夫が無事、旅立てたことは、現実的な悲しみよりも、高揚感の方が強かった。それは私自身が私の心を守っていたんだと思う。
葬儀社との打ち合わせに始まり、慣れない事に挑む時間が、私に悲しむ時間を与えなかった。
そして、6年目になる職場。
何とか続けられるようにと配慮してもらった上司や、その都度励ましてくれた仲の良い同僚のお陰で、私は仕事を続けられた。
でもそうで無い人からの言葉もあった。
そうで無い人の放った言葉があったから、
「意地でもシフト通りに仕事に出てやる!」
と、夫が亡くなった時、私の心の中に、
『意地でも』という闘志がわいた。
私にしては本当に珍しく、負けん気を出す事ができた。
仕事に行くという行為が私を支えてくれた。
そして最近気が付いた。
私が「負けない」と闘っていたのは、本当は私の心を殺そうとする、私自身だったんだということ。
だけどまだ私は今、深い闇を好んで漂っているようなところがある。
深い深い水底を、さらに掘るような時もあるけれど、そのままでは死んでしまうので、もがきながら水面に顔を出す。
そんな私も、今では、息を吸ったその一瞬、空を眺めるようになった。
眩しい青空、静かな星空、穏やかな曇天さえ、夫と見つめた時を思い出させてくれる。
夫と一緒に過ごせた人生は、これからの私を、きっと支えてくれる大きな力になると思う。
この世で、私たちは愛し合っていたんだと思える事は、今も、これからも、私の心を温めてくれると思う。