「どう?もう慣れた?ひとりの生活!」

突然かけられた言葉に息が詰まる。
「えっ!…慣れないでしょう。」
思わずそう答えた。

去年の今頃の事。
そして2月のこと…3月に亡くなる前の事。
信じられないけど、去年の今頃はまだ一緒に生活していたのに。

 夫のことを思い出しては、辛くて苦しい毎日を過ごしていることを皆知らない。
誰も知らなくて当たり前。
暗い顔をして仕事をしているはずもない。
そんな言葉をかけられるほど、元気そうに見えているなら、それはそれで良かった気もする。

 職場で声をかけてきた人は、私と同じように、ご主人を亡くされている人だ。
夫が亡くなってから、様々な言葉に傷ついてきた。だからいちいち言い返したりしない私だが、かなり気分が悪かったので言ってみた。

「慣れるもんですか?
 ご主人、亡くされて何年でしたっけ?」
「もう8年。」
「そう…8年ですか。それくらい経てば、慣れるんですね。」

私が真顔でそう言ったので、少し気まずそうにその人が言った。
「私も今でも、主人の事思い出すと、涙が出るのよ。」

「そうなんですね。」
吐き出すようにそう答えた。
心の中では、じゃどうして「慣れた?」なんて言うの?と思っていた。

 相手は悪気があってのことではないのもわかっている。
多分「心配してあげてるのに」と思っていると思う。

 言葉って難しい。放たれた言葉は、受け取る側次第なのか?
だが悪気がないだけにタチも悪い気すらしてくる。

 それとも私はひねくれているのか?

それとも、夫が居ないことにいつか慣れて、同じようにご主人を亡くした人に、
「ひとりの生活にもう慣れた?」
なんて気軽に笑って言うようになってしまうのだろうか?

 一人で決めて、一人で行動して、一人で日々の生活は何とかやっているけれど、それは仕方ないからやってること。

電球が切れたら、自分で買って交換する。
そんな些細なことも、話す相手が居ないから、一人で淡々とやるだけ。
どんなことでも、”電球”と同じ。笑って話して、どうするこうする言い合える人が居ないから、ただひとりでやるだけ。

 でもそれは、夫が居ないことに「慣れた」からではない。

 珍しく少し嫌味に言い返してしまった自分が今の自分で、夫がいた時よりも、もしかしたらほんの少し強くなったような気になった。

 言ったってどうしようも無いのにね。

 夫が笑っている。

 

 そして私は心で泣いている。