東京の巣鴨に、悪友のトゲヌキがいる。こやつも寂しいのか、ときどき電話をしてくる、
「樫よ、お前さ、なにを
している?おれの嫁は、お琴の会とか言って、いま留守番で俺は一人よ、いや、ピーちゃんが傍らにいるけどさぁ」
「何だって?奥さんはオトコの会か?」
「バカ、違うよ。嫁は、琴・三味線のお琴の師匠をやっているんだよ」
何が、ピーちゃんだよ。それって、奥方に命じられて面倒を看ているプードル犬のこと。こやつの奥さんは、元ミス巣鴨だったそうな。口ではそういうが、一度も会わせてくれない。

 

元ミス巣鴨の奥方

トゲヌキから電話があると、ちょっとばかり羨ましい。北陸の海沿いの誰もいない百姓家で、今までの来し方を一人になって考えている。午睡から醒めたときや深夜眠れないベッドに横たわってクラシック音楽を聴く。今も YouTubeチャイコフスキーピアノ協奏曲を耳にし、目をつむり75年の過去を振り返る。何がいちばん愉しかったか回顧している。
曲が想いに拍車をかける。田舎の大海原を青空を見上げ、一人で背泳ぎをしている。シーンは、中学2年生か3年生の夏。学校から自転車を漕いで飛んで帰り、海で泳いでいる。ビジネスでハワイにも何度も遊んだし、オーストラリアにも出掛けた。ヨーロッパやアメリカの西海岸でも泳いだのに、思い出す舞台は、なんの変哲もない、ひなびた北陸の海である。

 

 

幸せな思い出の記憶は、派手な世界での出来事ではない。なんの心のわだかまりもない、童心に戻って遊んだ時代のことである。喧騒の都会から離れて、田舎に移り住むことにした決断は正しかった。田舎は、富山の遠くに能登半島が見える半農半漁村。堤防に座って、大海原を見るだけで、幸せな気持ちになった。今も時々散歩をしながら、腰を下ろして海を見る。なぜか、心が落ち着くのである。


田舎を捨ててまで、なぜ都会へと憧れたのだろうか。今また、こうやって田舎に戻ってきた。集落の人たちが、好きというわけではない。だいいち常会など、このところもっぱら家内任せである。かつては、それでも集落の区長を務め、いやもっと言えば、地域の区長会の長までやったが、親しく心を通わす仲間はできなかった。所詮は、都会からやってきた余所者。今は精々、囲碁好きを集めて、碁会をやっている。それだけがせめてもの救いである。
 

 

それじゃ寂しいだろうって?そんなことはない。近所のヒマ人主婦のE子が言う、
「平ちゃん、耳栓をして演歌を聴いておるがぁ?『茶こぼすなぁ!』って、なんのことけぇ?面白いモンに凝っておるんやねぇ~」


いくらチャイコフスキーを聴いているといっても、話が通じない。百姓家だけに、冬に向かう季節は心も凍てつきそうである。温度も18°を下回ると肌寒い、厚手のセーターを着込んでマフラーまでしている。話し相手もいなくて、寂しいだろうとブロ友が言う、
世の中便利になったもので、SNSばかりではない、メールもあれば、lineなどいうコミュニケーションの手段もある。都会の家族とも、週に一回だけ曜日を決めて、オンライン麻雀をやっている。寂しくはないのだが、少年の頃に還りたくなる。これって、老人性鬱なのだろうか。