行雲流水 ~所長の雑感~ -27ページ目

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 読み取りテストの問題のようですが、両方とも読めて意味の分かる方は何%ぐらいでしょうか。多分、若者は全滅、年齢が上がるに従って成績が良くなるのでは。それぞれオオボケコボケ・オヤシラズコシラズと読みます。双方とも古代からの街道の難所。大歩危小歩危は、四国山地のど真ん中、吉野川がつくる急峻なV字谷、大股で歩いては危ない、小股で歩いても危ないというネーミングだそうです。一方、親不知子不知は、越中と越後の間、海岸沿いの断崖絶壁にしがみついて渡る、親子でもとても面倒は見られない、ふと振り返ればいたはずの親(子)がいないのが命名の由来とか。この2つはセットで、かなり幼い頃(小学生以前)に、その言葉のリズム感と、黒インキの絵とともに私の頭にインプットされていたように思います。

 “「大歩危小歩危・秘境!祖谷渓の一軒宿 ホテル祖谷温泉一泊」京都新聞旅行センター”と、初秋のある日、京都新聞の旅行広告が出ました。何故か即座に反応して、10月14日朝8時50分、京都駅観光バス駐車場を出発する観光バスの車中にいました。メンバーは、8組の夫婦連れ(内2組は、プラスどちらかの母親と)、3組の女性グループ(内1組は3人)、男8人女17人の総勢25人。平均年齢は確実に後期高齢者、ある種の日本の現状を小さい世界で目の当たりにしているようです。昼食は、淡路島を渡った鳴門公園、食堂の玄関へ横付けしたバスから降りただけでずぶぬれの豪雨、今夜の宿は山間地の崖の中腹のホテル、一瞬、台風12号の十津川の被害が頭をかすめました。

 さて、ホテル祖谷温泉、今でも結構難路の国道32号線、吉野川沿いの大歩危小歩危を経て左折し、祖谷川沿いに剣山を目指すまさに難路に入り込みます。平家落人伝説が点在する祖谷渓谷は深い深いV字谷、上をみれば狭い両岸の頂きに厚い雲が、下を見れば100メートルから200メートル下に細い急流が覗き見えます。最後の村を見て30分、秘境の一軒家、祖谷温泉到着です。フロント脇の銘板に次のような案内がありました。


☆祖谷温泉        標高413m

北緯33度5分

東経133度49分

☆ケーブルカーについて  全長9.15m 幅1.60m

高さ2.14m 定員17名

             上下駅間の距離250m 

上下駅間の標高差170m

             レールの勾配 約42度 

運転所用時間 約5分


 これが当ホテルの目玉、源泉かけ流し自然温度常時37度、谷底の露天風呂への唯一の交通手段です。

 

 ケーブルの最前列の目前に 上下の2つのボタンがあります。ドアの開け閉めも含めて全て乗客の自主運転で山中の急斜面をゆるゆると下ってゆきます。猿や熊が入っていても決して不思議では無いような葦簀ばりの野趣あふれる露天風呂、30分以上ゆっくりと浸かっていました。この季節、長湯には丁度良い温度でしたが、真冬のあの風呂はちょっと厳しいでしょうね。

 夕食、これが良かったですねえ。今時どんな山奥、どんな鄙びたところへ行っても必ず出てくるのは、マグロの造りと牛肉。ここは、造りは、祖谷コンニャク、柚子湯葉豆腐、ちいたけ、魚は、子鮎甘露煮とあめ(ま)ご焼き、天ぷらは、蓮根、松茸、栗、柿、祖谷じゃがをアンデスの岩塩で、その他地元の食材をあったかく調理されていました。

 朝の露天風呂は、昨夜見えなかった深山のたたずまいと、昨夜の雨で水量を増し、轟々と流れる迫力ある流れが一層興を増します。鳴門公園でふと覚えた不安をケーブル番のおじさんに伝えると、実は台風15号でこの露天風呂は湯船を残して全部流されたのだそうです。山菜がメーンの朝食をすませ、いよいよ帰路へ。途中、葛だけでつくられた昔ながらの吊り橋「かずら橋」でスリルを味わった後、徳島自動車道、高松自動車道、瀬戸中央自動車道、山陽道を経て一路京都へ。初めての見知らぬ人とのバス団体旅行は結構お勧めです。


 昼食で与島のフィッシャーマンズ・ワーフに立ち寄りました。橋の完成時、橋上まで駐車場でした、というガイドさんの説明と裏腹に閑散としていました。バブル時に一発当て込んでやった一過性の事業の答えをみるようでした。


 一方、祖谷温泉、露天風呂付き特別室7室、一般客室14室、収容人員50人から60人、予約でほとんど一杯だそうです。特徴ある心のこもったサービスを丁寧に末永く、これからの商売のヒントのようです。


民主代表選きょう告示/5候補が乱立/海江田氏を小沢元代表支持/鳩山氏も一致・前原氏と対決へ   …8月27日




海江田・野田氏で決戦/民主代表、午後に選出

   …8月29日

野田首相 きょう選出/民主代表選、海江田氏破る/復興財源、自公と協議              …8月30日

政策協議 自公に呼びかけ/野田新首相、きょう党首会談

…9月1日

野田内閣きょう発足/挙党態勢を重視/自公に協議機関提案、復興・税制・円高がテーマ/下旬に日米首脳会談

…9月2日

(日経一面の大見出しから)

 

 日本中、首相がやめなきゃ何も出来ないような雰囲気の空しい、むなしい半年が過ぎて、ようやく始まった民主党代表選、とりあえず一週間の日経の見出しを集めてみました。何か見えてくるかなと思いましたが、政策、理念、哲学らしき言葉は皆無です。


みどり会タイムズに政治の話は非常に少ないのですが、2001年6月号に「小泉純一郎」と題して書いています。読み返してみると、森、橋本と続いた自民党の密室のたらいまわし政権にあきあきして、総裁選で出てきた「小泉」に、大きな期待を寄せた「私」も含む日本中の雰囲気がうかがわれます。しかし、結果はアメリカ主導のグローバリズムのかけ声に悪のりしたのか、させられたのか、現在の若者や、中小零細企業に厳しい世の中になってしまいました。


「政権交代」という威勢のいいかけ声とともに誕生した民主党政権は、金権旧自民から極左日教組まで全くの寄り合い所帯、登場した二人の首相は政治には全くの素人、その上、指導者の覚悟、人としての教養が全く感じられず、たぶん、「綸言汗の如し」など、聞いたことも無いのでしょう。それで、今度の代表選の結果の私の正直な感想は、「海江田や前原でなくて良かった、ところで野田ってどんな人?」です。


9月5日の京都新聞に保阪正康(ノンフィクション作家・著書に「田中角栄の昭和」など)が、次のように寄稿しています。「……………短命内閣が続いた後に登場するのは必ず強権型首相である。東条英機、吉田茂、中曽根康弘、小泉純一郎の各首相を見れば分かる。前任者たちの政策を根本から否定するとの共通点もある。もとよりこの4人のすべてが負の役割を担ったというのではないが、声高にワンフレーズを唱え、一方的な論理で国民を自在に操ってもいる。今、私たちは首相を政治的消耗品のように取り換えている。『誰が首相になっても同じ』との退嬰的な声も広がっている。政治哲学や理念などどうでもいい、とにかく選挙に勝てばいいとの政治的風土を生んでいる。こうした風土の中から必ず現れる強権型政治家、野田首相がそうか、それともこの首相はそのための露払いを務めるのか。よく注視してわが身を振り返る必要がある。」

 この新しい政権を試すかのように、台風12号が紀伊半島に未曾有の災害をもたらしました。津波や原発の後始末も遅々として進んではいません。アメリカのドルの信任もゆらいでいます。中国が、空母を就航させ、領土的野心を露わにしようとしています。アラブ諸国は民衆が立ち上がりました。1ドル50円時代(「通貨」を知れば世界が読める・浜矩子/同志社大学院教授)説も出るほどに製造業の空洞化を憂う声も出ています。しかし、この本の題字を2、3拾い上げれば、『・なぜ、日本人は円に自信を持とうとしないのか・高い円が地方を活性化させる・円ドル相場に一喜一憂しない時代の到来』、円高、必ずしも憂うるにあたらずという気になります。

 

 昨年7月、オーストリアへヨットの国際レースを経験してきました(タイムズVol.205)。レース中、チャーターしたヨットの木製のブームが破損しました。そのとき、すかさず併走するヨットから「It’s not a made in Japan!」と、声がかかりました。また、パーティでオーストリア人の若い奥様に「オーストリアはいかが?」と聞かれ、「ヨーロッパでも一番、洗練されてますね。」と答えたところ、「20世紀のヨーロッパの洗練さは、みな日本の影響ですよ。」と、答えが返ってきました。

 

 日本人が思っている以上に、日本と日本人は、まだまだ世界に信頼されているように感じました。震災後の被災者、自衛隊、警察、消防、原発の第一線で身を挺して働く人々、一般のボランティアの方々の姿は、私達に感動をあたえているのは無論のこと、世界の人々に日本の信頼を高めていることと思います。

 

 今こそ政治が力を発揮すべき時なのでしょうが、しばらくは野田内閣に期待して、関心を持っていきたいものです。

 「子供のころから、走ることにはほとんど興味の無かった私ですが、あと6回の講義に、何故かワクワクしています。パソコンに収まっている第一回の映像に比べ、10月の最終回の映像がどれくらい『カッコヨク』なっているか。USBに取り込んで自己満足に浸りきろうと思っています。」……と、タイムズ2010/8/1は終わっているのですが、残念ながら、昨年10月の最終タイムトライアルには出席出来ませんでした。

 

 2011/7/30 5:00PM、びわこ成蹊スポーツ大学の陸上競技場、スターティング・ブロックに足を乗せ、スタートの合図を待ちます。「位置について、用意、ドン」で、飛び出しました。去年よりは余裕があるかなと思いつつ、100Mを駆け抜けました。タイムは20秒80、事前に提出した目標19秒代には届きませんでしたが、昨年は21秒43でしたから、まずまずの成績です。

 

 昨年、びわこ成蹊スポーツ大学の「100メートル全力疾走に挑戦」プログラムに参加してから、走ることが結構楽しくなりました。毎朝の往復2キロ足らずの散歩の途中、まずゆっくりと100歩走ってみます。しばらく歩いてから軽い体操と小休止。復路、まずジャンプを50歩、異常が無ければ再度ジャンプを50歩。体を慣らしながら少し歩いて、50歩の全力疾走を含む100歩のジョギング。歩きながら体を休ませて、最後に100Mを全力疾走しています。

 

 54歳で初めてぎっくり腰になって以来、出来るだけ走らないように努めてきました。また、その前後から坐骨神経痛が出て、ゴルフでも後半の2、3ホールは歩くのもつらいような時もありました。日常生活でも10分足らずの地下鉄まで歩くのに腰をかばって、途中の公園のベンチで休む事も何度かありました。幸いにも、40歳から続けている朝の散歩、50歳過ぎから始めた顧問先のファイブMでの体操と、併設されている林接骨院での治療、10年ほど前からの家での15分から20分の筋トレなどで、最近、腰の状態はかなり良くなってはいたのですが。

 

 散歩の途中に走りを加えてから1年足らず、知らず知らずのうちにいろんな変化がありました。まず、ゴルフの1ラウンドがあまり苦にならなくなった。地下鉄の階段を登りきっても息が切れなくなった。歩いていて足腰に違和感を感じた時は、椅子などに腰をかけて休むしか無いと思っていました。しかし、朝の散歩の途中、足腰に違和感を感じても注意しながらゆっくり走り出すと、歩くのと走るのとは使う筋肉が違うのか、その違和感が消えてしまいます。足腰の筋肉が、かなり強くなっているのではと思います。

 

 さて、今年の「全力疾走に挑戦」のメンバーですが、ID番号は34まであります。今日(8月6日)の参加者は28名。半分弱が昨年からの顔見知りです。昨年の最高齢、今年77歳のマスターズ陸上の常連の方もいらっしゃいます。「今年のマスターズも、何とか17秒代で走れた。」と、おっしゃっていました。年齢別に分けてみると(全く私の独断で)、30代6人(内女性2人)、40代8人(内女性2人)、50代7人(内女性1人)、60代5人(内女性1人)、70代2人の計28名(内女性6名)。

 

 今日の練習プログラムをみると、


1 ウォームアップ

(グランドを回りながらアップ 準備体操)

2 専門的ウォームアップ

(小刻み ホップ スタート練習30M

3 プロ

(30Mスタート練習 100Mを9割のペースで走る)

4 やさしめ

(200Mを気持ちのいいペースで走る 3~5本)


 と、なっています。3と4は選択制です。最高齢者を初めマスターズ組は「3 プロ」を選択、私は当然「4 やさしめ」を選択したのですが、これも大変でした。


4:00PM、気温33度、風は少々気持ちよく吹いてはいますが、アンツーカの照り返しは結構厳しいです。1と2を休み休みですが、ほぼ1時間、汗は滝の如く、ペットボトルのお茶は1本目が瞬く間に無くなります。小休止のあと、いよいよ200Mを気持ちのいいペースで、と言われても私にとっては初体験、ただ無事を祈って走るのみ。

 

 合図の赤旗が振り下ろされて、スタートしました。100Mあたりまでは押さえ気味に無事通過、これなら最後まで行けそうと思った150Mあたりでガクンとスピードが落ちたのが分かりました。あとはなんとか持ちこたえてゴール、タイムは47秒01。2本目は47秒59、3本目は棄権しました。10月22日まで後4回、最後のタイムトライアルをお楽しみに。


(7月12日・京都新聞・現代のことばより)


文明の解体

「……絵画は通常、キャンバスに赤、橙、黄、緑、藍、紫等々、虹色を基本とする絵の具を塗り重ねていくことで風景や人物を描く。作家の思想や精神、また魂のほとばしりを、絵の具という物質に込めて、それを積み重ねていくことで、見る者の深い感動を誘う。

 

 ところが、手塚さんの手法は、全く逆のプロセスをたどる。驚いたことに、解体のプロセスを、芸術に昇華させているのである。


 たとえば、7色の糸で織られた、美しい布が壁に飾られている。しかし、その布からは、赤や青など、7色の糸が流れ出し、紡ぎ出されようとしている。つまり、対象が解体されていく様を表現し、独特の芸術空間をつくり出しているのである。

 

 手塚さんは語る。『私が織物を解き、その解かれたものから新たな何かを再構築する過程で見せていくものは、すでにでき上がってしまったように見える、歴史への視線を少しだけズラスことができるか、という提案をも含み持っています』

 

 モネなど印象派の絵画と並べて展示されている手塚さんの作品を鑑賞しながら、私は『文明』に想いをはせていた。

 

 大震災や原発事故が、日本に重大な問題を引き起こした。われわれ日本人は、明治以降およそ150年にわたり、物質文明という、得体の知れない布を、懸命に織り上げ、現代の爛熟文化の世界をつくりあげてきた。それは、あたかも印象派に似て、モノを積み上げていくことであった。今、そんな世界観が問われている。

 

 手塚さんが、織り上がった布を一本一本の糸に解体し、美しい芸術を作りあげていくように、私たちもまた、現代の資本主義や政治、また文化というものを、一本の糸になるまで解体しなければならないのではないか。

 

 また、その解体というプロセスを経なければ、決して新しい時代を再構築することも適わないに違いない。」伊藤謙介(京セラ相談役)



(7月10日・日本経済新聞・文化より)

甦ったこころ

「やはり私の暮らす岩手県の平泉がこのたび世界文化遺産に登録されたことを喜びたいと思う。……世界文化遺産にふさわしいものとして平泉が提示していた『浄土思想を軸とする国造り』というものが簡単に世界に受け入れられないのではと案じていたのだ。言葉としては理解しやすく、仏教の教えを大事とする国家は世界にいくらもある。しかし平泉を拵えた藤原清衡の理想とした国はそんな生易しいものではない。……現世に浄土を築く考えは清衡の誕生より遙か以前からあった。……清衡はその実現に向けて歩きだし、中尊寺建立の際の落慶供養の願文には高らかに浄土思想に基づいた万人平等と戦のない国造りを宣言している。……今だから打ち明ける。私は半ば以上諦めていた。(注・資料の少なさ故に)……なのにこの喜ばしい結果となったのはすべてが大震災における被災地の人々の言動によるものと私は思っている。


自分が苦境にありながら他者を案じる優しさ。ともに手を携える温かな心。苦難に無言で耐える強さ。上も下もない平等のまなざし。あらゆる生き物に対する愛情。それらがメディアを通じて全世界に伝えられた。


岩手、宮城、福島、ことごとくが清衡の拵えた平泉文化圏の中にある。


世界は知ったに違いない。清衡の拵えた国は滅びたが、その心は今も変わらずその地に暮らす人々の胸の中に残されているのだ、と。


そして史料よりも確かな理想国家平泉の存在を確信したのだ。……今度の大震災が東北に生きる人々の胸に万人が平等で互いに励まし合って生きた清衡の時代の心を花開かせたのである。


私はもう政治など当てにしていない。この清衡が培った心さえあれば東北の民は自力で立ち上がる。東北の民は新たな理想国家を自身で築いていく。」高橋克彦(作家)


なでしこジャパン、耐えて咲く

日本時間7月10日未明、なでしこジャパンが女子W杯で大会2連覇の独を破り、準決勝に進出するという、歴史的な勝利をあげました。延長後半3分主将MF沢が「動きが見えたので『お願い』と気持ちを込めて出した」パスに、DFの裏に走り込んで、「絶対にいいパスがくると思った。」丸山が角度のないところからサイドネットを見事に揺らしました。

サッカーに詳しくない私でもはっきり分かる鮮やかなパスとシュートでした。

11日朝のスポニチを見ると決勝点をあげた丸山桂里奈選手の談話が出ていました。

「ゴールを決めた歓喜の涙は言うまでもないが、試合前にも丸山は大粒の涙を流していた。ミーティングで見たのは東日本大震災の被災地の映像が収められたビデオ。東京電力でプレーしていた05~09年には福島第一原発で働いていただけに『みんな泣いて私もいろいろ込み上げてきて号泣した』と声をつまらせた。『日本が本当に苦しい中で、何が出来るかと言ったら、サッカー選手としてテレビを通じて一生懸命頑張っている姿を見せること』が見事なゴールになったようです。」

大震災という共通項はあるものの、それぞれは何の関係もない3つの話が、2日間という凝縮された時間にわたしの脳裏に入り込んで心を揺らしています。明治という時代に近代化(西洋化?)を試み、昭和になって一敗地にまみれ、価値観を見失いました。戦後から平成にかけて、民主化と経済成長という価値観を与えられ突っ走ってきたものの、何かが違う。日本列島という美しくも豊かな自然に育まれつつ、その列島の持つエネルギーは人知の及ぶところではない。それを深く深く知っていた祖先は、神々を敬い敬虔に生きてきました。そして、今、私達はそれを呼び覚まし、覚醒しようとしているのでは。日本人に、日本人の若者に期待したいと思います。

 「右の高音が少し聞き取りにくいですね。」とドックで指摘されたのは、3年ほど前だったでしょうか。たいして気にも止めずに過ごしていたのですが、最近特に「テレビの音が大きい。」と、家内に指摘される事が多くなりました。対面して話をしているときは不自由がないので無視(聞)していたのですが、意識してみると会議中の発言が人によっては聞き取りにくかったり、酒の席でのテンデンバラバラの発言には、入っていけてないことに気付きました。先日、杉本商事さんの招待でパナソニック・フェアに行ったところ、会場入り口に補聴器の相談所があったので、立ち寄りました。1時間ほどいろいろとコンピュータでの診断を受けたり、現実に補聴器をつけてみたり、質問を繰り返し、解ったことは次の通りでした。


 まず、私が音域によって軽度から中程度の難聴であること。現状では必ずしも補聴器は必要ではないが、加齢によって、聴力は視力と一緒で徐々に衰えて来るもの。音は耳で聞き、脳で判断しているので、聴力を衰えたままに放置すると脳の判断力も衰えること。補聴器は単なる拡声器ではなく、高度なコンピュータ制御機器なので、個人の現状にあった音域、音量にコントロールできること。結構高額(片方25万から30万)なものであるが、眼鏡と違って聴力の低下に応じ、何遍でも何年でも無制限に調整とコンサルティングが受けられること。(ということはいずれ必要なものならば、早ければ早いほどお得?)と、コンサルタントの吉田さんのセールス・トークに乗ったのか、適切なアドバイスが効いたのか、購入しました。


 6月2日に装着してほぼ半月、16日に第1回の調整に来ます。使用感や不具合なところをメモしておくように、ということだったので、手帳に感じたことを書き留めています。


 まず、テレビの音量は、NHKの番組で“24”にしていたのですが、“18”でもOKになりました。


 今のところ付けているのを人に訊かれた事はありません。気づいているのか、いないのか、分かりませんが、意外と目立たないものなんだなあと感じています。装着している違和感と煩わしさは消えません。だんだん慣れるものでしょうか。最初、時計のチクタク音が耳についていたのですが、いつの間にか気にならなくなりました。車で走行している時の風切り音は、未だ大きく気になります。会話が金属音になる。電話、自分の声が大きく聞こえ相手の声が聞き難い。これは受話器を耳に当てるのではなく、耳の後ろのマイクの位置に持ってこないと駄目だということが分かりましたが、まだ巧くいきません。そして、どうしても我慢ならないのは食事時、歯のかみ合わせ音が大きく響き不愉快、今ははずしています。


 さて、早めに購入し使用するのが良いのかどうか、今のところまったく判断出来ません。先日、経営研究会で皆さんに話したところ、テレビの音が大きいと、家人に文句を言われている人は結構多いようです。目と違い、耳が遠いというのは昔から年寄りの代名詞の様な感じがあるので、皆さん補聴器には抵抗があるようです。今のところ早いこと付けた方が良いですよ、と自信を持って勧めるほどではありません。人間は所詮、良いことも悪いことも時間が経てば慣れて来ます。今、感じている不都合は、聞こえなくてもいい事が聞こえてくることですが、脳は結構フレキシブルなのでそのうち聞こえていても、認識からはずしてくれるかも知れません(時計のチクタク音のように)。補聴器をつける事によって、必要なことは全て聞こえ、不必要なものは耳に入ってこない、物理的にも心理的にもそうなりたいものです。


 ところで、「耳」と言えば「耳順」という言葉があります。孔子の「論語・為政篇」の中の、『吾十有五にして学に志し(志学) 三十にして立つ(而立) 四十にして惑はず(不惑) 五十にして天命を知る(知命) 六十にして耳順(したが)ひ(耳順) 七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず(従心)』という、孔子が自分の人生を振り返って、区切りとなった年齢での心境を語った言葉です。「耳順」は、六十になって人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった、という意味ですが、物理的に音が聞こえなければ、聞く、聞かぬ以前の問題です。補聴器の助けを借りて耳順の心境に到達できるでしょうか。年齢は既に「従心」、心の欲する所に従ひて矩を踰えず、を越えているのですが。