「お母さん、『橋の下からわたしをてきたって、本当?』 お父さんが言っていたよ」と。


娘が、バスの中で大きな声でに聞いたらしい。幼稚園に通っていた頃である。乗客は、笑いを噛み殺していたそうな。罪なことをしたもので、未だに家族の非難を受けている。娘もしばらく、小さい胸を痛めて苦しんだらしい。40数年も昔の話である。その子供たちも、40代中盤になって、子育て真っ最中である。


いつだったか、TVニュースで60年前に産院で、赤ちゃんの取り違え事件が起きたと報じていた。そんな報道を観ると冒頭の話が思いだされ、罪の意識に苛まれる。幼い頃、親に散々叱られたときなど、誰しも一度は思うもの、

「じぶんは、この両親の実の子供じゃないのでは・・」と。
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-捨て子


血筋は争えない。親から受け継いだ素質、才能は隠そうにも隠し切れない。6人兄弟の末子で養子に出されたと、ブログに書いた。素質ならともかく、遺伝についてである。以前も書いたのは、『自信を持ちなさいよ!』 こと。それは、足の親指の爪は上向きで、よく靴下がつま先が破れる、その上に爪はカールして深く肉の中に食い込む話である。

 

サラリーマン時代、入院して思い切って手術をして治した。見舞いにきた実母は、自分と同じだと言った。他にも、耳の垢は柔らかくて粘着質だが、優性遺伝とかで、父の血筋らしい。兄弟みなそうだったから、やはり同胞なのかと妙に納得した覚えがある。血は水よりも濃い瓜の蔓には茄子はならぬの成句がある。良い遺伝子を受継でおればいいが、爪や粘着性の耳垢だけでは困りもの。親の優れた特質・才能がないものかと探すも、見当たらない。
 


冒頭の次女が言ったことがある、
「足の親指の爪が上を向いているせいか、ストッキングがすぐ破れるのよ。お父さんの遺伝子なの?嫌だわ」とか、

「私、バレエやっているんだけど、もっと足が長て、身体が柔軟だったら良かったのに」と。
最近の孫を見ていると、外見は少なくとも、爺の俺に似ていない。どの子も足も長く、スラリとして背が高い。ちょっと肩身の狭い思いをしている。俺だって、母親をその点で恨みたい。

 


近所の同級生のE子の言葉を借りると、
「平ちゃんとこの、お婿さんたちは、みな俳優みたいに美男子やっちゃ!190センチはあるがじゃないがぁ。どこぞの脚が短くて、お腹の大きいデブとえらい違うっちゃね~。惚れ惚れするわ。あ~い、けなるやぁ」と。

けなるいとは、羨ましいを意味する方言。娘たちは、伴侶に父親と正反対の男を選んだ。息子は姉たちと違うタイプの女性と結婚した。これって、俺の遺伝子を恨んで、反面教師にしたということか。