お天道様が見ている

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田舎の母は、100歳まで生きて、ボクのために百姓家とその周りに、畑を残しておいてくれた。晩年の彼女は、いつもこう言っていた、
「平吾、お前さは、いつもエラそうなことを言って、都会で暮らしておるけど、世の中これから先、どうなるかわからん。そのうち東京で食い詰めたら、ここに帰って来い。畑があるから、菜っ葉や大根に芋でも作って、食べておれば命だけは永らえられる。お前さは、大学を出たか知らんけど、母ちゃんは尋常小学校を3年しか出ておらん。でも鍬さえ握っておれば、他人様の世話にならんで、こうして生きておられるんじゃ」と。

その母親に、田舎に帰った折には、小遣いを渡そうとするのだが、
「子供に何かとお金がかかるだろう。そげいなもん、なんにも要らんよ」と。
決して受け取ろうとはしなかった。明治39年生まれのいちがいな人だった。いちがいというのは、頑固に自分の主張を押し通すという方言である。

 

 

ツレの両親は、学校の教師を長年に勤めていた。特に義父は農業高校の先生だった。定年後も、家の片隅にある畑で、いろいろな野菜を育てていた。働いていた人間が、定年を過ぎて、働くことから解放された場合、2つのタイプに分けられるという。もう働かなくて好いんだと遊んで暮らす人と、とにもかくにも働いて何か生産活動に従事していたい人とに。


幸か不幸か、ボクもツレもお天道様に申し訳ない気がして、天気が良ければできるだけ野良に出て体を動かしていたい部類である。ツレはその傾向が強い。今日だって言うのである、「いつまで昼寝をしているの?早く畝を耕して、ニンニクを植えましょ」と。
考えてみれば、世の中は連休の最中である。人々が、山野などに行って遊び楽しんでいる、ボクだって家にいたいと思うも、ツレは野良仕事をしたいらしい。

 

 

顰蹙(ひんしゅく)を買のを覚悟で言ってやった、
「キミの先祖は、100%水呑百姓だったに違いない。それじゃ、働くために生きているみたいではないか。ボクは、働くとしても生きるために働くのよ。まあ俺の血の半分は、百姓だけれど、いくらかやんごとなき血が入っている。そのせいで、趣味の囲碁をしたいとか、書物に耽ってみたいと血が騒ぐのよ。ほら、読書の秋だろうがぁ!」
すると、ツレが言うのである、
「あなたいつも言っているじゃな~い、孫たちに有機野菜を食べさせたいって、あれはウソなの?誰が、やぶ蚊に食われながら、畑仕事をしたいもんですか。子供や孫が可愛いからでしょ?」

 

 

ツレは間違いなく、生産活動にかかわっていたいタイプで、強迫観念に駆られている。外が雨だと、大喜びするから面白い。
「あなた、雨が降れば、なにもお天道様に、気兼ねをしなくていいでしょ。家の中で、好き勝手なことをしていても、誰にも文句を言われないわ!」
まさか、ご先祖さまが見張っているわけではないのに。

頼られるのは喜びか?

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都会に住んでいる娘から、久しぶりに電話があった、
「お父さん!今度わたし、店を開いたのよ。そこで自分のオリジナルのネクタイを売ることにしたの。日本に限られた本数しかないネクタイを、皆さんにつけていただこうと思ってね。お父さん、ブログで宣伝して!」

 

そこで電話が切れてしまった。さあ、大変である。店をオープンするなんて、エラいことをやってくれる。そんな心配をツレに語った、すると
「あの子は、あなたと違って無茶をしないわよ。堅実なんだから・・」
「キミさ、そうは言ったって、お店を開設するとなると、店舗を開くお金なんてバカにならないよ。だいいち、敷金・礼金とかさ、それに品物の制作費とかかるじゃないか」
ツレの言葉の「あなたと違って・・」と言うところが、いくら隠居の身とは言え、どうも引っかかるのである。

 

 

ボクに3人の子がいる。店をオープンするのは長女K。次女Aは、横浜でバレエを長年教えていて、先日、自分の教室を開設したばかりである。あっちこっちのレッスン場を借りると金がかかると言って、自前のスタジオを持った。


親が田舎に引っ込んで、わずかばかりの土地で野菜を作って、なんとか口を糊している。そんなわけだから、これからも親には頼れないと、覚悟を決めたのかもしれない。
息子はどうしているかって?K太郎は、何とこれも4人の子供を抱えて、四苦八苦している。

ツレに言わせると、
「あの子は、あなたの遺伝子で、食べるとすぐ血となり肉となって、太るの。今はダイエットをするために、週末の土日はテニスをやってるそうよ。それだって、子供を守るための自衛策よ」
いやはや、親であるボクは子供に頼るつもりは毛頭ない。しかし、子供が親を頼みにできないというのも哀しいもの。

 

 

そうだった、今回はネクタイの店のオープンさせた長女Kの話だった。心配だったから、ゆっくり話を聞いてみると、ネット上で店をオープンさせるというのである。名前を Xoog Tokyo  (ズーグトウキョウ)と言う。もし興味のおありの方は、次のURL にアクセスを願いたい。http://www.xoogtokyo.jp 限られた、ごくわずかしかない貴重なネクタイ!娘のオリジナルのデザインのシルク製である。娘が言うには、

「世の中で売られているのは、柄にしてもありきたりなのね。わたしは、ユニークなものを届けたいの!」と。10月1日までだったら、開店記念で25%オフらしい。
 

ツレが言う、
「わたしは、子供に頼られているのよ。この間、娘の所に行って、孫の面倒を看たし、夏には息子K太郎の同僚を接待したじゃな~い。今度は、あなたのブログをぜひ役立てさせてちょうだいよ!」
嗚呼、しんどい!どうしたらいいのだろう!子らに頼られるのを喜びとしよう。

3Kの話とは・・

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人間は老いと同時に、3つのKを忘れるという。すなわち感心・感動・感謝だそうな。それは、心のゆとりがなくなってくるからだろうか。今回は、感動というほどではないが、こんな田舎にまで、出現したという最近の発見を話そう。

 

ボクが通っているトレーニング・ジム

いつもブログに書いてるように、今も週に2回ほど、筋トレに町の公営ジムに通っている。プールこそないが、トレーニング機器が30種類ほど揃っていて、シャワーも完備している。 トレーニングが終わって、さっと汗を流すことができる。月額たった千円である。何でもスポーツジムは宝くじの助成金で用意されたものらしい。ここにもう7年も通っていて、記録を見ると800回を超えていた。

その話を都会の友人に、電話で自慢したらこういうのである、
「樫よ、どうせ田舎のジムだから、表は豪華に見えても、肝心のトイレはどうせボットントイレだろうよ。誰かの後に、すぐには入れない厠だろう?その家の価値はよ、ラバトリーでわかるのよ。どうせ薄暗くて、狭いんだろう!」

 

N町の総合体育館

なんと、おっしゃるウサギさん。悪口雑言の友には悪いが、この数ヶ月前に、リニューアルして立派になったのである。体育館には、トイレが5,6箇所もあって、ボクの愛用している閑処なんてスゴイのである。お尻を洗った後、熱風が柔らかく吹きつけてくれる。もっと驚いたのは、その同じ狭いボックスの中に、赤ちゃんをソフトに結わえておく小さな椅子までついている。イクメンパパ用のためだろうか。まあこんな具合だろうか、
「今ね、パパがウンウンするから、ちょっとだけ待っていてね」

ボクは、どうやら厠とか閑処の話が好きなようである。つい数日前も、『
幸ウンの条件https://goo.gl/bXefVNでも、「便声シュクシュク 夜厠をまたぐ」と、書いたばかりである。話のついでに、つまらないことを思い出した。
サラリーマン時代、外資の会社に籍を置いていた。日本の面倒を見てくれていたマネジャーのアメリカ人のMr.Lが、インドを回って日本にやってきた。歓迎しようと仲間5,6人で、縄のれんで宴を催した。彼は、座を和ますのに長けていた。40数年前の話ではあるが・・・

 

Mr.Lが旅行したというインドの田舎町

話が上手いのである。演技派のMr.Lは、ちょっと深刻な面持ちで喋り出した、
「いやぁ、インドを旅行して日本に来たのよ。地方を旅したときのことを話すよ、自然がオレを呼ぶので、たまらずトイレに入ったのさ。インドの田舎だから、トイレを探すのに苦労したよ。なんとか探し当てて用を済ましたまでは、良かったさ。ところが生憎と、ちり紙を持っていなかった。ポケットをまさぐると、妻がアイロンをかけて持たせてくれた刺繍の入ったハンカチしかない。まさか愛のハンカチで、お尻を拭くわけにはいかない。他に何かないかと周りを見渡すと、枯葉で編んだような、太い縄が一本張ってあったよ」
「・・・・」
「みんなクイズだよ、その縄は何に使うか?」


みんなは、答えはすぐ分かったが、誰も沈黙したままだった。彼は言葉を続けた、
 「オレは迷ったさ、愛妻の心の篭った刺繍のハンカチを使うべきか、枯葉で編んだ縄を使うべきか、君たちはどれを使う?」
勇気を振り絞ってボクは答えた、
「インド人は、繊維質の多いものを食べているから、ちーとウンチが軟らかい、あんたは肉ばっかり食べているから、固いだろう。お尻なんか拭わなくても好いくらいだ。そのまま出たんだよね!」と
「ザッツライト!」
大笑いだった。彼の話に感心し、日本では縄を張ってないことに、感謝したものだ。今、新しい体育館のすばらしいラバトリーに大いに感動している。3Kの話である。

汝の友を許せ!

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多少なりとも、人様に自慢することがあるとすれば、この7年間ずっと駄文を書き続けてきたことだろうか。まれにサボったりもするも、2700回ほどになる。その間、休んだのは十指ほどである。1回に原稿用紙3枚半ほどにしている。いくら頭をひねっても、書けないときがある。書き溜めをしておけばいいようだが、なかなかそうもいかない。「人生は一行のボードレールにしかない」とは芥川龍之介の言葉。ボードレールとは、フランスの有名な詩人。並の人間の人生なんて、ボードレールの詩の一行にも値しないという。

 

 

してみると、ボクの2700篇の駄文は、ただの時間つぶしで無駄だったのだろうか。その駄文ですら、書くべきメッセージが見つからないことがある。そんな時は、近所の主婦E子のおしゃべりからヒントをもらったりする。


数ヶ月ほど前だったか、あいつがボクに懇願するのである、
「スマホとかパソコンって、なんて難しいがぁ!パソコン教室に通ってもさっぱりやっちゃね。平ちゃんだけが頼りや!」
あまりに熱心なので、根負けして教えたのが失敗だった。なぜって?パソコンやらブログで、ボクのブログが読めるからである。あいつが何て言ったか?
「平ちゃん、あんた他人の家の寝室を覗き見したように、色々書かんといてよ。私だって、人様に隠しておきたいことがあるがや。もしやぞ、東京にいる息子家族が読んだら、どう責任をとってくれるがぁ?」

 

 

だけどあいつは、忘れたのだろうか。彼女の息子が、

「平吾小父さんのブログで、母ちゃんが元気でやってるなぁと安堵しているんです」と、

そう言って喜んでいる。ところが、E子に言わせると、
「だからと言って、亭主と一緒に風呂に入って、背中を流しっこしている、そういう嘘みたいなこと書かんといて。しゃ昔の話やにかよ」


世阿弥の花伝書の中に、「秘すれば花なり、秘さざれば花なるべからず」とある。ほんとうに大切なものは、他人から隠しておかなければならない。あまりあけっぴろげにしたら白けてしまう。あいつの秘密は大したことはない。
「汝()の秘めごとなんて、20歳の姐さんならいざ知らず、70歳の婆さんの秘密だろうが、そんなもん問題ないよ。バラすことで、他人様が喜んでくれるとしたら上等じゃないか!」

 

 

そんなわけで、今日も書く材料がなくて困っているところに、数日前に書いた『待宵草https://goo.gl/tkA1FGで、亭主の安さんが、ボケてきた話をバラしたと文句を言ってきた。その文句とはこうである、
「わたし、ちょっこし亭主が構ってくれないから寂しいって言っただけやよ。うつ病から認知症になったみたいなんて、少しも言うてはおらんよ。東京の息子がビックリして電話をくれたよ。人騒がせやっちゃねぇ!」と。
それをヒントに、またこの駄文を書いている。隣人E子よ、汝の友の罪を許せよ!

ホントにやって来たぁ!

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宿敵の双子の片割れが、連休に先祖の墓参りのため、立ち寄って好いかと LINEで言ってきた。だったら電話で言えばいいのに・・。
「お兄さま、ご都合がよろしければ、そちらに立ち寄って、ご尊顔を拝したいの・・」と。
そんな風に、素直に言えば、ボクだって笑顔で次のように応じたろう、
「そんな水臭いことを言わずに、百姓家にだって貴賓室があるよ。幾晩でも泊まっていいよ」
どだいLINE などでメッセージを寄こすようじゃ、心がこもっていない。

 

 

あいつのことを、生まれながらの宿敵と思っているのには理由がある。もう70数年前、母親のお腹にいた時は、足で頭を蹴っ飛ばしたりしていた。生まれ出ると、今度はあいつの方が母親のおっぱいを独り占めにしやがった。母親の乳にありつけず、叔父の養子になって、田舎でヤギの乳で育った。あいつは乳母日傘、オレはヤギが乳母だった。柿の木の下で藁に包まって寝かされて育った。


片割れが、父親の生まれ故郷にやってきたのは、数十年ぶりだろうか。ご亭主や娘に孫を二人連れてやってきた。母親と違って、娘は人の気持ちがわかるとても良い子。すらりとして美形で優しい子だった。片割れとは、話がちっとも合わないのに、この姪とは性格や気が合う。姪がボクと目を合わせて言うのだ、
「伯父さまと話をしていると、晩年のお祖母ちゃまとお話しているようです。昔に戻ったような気がして懐かしくて、本当に嬉しい!」

 

 

お祖母ちゃまとは、ボクの実母で、明治生まれの女。一方、実父は百姓家の長男でありながら、跡継ぎを実弟に譲って東京に出奔した。180センチの上背の大男だったと聞かされている。小学2年生のとき、この世を去った。そのぶん実母は、たくさんの子供たちを抱えて苦労したろう。その祖母と話をしているみたいだと言ってくれた。

大都会からやってきた双子の片割れ一行に、わが菜園の農産物を料理して食べさせよう。メインディッシュをバターナッツ南瓜のロースト。トマト・ピーマン・玉ねぎを刻んで載せたピザに、自家製のタバスコをたっぷりつけて出そうではないか。タバスコは、菜園のハバネロ・赤唐辛子で作ったもの。片割れは感激して言った、
「これ辛いけど、美味しいわ! すごいわねぇ~!みんな畑で採れたもので作ったの?」
「・・・」

 

 

「良いわねぇ~。新幹線ができたから、東京まで2時間あまりで往き来できるし、富山は持ち家率日本一でしょう。魚は新鮮だし、水は美味しい。温泉も近いから、いつでも浸かれるし、ホントに幸せねぇ~」
「何を言っているんだ!ここは裏日本よ、冬は寒くて雪に閉ざされるんだぜ、何がいいものか」
十分満足したのかと思ったら、片割れの要求は他にもあった、
「ここに来たから、もうひとつお願いがあるの。いつもブログに登場するお友達のE子さんに会わせてよ。今日は、ご自宅にいらっしゃるかしら?」
冗談じゃないぜぇ~!二人でチクチクやられた日にゃ、後々禍根を残すことになる。タクシーを呼んで、早々に宇奈月温泉に行ってもらうことにした。

待宵草

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昨日の昼過ぎだったろうか、近所の主婦E子が、ちょっと思いつめた顔をしてやってきた。彼女との付き合いは、幼稚園の頃からである。そんな幼稚園なんて洒落たものではなかった、託児所保育所のことである。高校を出て大学は東京で、その後ずっと都会で過ごした。定年になってしばらくして、7年ほど前に集落の人間になった。だからE子とは途中50年ほど、付き合いが途切れている。ただ最近は、また付き合いが復活して、亭主も入れて家族で、お互いの家を行ったりきたりして酒を飲む仲である。あいつには、悩みなどないものと思っていた。

 

 

今回ばかりはちょっと違って、深刻な顔をして語る、
「私やって、悩みがあるがよ。うちの亭主は、外面(そとづら)は良いよ。この頃、私ら夫婦の間に、あんまり会話がないがや。私が夕飯を作っても、ろくに話もせずにテレビを観終わると、すぐに自分の部屋に引き上げる。寝所のテレビで野球でも観ておるがやろうか。何やら私ね~ん、寂しくてよ。平ちゃんちの夫婦仲はどういうがぁ?ちょっこし聞かせてよ」


すると、先にツレがE子に訊くのである、
E子さんの方から、旦那さんに色々話題を振ってあげればいいのに。うちは喋り出すと止まらないのよ。けど寡黙な方が哲学的でいいと思うわ!」

 


 

放っておくと風向きが悪くなって、こっちの立場が危うくなる。負けてはならじと言った、
E子、よく一緒に風呂に入って、背中を流しっ子すると言ってたじゃないか。あれは嘘やったんか?」
「それは、もう5年も昔の話やっそぅ。亭主は、もしかしたら老人性のうつ病じゃなかろうか・・」
「汝(わ)よ、『パチンコばっかりして・・』とか、『金がかかるから、外で酒を飲むより家で飲まっしゃい!』ってばかり言うからや」

 

 

「うつ病から認知症に発展したら始末が悪いよ。重症化するケースもあるって言うからな」
あいつは心配になってきたらしい、
「あ~い、どうしょの~ん!平ちゃん、何でもするから手を貸してよ!近所やし、長い付き合いやにかよ」
「それは、俺は友達だもん。協力を惜しまんよ、助けてやろうじゃないか。少し金はかかるよ。俺に治療代だと思って、あんたのへそくりを持たせろや」
そばで黙って聞いていたツレが、たまらず口を出した、
「この人ったら、きっとお宅の旦那さんと、宵待草E子さんの小遣いで、飲もうという魂胆よ」


「じゃあ、訊くけどよ、安さんが重病のうつ病になって、認知症になってもかまわんのか。女の人には分からんだろうけど、男ちゅうもんは、自分の庭の枯れかかった花より、他人の庭先で咲き誇るキレイな待宵草に慰めてもらいたいものさ。いつも家に縛りつけておいては、うつ病にもなるさ。時には、解き放たないといかんのだよ!」

田夫野人なるも・・

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数日もすれば、お彼岸である。稲を刈っている田んぼを見て、中学生だった今の時分、どうしていたかなぁと考えることがある。あの頃、親父はボクを野良にひっぱり出して、仕事を何とか手伝わせようと色々な手を考えていた。たまの日曜日は、ボクだって、仲間と一緒に遊びたかったし、中学3年生のころなど、高校受験のことが頭の片隅にあった。少しは勉強もしなければ、仲間に差をつけられるとの思いがあった。しかし、親父は高校の農業科に進んで、家の跡をつぐことを期待していた。

 

 

親父に文句を言っても話が通じない、ボクは母親に言った、
「母ちゃん、そろそろ二学期の中間テストがあるがや。午後は、田んぼに行かないで、家でちょっと勉強していたいんだけど・・」と。
すると、聞き分けのよい母は 言った、
「いいよ、勉強せっしゃい!父ちゃんには、そう言っておくから」
ところが、父は巧いのである、
「平吾、荷車にむしろ)とかます)を積んでおいたから、昼寝が終わったら、田んぼまで、運んで来いや!」と。
野良に行くと稲が刈られて、地べたに広げてある。ボクがサボれば、その分の作業は二人にかかって作業は晩くなる。とても逃げるわけにはいかない。否応なく働かなければならないと思った。

 

 

どんなことがあっても、普通高校に行こう。兄たちのいる東京の、大学に進学しようと決心したものだ。正直言えば、百姓仕事が嫌いだった。許されるなら、現状から逃避をしたかった、昭和38年のこと。

世の中は皮肉なもので、あれから60年ほどを経て、気がつけば、定年後に再び田舎に移り住んで、野菜作りをしている。もっとも、収入を得るための、汗水垂らす野良仕事ではない。色々な野菜を育てて、都会の子供家族に送ってやって、それがなんとも楽しいのである。
 

 

今、畑を見渡すと、夏野菜も9月の中旬を過ぎて、最終ステージにある。<秋茄子は嫁に食べさせるな>と言う。これは美味しいから、そんなものを嫁なんかに食べさせる必要はないという説と、たくさん食べると身体が冷えるから、健康に悪いという説がある。

 

さすがに秋風が吹いて、秋茄子はたっぷり採れるも、ちょっとばかり茄子の器量が悪い。あんなにたくさん採れたキュウリも、今や葉っぱも枯れてしまっている。収穫は、きっかり3ヶ月の間だった。キュウリなんて、世界一栄養がないと悪口を言われているも、もう十分である、来年の夏まで待とう。採れすぎのキュウりは、Qちゃん漬けにして、たっぷりと冷凍庫に仕舞ってある。しばらくは、トマトとピーマンを楽しもうではないか。

 

秋野菜の準備を急がねばならない。すでに大根とキャベツ、白菜は植え終わった。後は、蕪、エシャレット、玉レタス、ホウレンソウ、ニンニク、ネギ、チンゲン菜を植えなければならない。明日は畑仕事のために、好い天気であってほしい。百姓が嫌いだったのに、今はすっかり、田夫野人(でんぷやじん)になり、人生意気に感じている。

蛙の子は蛙

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<孫>って、誰に似るものなのだろうか。この頃、このガキの遺伝子について、孫を見る度に思わずにはいられない。この夏、わが百姓家にやってきた孫のハルは、わがまま放題だった。その話については、『台風のお駄賃』 https://goo.gl/myp9Gj でも触れた。先日、ツレは娘に頼まれておさんどんに、横浜に行った。孫の面倒をみるのが主目的だと言う。

そこで言っておいた、
「昔から『爺&婆っ子は三文安い』と言うよ。キミが育児の助っ人に行くというなら、遠慮せずビシバシやれ!わがままなんか言わせるんじゃないぞ!絶対に容赦なんかするな!」と。

 

 

何しろ一週間あまりも、亭主を放っておいて娘のところに滞在していた。面白いもので、息子のところのガキだったら、多少は嫁に遠慮もあるも、娘のところガキである、親の顔色を覗う必要はない。言葉がくどいと思ったが、言葉を重ねた、
「ハルが、悪いことをしたら、『バーバ、ごめんなさい!』と言うまで、許すんじゃないぞ!」
すると、そこまで念を押されて、ツレも口を尖らせて、
「そうまで言うのだったら、あなたが行けばぁ!だんだん気が重くなってきたわ・・」
「昔取った杵柄で、余人をもって換えられない」とかなんとか煽(おだ)てて、送り出したのだった。

 

 

その後の展開を語ろう。2日ほどして、孫もツレに慣れてきて、わがままが始まったらしい。りんごの皮を剥いて、食べない?と孫に聞くと、
「ハルは、ゲームをやっているから、今いらないよ!」
「後で食べたいと言っても、あげないからね。自分でりんごの皮を剥いて食べてね」
ところが、食いしん坊のハルは、10分もしないうちに、言ったというのである。
「バーバ、ハルなんだか、りんごを食べたくなった」
その要求を無視をしていると、また言ったと、 
「バーバ、ハルはりんご食べたいんだけど・・」
「だから、さっきあれほど食べないかって、聞いたじゃない。そんなに食べたければ自分で皮むいて食べなさい」
「だってハル皮むけないもん」
「どうしても、バーバに皮を剥いて欲しいんだったら、『ごめんなさい!』と言いなさい、そうしたら剥いてあげてもいいよ」

 

 

蚊の鳴くような小さい声で、「ごめんなさい」と言ったと。
小さな一歩であるも、進歩があったらしい。

3歳児なんて、猿と同じである。悪いことをしたら、ひっぱたくのもいいのではと思う。ツレは徹底して、会話戦術をとったようだ。娘婿の両親は、孫可愛さのあまり盲愛したのだろう。 ハルもいつもとは、様子が違うと気づいたという。蛙の子は蛙、血は争えない。子供は両親から、気質や性向を受け継いでいるもの。


家に帰ってきたツレが言うのだが、いささか耳を塞ぎたかった。
「あの子は、あなたの血を受け継いているんじゃな~い。自分勝手で、よく食べるのよ。言い出したら、最後まで自分の主張は通そうとするの」
そりゃ、4分の1は、ボクの血の責任はあると思う。けどジージのボクは、そこまで責任を問われる必要があろうか。

敬老の日などとは、少なくとも自分とは全く関わりのないことだと長いこと信じてきた。ところが、世間一般の常識で言うと、世の中の7割の人の認識として、70歳の中盤に近ければ、老人だという。高齢者・シニア・お年寄り・シルバーと言葉を変えても、やはり明確に老人の部類に分類される。もう7年も遡る以前のこと、田舎に住んでしばらくして、老人クラブである福寿会に入るようにさかんに勧誘された。

 

 

哀しいかな、田舎の農家の年寄りは、長い農作業のせいで、腰は大きく曲がり、杖をついた立派な老人たちである。いくらなんでも、そんな仲間の中に入りたくないと断っていた。すると集落の長老の一人が、朝早く拙宅にやってきて言う、
「平吾さん、自分が楽しむということではなく、年寄りを喜ばすために、ひとつ尽力をお願いしたい」
あまりに入会を勧められるので、会員になった。福寿会の活動といっても、年に1回のお湯入りである。これは温泉に、お年寄りと一緒に出かけて酒を飲む。酒なら、ほかにも新年会があった。婆さまたちとチークダンスで、座を盛り上げた。もっと大きな行事としては、葬儀に福寿会の旗をもっての参列である。


 

 

田舎の親たちが、村の衆には随分とお世話になった。ここは長老の考えに従って、いくらかでもご恩を返そうと、会計係り、副会長の役を引き受け積極的に活動をしたのだった。7年もすると活動の中心メンバーである。そのうち、福寿会の会長になって欲しいなどと言われる始末。こんなものを引き受けては、多くの時間を割かなければならない。学童のほとんど通らない十字路に立って、見守り隊をやれと言うのである。


老人たちの一番の関心事は、自分の葬式をどのようにするかにある。わけても、弔辞を誰に読んでもらうかにある、
「平吾さん、あんたに弔辞を読んで欲しいがや。どこにでもあるのではなく、味のある私だけの弔辞を頼みたい!」と。

 

 

いちばん面食らったのは、福寿会の総会の冒頭に、必ず坊さんがやってきて、ご文章を読んで、説教を垂れる。総会の会場となる公民館に、なんとお仏壇が設(しつら)えてある。
・・・われや先、ひとや先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本のしずく・末の露よりも繁しといえり。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて


そんな老人会から、本当は脱会したいのである。このごろダイエットの効果も出てきている。何しろ、体力づくりのために、週に2回は公営のトレーニングジムに通い、筋トレをやり、趣味の菜園に出て汗をかき、囲碁会を主宰し、FBツイッターなどの SNS もやって意気軒昂である。まだまだ、若い者には負けられない。年寄りなる言葉は、徒然草に中にも登場するし、大相撲の親方のことを年寄りと言う。これは現役をさす言葉ではないか・・

北風は日暮れに止むべし

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いつもブログに登場する友人とげぬきの話をしよう。彼については、『美人妻は自然音が・・https://goo.gl/zg2eD4に詳しく紹介した。奥方は、大変な美形だといつも自慢するも、やはり美人妻をもつというのは、ある種のステータスなのだろうか。スマホの壁紙にまで、奥方の写真をセットしている。元ミス巣鴨だったというのが自慢、もう50年近い昔の話。

 

とげぬきの元ミス巣鴨の奥方

サラリーマン時代、あいつとは気が合って、よく飲み歩いた。バブルの時だったから、接待と称して、少しは客の名を使ったかもしれない。仲の良い飲み友とは、土日に顔を合わせないだけで、月曜日に懐かしさを覚える。どちらからともなく、誘って縄のれんを潜(くぐ)った。家内は夏休みで子供達を連れて田舎に帰っていた。そんなとき月曜日に飲み、それでも飲み足らず家にまで連れてきて泊めたのだった。調子に乗って、翌日の火曜日も二人で飲み歩いた。あのころ、東京駅の中に東京温泉があって仮眠もできた。朝には、背広もワイシャツのクリーニングのサービスもあって、好都合だった。とげぬきと一緒に、東京温泉で過ごして会社に行った。職場は戦場であり、遊びの場でもという充実した日々だった。

 

サラリーマン時代よく通った縄のれん

さすがに、3日目の水曜日に友は言った、
「樫君、今日は飲まないよ、早く帰えるんだオレ!実は、月曜から一度も女房に電話してない。ちょっと諍(いさ)いをしたから、懲らしめてやろうと2日もキミと付き合ったけど、今日はちゃんと帰らんとな」
どんな仲の良い夫婦でも、時には喧嘩をするもの。犬も食わない喧嘩なんかに興味はない。理由を聞きもしなかった。


木曜日の朝、友は元気がない、ちょっと気になって昼飯の時にランチに誘った。どうしたのかと訊くと、
「さすがに女房はプンプンに怒っていたよ。誰と飲んだの聞くから、キミと飲んだと言っておいたさ。嘘だと思うなら、『樫君に電話をしてもいいよ』とさえ言っておいた、電話があるかも・・」
「・・・・」
「女房は、オレの浮気を疑ったかもしれん。あいつが言うんだよ、『立場が逆だったら、あなたどうするの?わたしが2日も家に帰らなくても平気なの?』と。言わなきゃいいのに、オレは、サバサバして気分がいいよと言ってやった・・」

 

懐かしい東京温泉

とげぬきが言うところによると、木曜日金曜日土曜日と3日も、奥さんの姿が家になかった。実家に帰ったのではないかと連絡してみるもいない。ようやく日曜日に姿を見せたらしい。次の週の月曜日とげぬきは、心なしか目がくぼんでやつれているように映った。
「それでさ、女房のやつが言ったよ、『その樫さんという人を絶対家に連れてこないでよ』って」

それが尾を引いているのかもしれない。未だに、奥方にボクを合わせようとしない。まあ、夫婦喧嘩と北風は日暮れに止むというも、5日もかかったようである。サラリーマンのころの話。