スマホやSNSの普及で、老若男女誰でも情報を発信できるようになった。
それゆえに、表現力とは異質の"多様な"表現に触れる機会が増えた。
先日も若い方からのSNSで、
老生には意味の分からない単語が飛び交いその意図するところを把握するのに苦慮した。
だからといって、言葉の使い方に寛容になったわけではない。
「言葉は時代とともに、時代によって変わる」と考えてはいるものの、
相手との意思疎通に支障があったり、相手が不快に感じたりするようでは問題だと思っている。
そもそも、文章ではなく短文を多用するSNSでは趣旨や感情などが伝わりにくいので誤解される面もある。
使うべき言葉を選び、場面に応じて適切に用いることを念頭に置かねばならない。
懸念されるのは本を読まない、活字の深意に触れようとしない人たちが多いことだ。
まぎれもなく老生もその一人であるが、この一つだけはいつもこころに留め置いている。
「言葉と向き合う姿勢がそのヒトを表わしている」という真理である。
つまり、言葉を吟味するゆとりを持つということである。
そうすることによって、考えを深掘りし情緒も豊かになると確信している。
なぜなら、使うことばを吟味することは自己を吟味することに通じているからだ。
言葉は人なり。
その人の生き方は、「どんな言葉を使うか」によって決まる。