「今朝は決めて」と。
サラリーマンのころ出がけに、家内が玄関先で叫んだ。何も、ネクタイを決めろという意味ではない。これは、ケ・サ・ハ・キ・メ・テ のことである。
「携帯・財布・ハンカチ・キー・名刺入れ・定期入れを忘れていないか、今一度チェックして」
という意味。よく、何かと忘れるからである。どれも大切で、特に名刺は営業マンにとって、異国でのパスポートにも匹敵する。トランプのカードか単語カードみたいなものだが・・・。
今回は、名刺の話である。古今東西、男とは、肩書が好きな人種らしい。サラリーマンにとって、名刺は必須アイテムである、問題は、肩書で、専務・部長・次長・・・・、キャリアを積んでくると気にするようになる。今は課長・部長もインフレだが、昔は大変だった。親戚で大会社の課長という肩書がついたと言って、お赤飯が親類縁者に届けられた。そのとき、初めて課長って、たいそうエライんだと知った。親戚の家では兄弟姉妹が揃って、ご膳で祝っていた。何よりも、両親が大喜びだった。
人間と言う生き物は、馬齢を重ねると、肩書や勲章が欲しくなる。話は飛ぶけれど、勲章と言えば、福沢諭吉が勲章を辞退したことで有名である。その言い分が好い、
「車屋は車をひき、豆腐屋は豆腐をこしらえる。学生は書を読むというのは人間当たり前の仕事、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければ・・」と。
人間、死ぬと戒名や法名を位牌・墓誌・法名軸につける。法名の上につける尊称のことを院号と呼ぶ。これは平安時代に、その人の住んでいる寺院の名をもって、尊称とする風習があったそうな。後に、寺院の名に関係なく<〇〇院>の称号を用いるようになった。滑稽なのは、法名に院号を付けたがるのである。昔の年寄りも、死んだら、院号が欲しいと言っていた。これは、ずいぶんお高いのである。生きているうちに、みんながびっくりするような、院号を自分で書いて用意しておこうと思う。たとえば、文章院釈平穏居士なんてどうだろうか、もちろん冗談である。
碁会所をやっていた縁筋から聞いた話によると、常連客の中には、退職すると肩書がなくなって、ずいぶんさびしい思いをする人が多いらしい。みんなに何らかの肩書を出すことにした。△△囲碁会、会長・副会長・名誉顧問・顧問・幹事etcと。みんな嬉々としてやってくるようになったと。人間、いくつになっても肩書が欲しいらしい。仲間の飲み会に行くと名刺の種類を何枚ももっていて、見せびらかす輩が必ずいるもの。何を隠そう、俺もそうかな・・
そう言えば、人のことを笑ってばかりもいられない。小学生の高学年になって、衛生当番だかなんかになった。すると腕に紅い腕章をつけるのだが、なんだか嬉しくて、学校の行き帰りもつけていた記憶がある。さぞかし、親は笑っていたろうと思う。
この間、文房具屋で名刺作成用紙を求めた。実によく出来ていて、パソコンから作成用のテンプレートをダウンロードして、文字やロゴも豊富で、デザインも自由自在。写真も挿入可能だし、両面印刷もできる。紙質もよく一般の名刺と比べてもそん色がないどころか、多色刷りもお手のもので、優れているのである。
近所のヒマ人E子が言うかもしれない、
「平ちゃん、あんた名刺もっておる?わたしにも頂戴よ。なんやら、ラジオの朝生という番組でコラムやって、コラムニストけぇ?随筆なんちゃらに、書いているブロガー?似非人(エッセイスト)樫平吾、サロン・ド・碁 席主?」