リブログ記事”死別で苦しむ人の心は、時間が薬になるのか?”
3月に一周忌を終えて今は6月ですから、今年のカレンダーもあと半分になったという事ですね。毎日、何とか生きているのは相変わらずですが…あちこち出かけるようにしたり美味しい物をいただいたり、なるべく、生き生きしているように 見せかけて 時には自分もそう思い込んで毎日を過ごしている私ですが時が止まってしまった感じは夫が亡くなってからずぅーっと続いたままです。だからカレンダーの枚数が減るのも不思議な感じがしています。もちろん自分でも過ごし方を試してみたり新しい事を初めてみたりもしましたが結局、分かった事は何をやっても虚しいという事何周まわっても結局、夫がいないという事の苦しみ胸の真ん中の痛いところへ戻ってその痛みを確認するみたいな感じです。それに、むしろ時が経てば経つほど周りはそんな事にはお構い無しで皆、時間が進んでいるので私が立ちすくんでいる事など分かるはずも無いしどんどんギャップが出てくるようにも思います。誰にも分かるはずは無いと分かったことは良かったなと思うし誰にも分かってもらおうとも思わないからただひっそり夫の名前を呼びながら心の中で、夫の事を想っています。何をやってももう楽しくないし夫がいた頃の幸せは2度と味わえない。周りの人はまだまだこれから (夫がいなくても違う喜びがある)と簡単にいうけれど実際、そう言う言葉を聞くだけで吐きそうになるし逆に死にたい気持ちが強くなる。一緒に死にたかった…って言うのが本当の気持ちなんだろうなと、今、書いててしみじみ思います。そう思うと義父が自死したという過去の出来事も遺された者がどれ程心に重い物を抱える事になるのか経験しているからやっぱり、息子達の事を思うと自死する事だけはダメだと思えるからあの義父の事も私には必要だったのかも知れないな…なんて考えたりしてます。今日は久しぶりにインして良い記事に出会えて良かったです。komaさんありがとう💕