うらびれた裏日本の名もない寒村に住んでいる。遠くに能登半島を仰ぎ、このごろ日々越し方を反省しながら生きている。振り返ってみると、これでも17,8歳の時は、大海に出て、もっと広い世界で活躍したいと夢を膨らませていた。心ならずも、田舎の両親を捨てて上京した。60年近い昔のことである。中学の同級生の3人の女ともだちも、涙ながらに夜汽車に乗る俺を見送ってくれた。あのころの列車は、文字通り煙突から煙を吐く汽車だった。
こんな辺鄙な田舎だけれども、今じゃ、車を駆って30分もしないうちに、黒部宇奈月温泉駅に着く。無料駐車場にパークして、新幹線に飛び乗ると2時間ちょっとで花のお江戸である。昔は、上野駅まで10時間はかかった。軽井沢を過ぎて、ようやく空気に華やぎが出てきたものである。世の中の進歩は目を見張るものがある。
昔なつかしい汽車
E子の親父さんに、郷里を出て東京に行くと挨拶に行ったら、大いに喜んでくれた。もしかしたら、可愛い娘が、キズモノにされなくて良かったと安堵したのかもしれない。
「あんちゃん、そうか東京の人になるんけぇ?E子のことは忘れて、一生懸命に精進せっしゃい。人間至る処に青山ありというがや。世の中っちゃ、広いよ!死んで骨を埋める場所は、どこにでもあるもんよ。平ちゃんも、大いに刻苦勉励せっしゃい!エラいモンにならんと・・」
定年を過ぎて、都会生活にサヨウナラして、又このド田舎に帰ってきた。骨を埋める場所のことを思い出して、ヒマ人主婦E子に、「人間いたるところに、青山ありよ」と言うと、「セイザンって何のこと?」と訊くのである、
「あのなぁ、セイザンって、洋服の青山と同じ字や。まあ人間なんて、どこにでも骨を埋めるところがあるということよ」
「あんた、東京の青山霊園って、高級墓地やよ、えらく地価が高いってよ。ここら辺りの浜里やったら、墓仕舞いする人がいっぱいで、いくらでも空き地があってタダやげぇ~。あんたは、デカイことを言って東京に行ったけど、夢も果たせずに逃げ帰ってきたんやね。他の人たちは、みんな東京で一旗も二旗もあげたんや!成功したんよ!」
どだい話が合わなかった。
青山霊園
それを言われて、俺も居場所がなかった。E子は俺が東京に行くと言ったとき、「平ちゃんとお別れするのが辛い!」と言って、涙を流したのだ。あの涙は何だった?それなのに、すぐに役場勤めの安っさんと交際し始めた。二人は、美男美女のカップルと大変な評判だったとは本人たちの弁。安っさんはE子にひっかかって、婿入りしたのである。
この間も、老いぼれつつある亭主の安っさんと一献傾けながら、E子との出会いの話を聞いた。彼も、自分のことを話す時、嬉しそうな顔をする。二人の出会いに話を振ってみた、
「ところで、安っさんはさ、E子と何度目のデートの時にチューしたんだ?」
「平ちゃんに言うと、また随筆風なんちゃらに、書かれるからなぁ!東京の息子夫婦も、毎日、楽しみにあんたのブログを読んでいるってよ。うっかり喋れんよ!内緒!」
「・・・」
紅葉真っ盛りの黒部峡谷
「滅多なことは言えないけど、ちょっとだけだぜ。あれはちょうど、今頃の紅葉のシーズンだったなぁ~。なにせ俺たちも金婚式だからなぁ!・・・E子とふたりで黒部峡谷へトロッコ電車で行ったんだ。あいつが、朝早起きして作ったんだろう。今まで食べたことのない、カラフルな豪華弁当を持ってきてくれたよ」
「今時分なら、紅葉が眩しかったろう?」
「うん、俺はよ、弁当や景色より、吸い付きたくなるような、あいつの頬が、たまらなかったよ。なにせガードが固いのよ。『いつまでも、清い関係でいましょ』 だってさ。なかなか、二人の距離は近くならなかった・・・」
「それでどうして、縮まったんだい?」
「ちょっと見晴らしの良い所に来てよ、ぐっと引き寄せたのよ。ちょっとだけチューをしようと思ってさ。・・・あいつは、初心だったよ。ガクガクして震えていたぜ」
「それで・・・」
「するとさ、あいつが言うのよ、『安男さん、お願い!マタにして』と。俺は勘違いしたんだなぁ、唇じゃ物足りないから、股にしてくれというのかと・・・、スカートを捲ってさ・・・。おっと危ない、危ない!これ以上言うと、またブログに書くからな。『あんたが喋ったの?』と、E子に叱られるわ。この話は、マタにする!」