うらびれた裏日本の名もない寒村に住んでいる。遠くに能登半島を仰ぎ、このごろ日々越し方を反省しながら生きている。振り返ってみると、これでも17,8歳の時は、大海に出て、もっと広い世界で活躍したいと夢を膨らませていた。心ならずも、田舎の両親を捨てて上京した。60年近い昔のことである。中学の同級生の3人の女ともだちも、涙ながらに夜汽車に乗る俺を見送ってくれた。あのころの列車は、文字通り煙突から煙を吐く汽車だった。

 

こんな辺鄙な田舎だけれども、今じゃ、車を駆って30分もしないうちに、黒部宇奈月温泉駅に着く。無料駐車場にパークして、新幹線に飛び乗ると2時間ちょっとで花のお江戸である。昔は、上野駅まで10時間はかかった。軽井沢を過ぎて、ようやく空気に華やぎが出てきたものである。世の中の進歩は目を見張るものがある。 

 

昔なつかしい汽車

E子の親父さんに、郷里を出て東京に行くと挨拶に行ったら、大いに喜んでくれた。もしかしたら、可愛い娘が、キズモノにされなくて良かったと安堵したのかもしれない。
あんちゃん、そうか東京の人になるんけぇ?E子のことは忘れて、一生懸命に精進せっしゃい。人間至る処に青山ありというがや。世の中っちゃ、広いよ!死んで骨を埋める場所は、どこにでもあるもんよ。平ちゃんも、大いに刻苦勉励せっしゃい!エラいモンにならんと・・」

定年を過ぎて、都会生活にサヨウナラして、このド田舎に帰ってきた。骨を埋める場所のことを思い出して、ヒマ人主婦子に、「人間いたるところに、青山ありよ」と言うと、「セイザンって何のこと?」と訊くのである、
「あのなぁ、セイザンって、洋服の青山と同じ字や。まあ人間なんて、どこにでも骨を埋めるところがあるということよ」
「あんた、東京の青山霊園って、高級墓地やよ、えらく地価が高いってよ。ここら辺りの浜里やったら、墓仕舞いする人がいっぱいで、いくらでも空き地があってタダやげぇ~。あんたは、デカイことを言って東京に行ったけど、夢も果たせずに逃げ帰ってきたんやね。他の人たちは、みんな東京で一旗二旗もあげたんや!成功したんよ!」

どだい話が合わなかった。

 

青山霊園

それを言われて、俺も居場所がなかった。子は俺が東京に行くと言ったとき、「平ちゃんとお別れするのが辛い!」と言って、涙を流したのだ。あの涙は何だった?それなのに、すぐに役場勤めの安っさんと交際し始めた。二人は、美男美女カップルと大変な評判だったとは本人たちの弁。安っさんは子にひっかかって、婿入りしたのである。


この間も、老いぼれつつある亭主の安っさんと一献傾けながら、E子との出会いの話を聞いた。彼も、自分のことを話す時、嬉しそうな顔をする。二人の出会いに話を振ってみた、
「ところで、安っさんはさ、子と何度目のデートの時にチューしたんだ?」
「平ちゃんに言うと、また随筆風なんちゃらに、書かれるからなぁ!東京の息子夫婦も、毎日、楽しみにあんたのブログを読んでいるってよ。うっかり喋れんよ!内緒!」
「・・・」

 

紅葉真っ盛りの黒部峡谷

「滅多なことは言えないけど、ちょっとだけだぜ。あれはちょうど、今頃の紅葉のシーズンだったなぁ~。なにせ俺たちも金婚式だからなぁ!・・・子とふたりで黒部峡谷へトロッコ電車で行ったんだ。あいつが、朝早起きして作ったんだろう。今まで食べたことのない、カラフルな豪華弁当を持ってきてくれたよ」
「今時分なら、紅葉が眩しかったろう?」
「うん、俺はよ、弁当や景色より、吸い付きたくなるような、あいつのが、たまらなかったよ。なにせガードが固いのよ。『いつまでも、清い関係でいましょ』 だってさ。なかなか、二人の距離は近くならなかった・・・」
「それでどうして、縮まったんだい?」
「ちょっと見晴らしの良い所に来てよ、ぐっと引き寄せたのよ。ちょっとだけチューをしようと思ってさ。・・・あいつは、初心だったよ。ガクガクして震えていたぜ」
「それで・・・」
「するとさ、あいつが言うのよ、『安男さん、お願い!マタにして』と。俺は勘違いしたんだなぁ、じゃ物足りないから、股にしてくれというのかと・・・、スカートを捲ってさ・・・。おっと危ない、危ない!これ以上言うと、またブログに書くからな。『あんたが喋ったの?』と、子に叱られるわ。この話は、マタにする!」

この間のこと、近所のヒマ人主婦E子が、頬を大きく腫らしている。

「そんな顔して、どこへ行くんや?」
「わたし、2日前から、歯が痛くて堪らんがやっちゃ。今から、街のハカに行ってくるがや」
可笑しなこというから、重ねて訊いた、
デンタル・クリニックに行くんやろ?」と。

あいつは、言う
「歯が痛いのに、どうしてレンタル・クリーニングに行くがけぇ。ハカに行くがよ」


あいつの頭の辞書には、歯科を<ハカ>と書いてあるらしい。日本語は、たしかに難しい。元首相ですら、未曾有を<みぞうゆう>というくらいだから。戦後、ある大蔵大臣が追加予算を<おいか予算>と言ったと中学の社会科教師が語ったのを未だに憶えている。
 

歯科医


言葉が乱れている。旧中山道といえば、江戸時代の五街道の一つである。旧街道を時間かけて歩けば、昔ながらの雰囲気を味わえ、民家や伝統的町並みなどの景観を楽しむことができる。この由緒ある旧中山道を、ラジオのアナウンサーが、「いちにちじゅうやまみち」とやっていた。嗚呼、なんと嘆かわしいことよ。


友人のババ&ハゲ山理髪店の主など、<池袋>を<ちぶくろ>と言って笑わせているのだが、その彼だって、なんだか格好をつけて、自分の奥方のU子のことを細君というところを「ほそぎみ」などと、平気で言う。元ミス理髪師のU子も75歳を過ぎて、とても細気味でなく採り遅れのキュウリみたいだから、「どうせ呼ぶなら、太り気味と言えよ」と言ってやった。

 

先日も、散髪に店に行ったら、U子が言うのである、
「平ちゃん、うちの亭主は最近、あっちの方も元気がないのよ。だから、『どうしたが?朝、オシッコちゃんと出るがぁけぇ?具合が悪いがなら、はやくヒツ尿器科へ行って、診てもらって来んにゃ』と云うているんよ」と。
それを言うなら、泌尿器科(ひにょうきか)と言わねばならない。開けっぴろげも好いが、正しい日本語を使ってもらいたいものである

 

オシッコ


ハゲ太郎の話で傑作なのは、前にも紹介したが、次の話である。こういう間違いが、何かの弾みで縁結びになる。もう一度付き合いを願おう。こんな話である。
「俺ぁだって、初めから禿げていたわけじゃないんだ。これでも、昔は黒々としておった」

その若かりしころである、

「理髪専門学校を出てしばらくしときだった。U子の弟が夕方やってきて、『うちの父ちゃんがこれを・・』との言葉を残して、玄関先にカゴを置いて行った。俺ぁの目に入ったのは、紙切れだけで、カゴの中身は何なのかよく見なかった。何気なく、紙切れを読むと、『甘くないかもしれないけど、を食べてみてや。色の黒いカラスが狙っているから、残しておいてもダメやから、はやくを食べて』と書いてあった」

 

「俺ぁ、前からU子を憎からず思っていたし、父親の了解を得たと思って、無理に嫌がるU子を説き伏せて食べた。食べ終わってから、しばらくしてカゴを見たら、その中に柿がいっぱい入っていた。<>と<>間違えたんだよ」

 


こっそり聞いてみた、
「ハゲちゃん、その時の柿は熟していたかぁ」と
すると
「いや、かったが、もうひとつの方はかった。だって、まだ二十歳前だったからなぁ、でも俺は、飢えていたから・・」と。

「あんたより、私の方がずっと頭が良かったがやっそ。覚えておる?小学生の時の知能テストがあったにかよ。あん時、私が116で、平ちゃんは97で100なかったっちゃ」
そう言ったのはE子である。

自分の方が、頭が良かったと言い張る。その拠り所を60年以上も昔のIQテストを持ち出すのだから、参ってしまう。あいつは4月生まれで、俺は3月の早生れだった。1年の開きがあったから、記憶力の差があっても仕方がなかった。

 

「冬よ、コタツでトランプの神経衰弱やったにか、いつも私の方があんたの倍以上カードをとったよ。記憶力が上ながよ、頭が良かったがや。太っちょのあんたがジャイアンで、わたしがシズカちゃんやったんよ」
なんでここでジャイアンとシズカが登場するのか。あのどらえもんのキャラクターである。まあ、俺は少し愚鈍だったことは認めよう。あいつに、そこまで言われる筋合いはない。

 


たしかマンガのシズカちゃんは、真面目で思いやりがあって、誰にでも優しい。困った人を見かけると放っておけない質である。おしとやかで礼儀正しいイメージが強い。しかし、E子ときたら、シズカちゃんとは対極にある。昔は、ちょっと目には、俺には眩しい存在だったときもある。あれから60年以上も経って、今や全くの別人である。


そうは言うものの、先日、親戚の爺様が亡くなったとかで、葬儀の席にいる喪服姿のE子を見た。ちょっとばかり、昔を偲ばせるものがあった。静かにしているE子は、まさに静御前を思わせるものがある。そんな席だから、いつものような素っ頓狂な声を上げるわけにはいかない。面と向かって口を開けば、毒を含んだ言の葉を撒き散らす。面白いもので、看護師に憧れたことがあったとかで、白一色と黒一色をうまく使い分ける。葬儀の席での勝負服は、黒づくめの喪服だという。目か、はたまた脳の錯覚か、ちとばかり、俺は目くらましに遭う。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-喪服 kashi-heigoの随筆風ブログ-ナース


もう7,8年も昔のことである。あれで、海岸線でボディコンのスタイルでジョギングするE子が眩しくなかったと言えば、嘘になる。そんなこと言おうものなら、この写真を見てみてという。あれはE子でなく、きっと娘の写真でないかと思う。あいつは、俺のブログで自分の姿が写っていると言って、誰にプリントしてもらったのか、ラミネートまでして、持ち歩いている。
「俺ぁ、どこの貴婦人かと思ったよ。だいぶ若返ったがじゃないがぁ。いやぁ、痩せたねぇ。見違えたわぁ、15歳は若く見えるっちゃ。」

 

以前、歯の浮くようなお世辞を言ったのが大きな間違いだった。あいつを、その気にさせ有頂天にしてしまった。
「平ちゃん、IQの知能指数と若さは比例するがやっそ。知能指数バカさ、知能指数とデブ加減も反比例や。悔しかったら、見っしゃい、私のくびれを」

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-ジョギング姿


シズカちゃんとジャイアンを例に持ってきて、殊更に自分の美と若さを強調したもの。ただ、いつまでも年嵩とは、闘えないもの。このごろは、胸も腰もお尻も 同じサイズで寸胴の“冬瓜おばさん”である。俺の川柳をあいつに捧げよう、

 ダイエット 干し柿に似て ほうれい線

世の中には、身近にあるのに、自分の意のままに動いてくれないヤツがいる。エネルギーを使わなくても、こちらの意向を聞いて欲しいのに、意に染まないと動いてくれぬ。己が意に添わないと背を向ける。前者は飼い猫のミー子、後者は愚妻である。両者を同じ秤で比べると叱られそうであるも、何の因果か、ひとつ屋根の下で暮らしている。

それでも、ツレは、多少なりと空気を読んでくれる。機嫌をとるわけではないにしても、コトが有利に運ぶように気を遣う。たとえば、ちょっと喉が渇いたなと思う時間に、ミカンを差し入れてくれる。寒い朝には、コーヒーも淹れてくれる場合も。そこへ行くと、ミー子のヤツは、我がままで、寒いからと書斎に入れてくれと騒ぐだけ。お腹が空けば、エサを寄越せという。そんなに欲しいなら、くれてやると、鰹節のトッピングが少ないと駄々をこねる。いかなる義理があって、こやつの面倒を看なきゃならんのか。

 

 

ときに、もう一匹御しにくい人間が近所にいるも、しばらく、そばに寄らないことにしている。この三者に共通するのは、俺と相容れない異性ということ。異性とは、化学の世界では分子式は同じであるも、原子の結合状態立体配置が異なる化合物。ただ、生きとし生けるものにも生命に限りがある。少しく難しく言えば、この世に生を受けた者は、必ず滅び死ぬ、生者必滅の理(ことわり)というもの。日長一日を考えても、輝ける朝日を拝むのはいいが、日は西に傾いて夕影を濃くして、海の彼方に沈んでゆく。朝陽がいつまでも東の空に留まっていない。天頂のお日さまも、いずれ時がたてば、角度を西に傾けなさる。さあればこそ、我慢もしなければならないと納得せざるもを得ない。

 

 

人間は感情の動物である。先日、テレビを観ていて、リモコンがツレの側にあったから、寄越せと言ったら、
「分からないわ、口があるしょ?言葉で言ってよ」だと。
ミー子が、ニャ~ゴとひと鳴きすると、「ドアを開けてくれ」なのか、「寒いから抱いてくれ」かすべて察するくせに。ご亭主は、ミー子より格下に遇されている。人間は感情の動物である。もしかしたら、オスであるがゆえに、冷遇されているのかも。ガレージに置いてやっている野良の一匹はオスで、を抜かれてしまっている。オスでなくなったのか、これから寒くなると、湯たんぽを入れてもらっている。一方、俺はせんべい布団の上で震えている。

 


 

      なぜ分からぬか とどのつまりは 男と女 でかい溝 都都逸(平吾作)
さはさりながら、かつて心の通う相棒がいた。愛犬のジョイである。あいつが逝ってから、もう20年にもなるのに、いまだ忘れられない。散歩に行きたい時は、手綱を口で咥えてやってきたし、ボールを拾ってこいと投げやれば、捕ってきたもの。ただ、俺の嫌がる接吻を、口の周りを唾液でベチョベチョにして、舐め回してくれた。俺たちは、同衾して枕も一緒だった。ただ、あいつが吐いた息を吸っていた。目は口ほどにモノを言う。あいつは、哀しい目をした愛いやつだった。ツレは白河夜船、ミー子はその布団にいるときも、ジョイは、寝ずに俺を待っていた。愛情欠乏症なのかも知れぬ。

黒部市に住んでいる高校の友人の楠田と一杯飲まねばと、この間から思っていた。夫人を2年前にすい臓がんで亡くして元気がないと聞いていたからである。バカ話をして陽気に騒いで励ましてやろうと思った。妻に逝かれた男の暮らしは、想像する以上にわびしいらしい。とくに、70代以上のリタイア世代の男にとって、生活の急な様変わりに戸惑いが起こるからである。あいつの家の近くの縄のれんで飲んだ。今回は楠田の話に、おつき合い願いたい。

「夜中に、遠くから鉄道の枕木鳴り、かすかにあいの風とやま鉄道の列車の音が聞こえるのさ。夜中だから、下りの最終電車かなと思う。家から2キロも離れているのに、闇の中を走るのがはっきり分かるんだ。ずっと前、あいつが生きていたころは、気づかなかったのに、・・ああ、もういないんだなぁ」と、
「・・・」

 

 

「家はよ、街に通じる道路に面している。あのさ、キジの鳴き声なんて、年中聞こえるのだけど、春が待ちきれないのか、メスを呼んでオスが頻繁に鳴くのよ。その時間が過ぎると、こんどは学校へと走っていく子供らが歓声を上げる。音もいろいろあるのよ、癪に障るのは近所の夫婦喧嘩の声かな」
「・・・」
「哀しいかな、俺の家は誰の声もせん。テレビをつけるだろうがぁ、コマーシャルが煩いばっかりや。樫みたいに、俺は演歌っちゃ好きじゃないから、クラシックをかける。たまに『お~い、由梨絵』と声を出してみるんよ。誰も応える訳がないわな。そうでもせんと、一声も発せずに一日が終わるがや。まさか現役時代には、こんな晩年になるとは思いもせんかった!」
「・・・」
「お茶を淹れるだろう。つい湯呑を二つ出してしてさ、風呂から上がるときに、『あいつが後から入るから、お湯を抜いたらダメやな!』と思ったりしてよ」

 

 

ソクラテスではないが、良妻を持てば幸福者に、悪妻を持てば哲学者と、嘯いているようでは、俺には、楠田を慰める資格はない。どんなに病気で身体が不都合でも「生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を1人ぼっちにはしない」というハッキリした生きる目標があって、生きる張りがあったと有名な文芸評論家の江藤淳氏も言っていた。しかし奥方を亡くした後、「これから先、何のために生きていかねばならんのか」と著名な彼ですら、自らの命を絶ったのだ。

楠田の泣き言に戻ろう、

「現役のころはよ、家に帰れば女房がおって、ガキどもも騒いでいたよ。それがよ、職場での活躍の場を若いモンに譲って、退いて新しい生活をと思っておったのよ。樫のことだから、奥さんをヨーロッパにも連れて行ったんだろう。俺も、リタイアしたら女房を連れて、アメリカを見せてやろうと考えていた」
「・・・」
「それも果たせずさ、女房が死んで人とのつながりも、すべて断ち切られてしまったよ。気づかなかったけど、あいつの存在の大きさに気づいたんだ・・・・。樫、お前さ、今のうちだよ、言ってやっているか?『愛しているよ!』ってよ」
「おい楠田、お前よ、もう酔っ払ったのか?いくらも、飲んでいないのに、・・・」

 

 

「俺は、酔ってなんかいないよ。伴侶ツーのはよ、いかに自分を支えてくれているか、元気なときは分からないんだ。感謝しろよ、奥さんに。少々、気恥ずかしくともさ、『惚れているよ!』とか、『大好きだ!』と言ってやれよ!」


その夜、楠田を自宅まで送って行った。お仏壇の遺影に、お線香を上げた。

ヤツはあらたまって言った、
「一緒に、由梨絵も入れて3人で飲もうじゃないか。お前がよ、俺の家に来て飲んだのは5年前だったかなぁ。古希の祝いをしたときよ。あのころ、由梨絵も元気だったんだがなぁ!」
これ以上、つき合いきれなかった。家に帰る前に、タクシーを降りて、街の行きつけの飲み屋で、楠田には悪いが、験直し(げんなおし)をして家に帰ることにした。飲み屋の女将になら、惚れた腫れたは、簡単に言えるのだが、どうせ家内は寝てしまっている。そう思った・・

リーン リーン ・・・

久しぶりに、空一杯の青空である。背戸の畑に出て、大根を抜いたり、エンドウ豆の畝を作ったりしていた。ポットに蒔いたエンドウ豆のつるが伸び盛りである。これも冬を越し春先に、緑のさやをたっぷりと届けてくれる。


そんな時、家の電話のベルが、なかなか鳴り止まない。もしかしたら緊急の知らせかもと急ぎ茶の間に入った途端に、ベルは止んでしまった。念のために、スマホをチェックすると、近所のE子から留守録が二つも入っていた。あいつの家とは100メートルと離れていない。そんな急用があるのなら、ちょっと足を運べばいいのにと思いながら、留守録を聞いてみた。

 

 

声は甲高い上に、怒り狂っている、
「あんた男なんけぇ?男なら約束っちゃ、固いんじゃないがぁ! 随筆風なんちゃらに、U子ちゃんのこと書いたろうげぇ? 私、な~ん知らんよ、人のに、戸は立てられん!もう隠し通せんよ!憎さが憎さを呼んで、しゃぁ噂が一人歩きして、ハゲ山さんの耳にも入って、商売にならんようになるわ」

エラい言われようである。これは昨日のブログの、『
60年を経て、真相を知った』のことである。俺もボケたのかもしれない。ちょうど一年前にも、全く同じ内容のことをブログに書いていた。ネタ元の日記帳を読んで、筆を執っているが、あの頃、直腸がんで病院のベッドに伏せていた。
ともかく、ときどき悪女3人をネタにして書いている。やつらもきっかけがあれば、俺を小突いてやろうと手ぐすねを引いて待っていた。話は、U子が中学の頃に、おシッコ漏らして、秀才の W にかばってもらったという話。クラスの誰も、まさかU子がおシッコを垂れ流したとは思わなかった。真相は、藪の中だった。

 

 

誰にも、本当のことを言っちゃいけないと本人から口止めされていた。それをネタにしたのだから、責めは自分にある。逃れようもない。問題は、トラブルの収拾策である。下手な言い訳をしてはを突いて大蛇を出すことに。何が困るって、しばらくは悪女3人を材料にできないことだ。

なぜ、ブログの話がバレたかである。75歳前後の婆さんたちは、老眼鏡なしでスマホでブログを読めやしない。ただ、俺のブログをなぜ読んで知ったか。ここは推理を働かせてみた。
たぶん東京、否、東京じゃなくて、ダサイタマの春日部なのだが、そこにいるE子の息子の孝夫くんか、嫁の和美ちゃんが知らせたのかもしれない。

嫁が電話で、こう言ったのかも
「お母様、床屋さんをやってらっしゃるお友達のU子小母さまって、きっとお美しかったのでしょうね。だって平吾小父さまのブログにいつも登場するでしょ!浜里の”由美かおる”って。ラブロマンスが実らなかったのは残念だわ。だって、美女と秀才との初恋ですよ。あらっ胸が締め付けられそうだわ。昨夜も、孝夫さんと夜遅くまで話をしても尽きなかったの。あのまま恋が成就していたら、U子小母さまは、自衛隊のトップの令夫人ね。もちろん、ハゲ太郎小父さまも楽しい人ですけど・・」

 

 

もし、この話をハゲ山ハゲ太郎萩山萩太郎)が知ったらどんな気分になっただろうか、
「ふ~ん、俺は、どうせ街のしがない床屋のオヤジよ。平ちゃんみたいに、海外なんか一遍も行ったことがないっちゃ。一度だけ嬶と行ったのは、福島ハワイアンセンターやった。俺は言ってやる、『U子、今からでも遅くないぞ、自衛隊の閣下殿のところへ後妻さんでも、何でも行ったら』・・ふ~ん!」

するとU子が応える、
「あなた、何を言うの!私が愛しているのは大好きな、つるっ禿のお父ちゃんだけよ。浜里のデブの平吾が、あんなこと書かなきゃ、平和だったのに!」

そこまでいろいろと、想像してみた。俺からU子に電話すべきだろうか、あるいはE子に電話をしたらいいか。何と言って脅されるだろう。そうだ!卑怯だけどスマホは見なかったことにしておこう。

北陸の冬は寒い。昨日も街のホームセンターに行ったら、もう冬支度の雪吊り用のわら縄が用意されて売っていた。もう冬は、間近かなんだと思った。これが昔だったら、こたつ用の木炭やストーブの薪を急いで用意しただろうが、今はエアコンだからその必要もない。

 

あれは中学の頃だった。冬になると、石炭ストーブを焚いて教室を温めた。ただ、ストーブの近くは赤道地帯で、遠く離れると北極か南極だと言い合ったもの。だからか、先生は生徒みんなに公平になるようにと、毎日、縦と横に席に一つずつ、ずらす工夫をしていた。つまり1個ずつ順送りに回るようになる。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-ストーブのある教室


忘れもしない中学一年生の数学の授業の時だった。クラスのが、授業中に突然立ち上がって、火事よけに汲んであったバケツの水を、いきなりU子にぶっかける怪事件があった。U子は、今、街で<バーバー萩山>(理髪店)を主人公とやっている悠子のことである。冗談にしろ、浜里三美人といっているくらいだから、当時からA代・E子・U子は美形だった。U子など、今でも、自分で元ミス理髪師というぐらいである。冗談も大概にして欲しいのだが・・・。

 

話がそれたが、腰から下はびしょ濡れである。U子は、保健室に連れて行かれて、着替えをしたようだった。数学の先生は、激怒してを職員室に連れて行って、問い詰めた、

「何故そんなことをしたんだ」と。

はガンとして口を割らなかった。叱っても脅しても、沈黙を守っていた。U子にも、どうだったか聞いても、ただ下を向いて泣きじゃくっているだけ。翌日、の面倒を看ていた祖母さんと一緒に呼ばれても、何も答えず黙したままだった。
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-水を浴びた女子学生


時間とともに、みんなの記憶から、いつしか消えていった。WU子のことを憎からず思っていることを、動物的勘でわかっていた。二人は、その後、愛を育んだかどうか知らない。なんといっても、中学生の時分である。


ホームセンターに、冬の準備がされたり、電気店に新型の石油ストーブが並んでいるのを見て、ふと半世紀も前の事件を思い出し、この間、床屋に行って、こっそりU子に聞いてみた。
U子、汝(
)よ、中学時代よ、Wが好きだったろう。デートしたんか、手ぐらい握ったろう?

あのバケツ事件っちゃ、何やったがぁ?」
すると、小さい声でいうのである、
「 あんた、亭主が聞いておるにか・・・私の青春の1ページよ。青いラブロマンスだったがよ。そんなに知りたけりゃ、E子ちゃんに聞いてよ」

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-自衛隊幹部

 

U子のヤツ、この歳になっても、まだ亭主のハゲ山を気にしている。幸い、ハゲ山は、お客と話し込んでいた。いや、耳をそばだてていたかもしれない。それ以上、追求するのをやめて、真相をE子から聞こうと思った。

E子によれば、こうである。

「その日、朝からU子ちゃんは、風邪をひいて調子が悪かった。身体がガクガク震え、鼻水が止まらんだがよ。そのうちにやっそ、トイレに行きたくなったがやと。だけど少し、今少しと我慢しているうちに、あんた、くしゃみと一緒にお漏らしをしてしまったがや。わたし今まで、誰にも喋らんだがよ、平ちゃんが初めてよ。誰にも、言わんといて!」


お漏らしをして、椅子の下が濡れているのを見たが、クラスのみんなに気つかないように、カモフラジュのために、ストーブの傍にあった火消し用のバケツの水を、U子に打っ掛けたというのだ。U子は、Wが尋問されていて、事情を話そうとしたが、せっかくの行為を無にするわけにいかない。それでも、我慢できずにE子にだけ話したというのだ。これは、美談と言わなければならない。

 

は、お祖母さんと一緒に生活していた。中学3年の時、大阪の両親のもとに引き取られて行った。後年、東京で偶然会った。確か防衛大学校を卒業して、長く海上自衛隊の幹部として活躍していた。しかし、U子もE子も、その後ののことをまったく知らない。このまま黙っていようと思う。

「お母さん、『橋の下からわたしをてきたって、本当?』 お父さんが言っていたよ」と。


娘が、バスの中で大きな声でに聞いたらしい。幼稚園に通っていた頃である。乗客は、笑いを噛み殺していたそうな。罪なことをしたもので、未だに家族の非難を受けている。娘もしばらく、小さい胸を痛めて苦しんだらしい。40数年も昔の話である。その子供たちも、40代中盤になって、子育て真っ最中である。


いつだったか、TVニュースで60年前に産院で、赤ちゃんの取り違え事件が起きたと報じていた。そんな報道を観ると冒頭の話が思いだされ、罪の意識に苛まれる。幼い頃、親に散々叱られたときなど、誰しも一度は思うもの、

「じぶんは、この両親の実の子供じゃないのでは・・」と。
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-捨て子


血筋は争えない。親から受け継いだ素質、才能は隠そうにも隠し切れない。6人兄弟の末子で養子に出されたと、ブログに書いた。素質ならともかく、遺伝についてである。以前も書いたのは、『自信を持ちなさいよ!』 こと。それは、足の親指の爪は上向きで、よく靴下がつま先が破れる、その上に爪はカールして深く肉の中に食い込む話である。

 

サラリーマン時代、入院して思い切って手術をして治した。見舞いにきた実母は、自分と同じだと言った。他にも、耳の垢は柔らかくて粘着質だが、優性遺伝とかで、父の血筋らしい。兄弟みなそうだったから、やはり同胞なのかと妙に納得した覚えがある。血は水よりも濃い瓜の蔓には茄子はならぬの成句がある。良い遺伝子を受継でおればいいが、爪や粘着性の耳垢だけでは困りもの。親の優れた特質・才能がないものかと探すも、見当たらない。
 


冒頭の次女が言ったことがある、
「足の親指の爪が上を向いているせいか、ストッキングがすぐ破れるのよ。お父さんの遺伝子なの?嫌だわ」とか、

「私、バレエやっているんだけど、もっと足が長て、身体が柔軟だったら良かったのに」と。
最近の孫を見ていると、外見は少なくとも、爺の俺に似ていない。どの子も足も長く、スラリとして背が高い。ちょっと肩身の狭い思いをしている。俺だって、母親をその点で恨みたい。

 


近所の同級生のE子の言葉を借りると、
「平ちゃんとこの、お婿さんたちは、みな俳優みたいに美男子やっちゃ!190センチはあるがじゃないがぁ。どこぞの脚が短くて、お腹の大きいデブとえらい違うっちゃね~。惚れ惚れするわ。あ~い、けなるやぁ」と。

けなるいとは、羨ましいを意味する方言。娘たちは、伴侶に父親と正反対の男を選んだ。息子は姉たちと違うタイプの女性と結婚した。これって、俺の遺伝子を恨んで、反面教師にしたということか。

東京の巣鴨に、悪友のトゲヌキがいる。こやつも寂しいのか、ときどき電話をしてくる、
「樫よ、お前さ、なにを
している?おれの嫁は、お琴の会とか言って、いま留守番で俺は一人よ、いや、ピーちゃんが傍らにいるけどさぁ」
「何だって?奥さんはオトコの会か?」
「バカ、違うよ。嫁は、琴・三味線のお琴の師匠をやっているんだよ」
何が、ピーちゃんだよ。それって、奥方に命じられて面倒を看ているプードル犬のこと。こやつの奥さんは、元ミス巣鴨だったそうな。口ではそういうが、一度も会わせてくれない。

 

元ミス巣鴨の奥方

トゲヌキから電話があると、ちょっとばかり羨ましい。北陸の海沿いの誰もいない百姓家で、今までの来し方を一人になって考えている。午睡から醒めたときや深夜眠れないベッドに横たわってクラシック音楽を聴く。今も YouTubeチャイコフスキーピアノ協奏曲を耳にし、目をつむり75年の過去を振り返る。何がいちばん愉しかったか回顧している。
曲が想いに拍車をかける。田舎の大海原を青空を見上げ、一人で背泳ぎをしている。シーンは、中学2年生か3年生の夏。学校から自転車を漕いで飛んで帰り、海で泳いでいる。ビジネスでハワイにも何度も遊んだし、オーストラリアにも出掛けた。ヨーロッパやアメリカの西海岸でも泳いだのに、思い出す舞台は、なんの変哲もない、ひなびた北陸の海である。

 

 

幸せな思い出の記憶は、派手な世界での出来事ではない。なんの心のわだかまりもない、童心に戻って遊んだ時代のことである。喧騒の都会から離れて、田舎に移り住むことにした決断は正しかった。田舎は、富山の遠くに能登半島が見える半農半漁村。堤防に座って、大海原を見るだけで、幸せな気持ちになった。今も時々散歩をしながら、腰を下ろして海を見る。なぜか、心が落ち着くのである。


田舎を捨ててまで、なぜ都会へと憧れたのだろうか。今また、こうやって田舎に戻ってきた。集落の人たちが、好きというわけではない。だいいち常会など、このところもっぱら家内任せである。かつては、それでも集落の区長を務め、いやもっと言えば、地域の区長会の長までやったが、親しく心を通わす仲間はできなかった。所詮は、都会からやってきた余所者。今は精々、囲碁好きを集めて、碁会をやっている。それだけがせめてもの救いである。
 

 

それじゃ寂しいだろうって?そんなことはない。近所のヒマ人主婦のE子が言う、
「平ちゃん、耳栓をして演歌を聴いておるがぁ?『茶こぼすなぁ!』って、なんのことけぇ?面白いモンに凝っておるんやねぇ~」


いくらチャイコフスキーを聴いているといっても、話が通じない。百姓家だけに、冬に向かう季節は心も凍てつきそうである。温度も18°を下回ると肌寒い、厚手のセーターを着込んでマフラーまでしている。話し相手もいなくて、寂しいだろうとブロ友が言う、
世の中便利になったもので、SNSばかりではない、メールもあれば、lineなどいうコミュニケーションの手段もある。都会の家族とも、週に一回だけ曜日を決めて、オンライン麻雀をやっている。寂しくはないのだが、少年の頃に還りたくなる。これって、老人性鬱なのだろうか。

浜里とは、わが集落の名称である、その出の女友達がいる。いつものE子のほかに、U子とA代である。浜里三美人と自らを称するふざけた女たちである。今日は、U子(悠子)の一つ下のA代(愛代)を俎上にのせよう。

クリーニング屋の、今や婆である、店番をしていてお客さんが、尋ねてきて声をかけた、

「いま、セール中ですか?」

「な~ん、わたしね、もうとっくに、卒業しましたっちゃ」と、

不届きな食わせものである。そこは姉で、理髪屋のU子が客を呼びよせているように、A代も真似をしているらしい。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-浜里三美人


U子の姉妹の中で、一番の美人である。小顔だけどちょっと童顔で、つぶらな目をしている。女は、美人だと何かと得である。「笑顔が可愛い」とか「洋服は、何を着ても似合う」と言われて、本人もその気になっていた。「洋服を売るほど持っていたので、クリーニング屋に嫁いだのよ」とは、本人の弁。懐かしい中学の頃に思いを馳せた。

 

1学年下だったが、中学の頃からクラスでも人気者だった。A代は昔から、なんでも、「ええよあいよ」という子で有名だった。国語の時間に、先生が尋ねた、
A代は、図書室に入って、よく本を読んでいるらしいね。先生はよく知っているよ。ところで芥川竜之介の作品を、3つほど答えられるかな?」
俺だったら、羅生門とか、トロッコや鼻と答えたろう。とつぜん当てられて、頭が真っ白になったA代。何か答えなくてはと焦った。そこは、「ええよあいよ」のあいつのこと、
「芥川竜之介作品集 1,2,3です」と。
もうクラス中爆笑の渦が巻き起こったと、俺に注進に及んだヤツがいても可笑しくない。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-クリーニング屋

 

最近は、クリーニング屋も大手のチェーン店に敵わないのか、あまり儲かっていないと聞く。近所のヒマ人主婦E子によれば、A代は、もっぱら主婦の店ヒマムラがご贔屓だとか。ヒマムラなら、クリーニングする必要もない。明るい性格ゆえか、ジョークが通じる友達も多い。
「汝(
)も寄る年波に勝てんのか、少し目尻のシワが気なるっちゃ、のぅ~」
そう言ったら、A代が噛みついてきた、
「平ちゃん、何ということを言うがぁ!浜里出身の由美かおるに向かって、あんた浜里三美人を敵に回すとエライことになるよ、知っとるけぇ」と、
逆に脅された。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-ブルマ


今も、記憶に残っている話がある。『二十四の瞳』は1952年(昭和27年)に壺井栄が発表した日本の小説。映画化された、大石先生を高峰秀子が演じた。隊列を作って学校から、N街の映画館に観に行ったものである。小学校高学年の頃だった。A代とU子は、<小豆島>をどう読むかをめぐって、騒いでいた。どうでもいいとのだが、A代は言う、

しょうどうじまと読むのに決まっておる」と、

すると、姉のU子は、
「あんた、ダラやないがぁ、ぜんざいの豆っちゃ、『あずき』やにかぁ、だから、『あずきじま』に決まっているわ」と。

U子にしても、妹に生半可に譲れないのだった。

あれは、『しょうどしま』というのが正しい。ともかく、どうでもいいことにこだわり、肝心なことには、いい加減なのである。

 

A代は中学の頃、バレーボール部に属し、ブルマ姿で頑張っていた。太ももにブルマが、食い込んで艶かしかった。そして、後輩に喝を入れるのである、
「先輩に会ったら、ちゃんとカイシャクするもんや」と。
会釈かいしゃくと読み違えていたのだろう,そんな先輩の介錯は、できればしたくないものある。 もうあれから、60年もの時間が流れたのだ。ただただ、時間の流れを恨めしく想う。