
・・・いつもあなたと同じ汽車で、通っている草村と言います。あなたが好きです。思い出すと胸が熱くなって夜も眠れません。(中略)あなたにあまりつきまとって、ストーカーと間違われるのではと心配です。あなたのことが忘れられません、お願いです、付き合って下さい。(以下略)

 

この手紙には余韻とか、枯淡の趣楽しむところがない。ラブレターであっても、単なる付け文であってはならなない。その昔は、万感の想いを下手な文字でも、心をこめて、文字の並びや字面に心を配って相手の心に響くように書いたもの。彼の手紙の文面も直截な言い方が多かった。もう少し婉曲な表現が好いかもしれない。

 

比喩暗喩なども少し入れたらどうかと言ってやった。花鳥風月という古典的手法で、心の内を小鳥になぞらえたりする。言葉を自由に使う喜びにもなる。恋に心が奪われて、とても余裕はなさそうである。どうせ受験勉強中なんだから、万葉などの古典あるいは、西欧の歴史や文学を引き合いに出すと面白いとも言ってやったのだが・・。たとえば、万葉集の古典の有名な恋歌などどうだろうか。

 たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝(あした)に 恋ふべきものか (詠み人知らず)
昨日の夜お会いしたばかりなのに、あなたがお帰りになって、一夜明けて、朝になってみると、もうこんなにもあなたが恋しくなるのです。

 

 

ラブレター論は措くとして、いくらか指導をしてやらねばならない。そうは言っても、まだ高校生である。そのあたりも考えて・・・、少しは、恋文っぽくなったろうか。

 

ミチコさん、思い切って告白します。僕は風に揺れる一本の葦ですが、あなたは土にしっかり根を張った楓です。通学の電車で初めて、あなたを見たとき、“いい人”だなと想いました。その時から、あなたのことが忘れられず、人知れず同じ車両に乗るようにしました。一昨日、満員電車の中で、おばあさんに座席を譲っていましたね。大地にしっかり根を下ろしている人でなければ、あんなふうに振舞えません。ほんとうに清楚で素敵に映りました。それで決めたんです、告白しようって。(中略)
庭の楓の葉っぱでこしらえた栞です、読書の友として、あなたのそばに置いて下さい。(後略)僕は、あなたが好きになりました。

 


好意を持つ人に恋文を書く上で、留意すべき点は、下手な字でも心をこめて一字一句丁寧に、想いが相手に届くように書くこと。感情を高ぶらせて、手紙を書くことに酔ってはいけない。深夜、人が寝静まった時に書くと、恋心が盛り上がり、そうとうな熱を帯びた内容になってしまう。だから、熱も少しは必要であるも、入り過ぎてはいけない。朝、いきなりポストに投函せずに、読み返してからにしたいもの。

ともかく何度も礼を言って、帰って行った。果たして愛が成就するだろうか、しかし、そこまで俺にも責任は持てない。

今朝、久しぶりに雨が上がって、畑に行って大根を数本抜いた。この時期の大根が旨い。皮を剥いて圧力鍋に入れ、予め脂抜きしておいた油揚げなどいれて、醤油・みりん・酒と出汁でじっくり煮込むと、柔らかい炊き合わせができる。冬にかけて、はずせない料理となる。

 


ずっと前に、娘のところに厄介になったときを思い出した。いつも忙しいのか、派出夫が田舎からやって来たと歓迎された、
「お父さん!イカがあるんだけど何か料理をしてよ」と。
娘は、バレエ教室をやっていて、忙しいらしい。田舎から送った大根ジャガイモイカの炊き合わせを作って喜ばれた。大根は、プレーンなだけあって、癖がないのでどんな料理にも合う。ところで、人口に膾炙した名言がある、

大根の皮とらぬアホ、生姜の皮とるアホ」と。

大根は厚めに剥いた方が味がしみ易いし、生姜は皮をむいてしまうと、香りや栄養の多いところを捨てることになる。この時期の大根は、特に俺の畑のは、皮を剥かなくていいんだと娘に言ってやった。なぜって?アク灰汁)なんか、あまり出ないから。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-大根とイカ


少年の頃、夏が終わって西瓜の収穫の後に、母が大根の種を数粒ずつ、畝に小さな穴を開けて種を押しこんでいた。それが11月の下旬になると、立派な大根に育つ。冬の近い晩秋か冬の初めに、収穫した大根を川の冷水で洗う。その大根を軒下に、洗濯物でも干すように、竿にぶら下げる。あれは、初冬の風物詩だった。なんでもない作業と思っていたが、サラリーマンを辞して、田舎で大根など作ってみると、意外にしんどい。いつも大根十耕などとエラそうに言っているが、西瓜の畝なら、鍬を入れずとも柔らかい。畝は、西瓜の根っ子などが張って、結果的に十分に耕されたのだろう。

 

大根を娘に送ると、もいっしょに付けてくれと言う。孫は、肌が敏感でアレルギー体質で、アトピーである。新鮮野菜の葉を食べさせたいと。俺の野菜は有機栽培だから、一切農薬は使っていない。大根と言うヤツ、白い大きな足を誇るも、太い根ばかりではない。葉っぱも料理の仕方によっては旨い。娘は、それを知っているのだろうか。

昔、田舎の母親が炒めものなどに、大根の葉っぱを料理しようとすると、貧乏たらしいと思った。有機の大根の葉は、希少価値がある。ビタミンやミネラルが豊富に含んでいる。シャキッとしているうちに、調理して振りかけや、炒め物大根飯にすると、大いに喜ばれる。ただ、いかんせん量が多すぎる。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-マッチ箱


有機野菜といえば、昔、近所の田圃を持たない人も、農家のコメの収穫の後の田圃を借りて、よく大根や菜っ葉を作っていた。田圃の手伝いなどしたことのない漁師の子どももみな駆り出されて、糞尿桶を担いがされていた。どうしても尿を撒かれて作った野菜は、食べる気がしなかった。回虫ギョウ虫サナダムシの卵が、糞尿に混ざって畑に入る。それを人間の口から胃に入って循環する。マッチ箱にウンチを詰めて、検便のため学校に持って行った。だからか、クラスの何人かに寄生虫がいた。お腹が痛いと医者に行くと、お腹に虫がいるのではと、必ず虫下しを飲まされたものだ。

 

最近では、お腹の中で寄生虫を飼うと、花粉症アトピーに効くし、果てはダイエットにも好いと。日本の免疫学者の藤田 紘一郎博士は、自身の研究の一環として、自らの腸内で15年間6代にわたりサナダムシを飼っている話は、過日も紹介した。氏によれば、人間が、寄生虫や細菌と共生することで、現代病から免れることができると。そうかと言って、今更、水洗トイレを壊すわけにはいかない。

 

話が、”寄生虫”で終わってはいけない。田舎でひたすら、大根を作る素人百姓の俺も、常に人生を考えている読者諸姉諸兄よ、シェイクスピアの言葉を、ご存知か?
「人生は舞台、人はみな大根役者」と。
我が舞台も、西瓜を作った後のくたびれた畝なりや。

このところ、食材の買い物当番は、俺と決まったようである。今年、98歳になる義母を引き取ったから、家内も買い物まで手が回らないらしい。大の男がスーパーで、細々と食材を買い漁るというのもみっともない。なるべく知り合いには会いたくないもの。
昨日のこと、例によって街の大型スーパーに行くと、俺の後ろになんとなくついてくる婦人がいる。コロナ感染騒ぎで、みんながマスクをしていて、口をふさぐ程度ならいいが顔まで覆うと、誰が誰だか見分けがつきにくい。

 

 

間違って、声でもかけたら恥をかく。くだんの女は、いちばん会いたくないヤツだった、
「あんた、私のこと忘れたん?冷たい人やね~ん!」
わざと声を押し殺している。誰あろう、近所のヒマ人主婦E子である、
「さっきから、あんたの後をついて行っていたの。肉売り場で、高級牛でも買うのかと思ったら、カゴに入れたのは安いひき肉。魚売り場で地採れのタコ・イカがあるがに、あんたが手にしたのは、なんやら安いマグロのミンチやった」
「・・・」
「たくさん年金をもらって、そんな安い食材ばっかりなら、しゃお金が貯まってしょうがないわよ。たまには神戸牛の肉でも買わんにゃ!」

 

 

次に何を買うのか 興味があるらしくピッタリついて、うるさいのである。
あいつは俺にストーカー行為をしている、何を買おうと勝手じゃないか。
「あんた、豆腐の次に、何をカゴに入れたん?おから?しゃ、何?100円もせんぜぇ~?倹(つま)しい生活やっちゃねぇ~」

何度も書いたが、この2年の間に、癌を2度も患った。口腔癌直腸癌である、しかも限りなくレベルⅣに近いと脅された。何が辛いって、入り口出口に不都合を抱えている。とりわけ、口腔癌4分の1も歯を削り取られて、代わりの入れ歯が問題である。ホリグリップとかいう入れ歯安定剤で固定しても支障がある、固いものは噛みきれない。まあ現役の頃に、ご馳走をたっぷり食べたから、今さらあれが食べたい、これが食べたいという贅沢はない

 

 

食材の話に戻ろう。豆腐とひき肉マーボー豆腐を作ろう、マグロのミンチは俺の酒の肴。あいつが安いと驚いたのはおからだった。豆腐を作った後の残りカス。今の若い人たちは、見向きもしないだろう。しかし、こいつは、栄養学的にも、味的にも決して侮れない。なんと言っても、栄養面で優れている。タンパク質、脂肪に繊維質も豊富で、脂肪の約50%は不飽和脂肪酸のリノール酸。このリノール酸は、抜け毛やパサつきを防ぐ働きがある。他にもレシチンがある。これは記憶力を助けてくれる、だんだん年を喰らうと、すぐに色々なことを忘れてしまうが、レシチンが助けてくれる。便通に効果的である。なにせ、直腸癌で直腸を20センチもカットされたから、アウトプットに苦労している。これなら便秘で苦しんで泣くことはない。


E子のヤツがなんと言ったか、

「平ちゃん、おからなんてモンは、しゃ、歳とった婆さまおかずやぜぇ~。ほかにも、ヒジキ・油揚げ・竹輪・人参も入れるがけぇ?安いもんばっかりやっちゃ。あんたもついに爺さまやねぇ~!あ~い可笑しや!」

バカを言うんじゃない!おからは、雪花菜きらず)、卯の花とも漢字で書くくらい食材のである。明日にも、E子の亭主の安っさんに届けてやろう。晩酌の肴に泣いて喜ぶだろうよ。

東京でサラリーマンをしていたころ、いつも田舎の百姓家のことが気になっていた。親が生きているうちは問題ない。いなくなったとき、どうするかが悩みだった。ある時、家内が何か用事があって、田舎に行ったとき、家の向かいの住職が言ったという、
「冬になると、お寺の前のお宅の一角が真っ暗になって、寂しいもんですちゃ。平ちゃん、いつになったら、戻って来られるんです~」と。


そのころで、建てて60年も経った家だから、価値はない。村人から見れば、3軒の寺の門前に空き家があるのでは、辺りが始終真っ暗だと困っていた。荒れた空き家では見苦しいからだ。ただ俺にしてみれば、ビーチハウスと称して、友人を招いて海遊びに興じるセカンド・ハウスに格好だった。子供たちも、おおいに利用していた・・・

 

7,8年前の満天星つつじに囲まれた拙宅

親の遺した家であり、想い出がいっぱい詰まっている。いずれ帰ろうと漠として考えていた。ただ、放っておくわけにはいかない。なにかとメンテナンスが必要だった。ときどきの風入れ庭木の手入れ果樹の収穫庭の草とりが欠かせない。ガス・電気・水道・電話の料金も、最低分はかかる。一番厄介なのは、庭の雑草取り生垣の世話。ほったらかしにしておくと庭は、雑草やら灌木が生い茂り、手がつけられなくなる。

20年も前のこと、家内が家の周りに、満天星つつじの生垣はどうかと盛んに勧める。<つつじ>と<さつき>の違いも定かではないから、さして気にも留めていなかった。たまたま、雑誌のグラビヤに真っ赤に燃えるような<どうだんつつじ>が写真に載っていて、その字に<灯台躑躅>や<満天星>が当てられていた。細枝の分かれた形が結び灯台の脚に似ている。こぼした霊水が、この木に散って満天の星のように輝いたと中国の伝説話にもある。なんと詩的で、ロマンチックなネーミングだろうと思った。

 

ちょっと手入れをサボるとこんなにも繁茂する

植木屋の職人に<どうだんつつじ>は、どんな庭木か尋ねると、
「春にはネ、枝先にスズランみたいな小さな花を咲かせるがです、秋はまた秋で、紅い紅葉が見事な落葉低木で、これがあると、家の格が倍ぐらい上がりますちゃ」と。
それならばと、植わっていた灌木をとり除き、石を3段ばかり積みめぐらし、内側に30本ほどの<どうだんつつじ>を植えても貰った。

この百姓家を終の棲家として移り住んで、すでに10年が経った。今<どうだんつつじ>が、無聊を慰めてくれる。枝木の剪定が、楽しい行事にもなった。この庭木はどこをどう切ろうとも、新しい枝を出してくる。刈り込みがしやすい。切ったあと、4本も5本も新しい枝を伸ばしてくる。切ってやれば、年をおって枝がより密になりいい形になるそうな。丸く仕立てたいときには、なるべく早い時期から頭を切り横枝を出させて丸くせよとモノの本にでている。

 

引越しして間もなくのころの満天星つつじ

刈りそろえる時期は、だいたい6,7月がいい。9月にさしからないうちにやらねばならない。この木は紅葉がすこぶる美しいから、9月に入って刈ったのでは、紅葉が見られなくなる。梅雨明け早々に刈るのを狙ってやっている。満天星>も、少しずつ厚化粧を落としつつある。季節は、晩秋から冬の到来だからである。やがて、寒風の中に、衣をすべからく脱ぎ捨て、春まで丸裸で寒さに耐えることになる。晴れた冬の夜は、星空はきれいだ。満天の星を見ながら、春を待つことになる。

孟子の言葉に、居は気を移し、養は体を移すとある。 なんの変哲もない百姓家だけれど、住まいは気持ちを変え、食べ物は体を変えるとすれば、長く留守にしていた此処を終の棲家とする幸せをご先祖に感謝したい。