「常波のよせてはかえす伊勢の国五十鈴川の川上に、二千年余の間鎮まります伊勢の神宮。千三百年の昔より式年を二十年に一度と定めて、六十二回を数える遷宮がいよいよ平成二十五年を目指して挙行されます。
社殿はもちろん御敷地にしきつめられる白石、御装束神宝などすべてを、伊勢の大神様のためにと精魂込めて一新し、荘厳で壮大な式年遷宮をめぐる三十余りの諸祭が斉行されます。
千古の時を経て受けつがれてきた数々の祭を通じて、日本の『心と形』をつぶさに学ぼうと、神宮のお膝もとの皇學館大學の主催で、ご神宝調製に携わられる京の匠の皆さんのご協力も得て、公開講演会を催すことになりました。」……第六十二回伊勢神宮式年遷宮記念講演会、主管:京都府神社庁。というチラシを上御霊神社で見て、12月2日 醍醐交流会館で勉強して来ました。
天照大神をおまつりした皇大神宮(内宮)は3世紀頃、豊受大神宮(外宮)は5世紀頃にご鎮座と、日本書記、倭姫命世記にそれぞれ記述があるそうです。神殿は掘立式丸柱、棟持柱、高床式、素木造、切妻・茅葺屋根と弥生時代以来の高床式穀倉の様式を忠実に伝えています。
穀倉での祭祀ということは稲の豊作祈願と収穫感謝を行う、豊葦原の瑞穂の国(日本の美称)の昔からの日本の成り立ちを伝えているようです。神宮正殿は古墳時代のある時には既に存在したとも言われています。
神宮の造り替えは、御用材の伐採、御木曳行事や造営が新聞やテレビでも報道されますのでご存じの方も多いと思いますが、室内飾具、座臥具、装飾具、衣服、化粧道具などの御装束、神宝と呼ばれる日常用具(紡績具、武具、馬具、彫馬、楽器、文具)の全て、約800種1600点が奉製されるそうです。感心したのは古式の材料・規格・技法に基づき奉製されますが、それぞれの時代の匠たちが、その時代の最高水準の工芸技術を駆使しながら、技と心を次の世代に伝えていっていることです。
20年毎というのは親、子、孫が同時に最高の技術を共有しうる貴重な経験だと言うことを、当日の講師の一人現代の匠、錺金具師、森本安之助さん(昭和28年に初参加以来既に3回、次回奉仕出来れば4回目)がおっしゃっていました。
明治37年、時の宮内大臣、田中光顕などが、「……次回の造営まで僅かに二十年、用材成育せず。……今度造営に際し、柱を土中に樹つるの古法を改めて、柱下に礎石を置き、コンクリートを以て固むる時は即ち二百年を保つべく、……」と献策したのに対し、明治天皇は「それは大変な間違いであろうと思ふ。
神宮の御造営といふものは我が国の固有の建て方である。これを見て始めてこの国の建国の昔の古いことを知り、一つは祖宗がかくの如く御質素な建物の中に起臥をあそばされたといふことも知るし、神宮を介して始めて我国建国の基を知るのであるから、現在のこの建て方は全く永世不変のものでなくてはならぬ。
決して建築法が進歩したからと言って、煉瓦とかコンクリートで造るべきものではない。」と沙汰されたそうです。式年遷宮制の成立は天武天皇、持統天皇のころ、690年と伝えられています。それから数えて62回、万物流転する中で不変なるものの存在とそれを支える心を率直に表した言葉のように思います。
変革、改革と軽々しく騒ぎ立てる、グローバルスタンダードのような言葉に浮かされ、日本の持つ優れた伝統や習慣を簡単に捨て去っている中にあって、二十年毎の行事のために九年間準備し続ける人たちが存在する事が驚きでした。
教育基本法の改革や憲法論議をする前提に、日本の伝統の基である式年遷宮に平成25年までじっくりつきあってみるのも世直しのために一番必要なことのように思いました。