入院中のお助けアイテム | 子育てで大切なたったひとつのこと。

子育てで大切なたったひとつのこと。

四浪難病貧乏母認知症死別離別皆別々でいい。そしてワンネスへ。私たちはドラマを生きて、あらゆることを体験するために生まれた。楽しもう。笑おう。泣くことも、味わおう。ハートカウンセラー、色札セラピスト、催眠療法家、マインドフィルタークリアラー。




ただいま。




発展した現代医療の

恩恵を充分に賜り…



11月1日に入院、

11月16日に退院しました。





(七味、クレイジーソルトに助けられ。)



記憶障害?今見ると
虹の写真を
何度もアップしている私。










退院する
3日前ぐらいから

同室お隣のベッドにきた
おばあちゃん。


90代後半かな。

ずっと、ずーっと
咳払いか、唸り声か、
聞き取れない言葉を
四六時中発していらして。
夜中も。


時々、看護師さんいないスキに、

おばあちゃんのカーテンを

そっと開けて、




「おばあちゃん、
ご飯美味しかったね〜」


「おばあちゃん、おいくつ?」


「おばあちゃん、いま何か言った?」


と、話しかけてた私。(おいおい)



反応は

皆無。



なんで、話しかけたかって、


違うお部屋のおじいさんで、

それはそれは大声で

「おーーーい!!!」

「ど〜しろってゆ〜んだよ〜〜〜!!」

「ひとごろし〜〜〜!!!」


と、常に怒鳴ってるおかたがいて、


時々私「はいよー!」とか、

反応してあげてたのです

部屋の外から。

お顔も見えないながら。


そうすると、しばらく静かになる、
おじいちゃん。



やっぱり、、、

呼応したいのかな〜って。


「反応がほしい」
ってあるかなぁって、


おばあちゃんにも
話しかけたけど。


おそらく、
「私」っていう存在の認識が
おばあちゃんには
なかったな。




しかし、

本当に、、、


そのおばあちゃんのお陰で

私、、


夜が眠れない。


眠れないったら眠れない。


夜9時消灯、朝6時頃起床なのに。



夜中、イヤホンで
映画観たり
音楽聴いたりも
しましたが、

それはそれで
神経が休まらなくなり、、、



もう、出たい。

退院したい。




私の主治医が、オペが入りまくりで
忙しく、
退院許可がなかなか
連絡すら取れない、

みたいに言う

看護師さんを
せっつき
せっつき



なんとか退院。



おばあちゃん、

ありがとう。



おばあちゃんがいなかったら、


居心地良すぎて

もうちょっと

居てしまったかも

私。







しかし
なんていうか。


ハナシは変わり。

病院という場に

工場のような
無機質感、殺伐感、
寂寥感を感じてしまった。


人それぞれの
ドラマは
確かにあるはず

なのですが。


病院ドラマ
医療ドラマ
山盛りだもんね。



だけど、


私の場合、


たんたんと

ベルトコンベアに

載せられるように、


治療され

処置され

採血、血圧、体温、

ご飯運ばれ、すぐ片付けられ、

くるくると

月日が

過ぎた。



そんな、印象。



それで、いいということかな。



入院とは、

ある、ラインに載る、ということかも
しれません。


そういう、連携や
担当割になっている。


そうじゃないと
やってられない
激務な看護師さんたち。
ドクター。



人として
やりがいとか、
モチベーションとか保てるのかなぁ。

なんて
医療現場を
ちょっと心配した。



それか、

私自身が
比較的
自分の感情を
シャットアウトしていたのかしら。


感情を
いつも深く感じていたようでいて
(瞑想もしてたし)

むしろ
アウトプットしないことで

無機質に

なっていなかっただろうか。




そうそう
私は、いままで、ずっと

ホスピタリティや
オリジナリティを
追うことをしてきたから。



どっちがいいとか
悪いとかじゃなくて。




独自性の追求や
人の心の彩を見つめる視点。



決められたことを
確実に
やりとげるお役目。



それぞれ大切。





生死のぎりぎりのところで

人間らしく生きる

というのは、

なんだか


とてもぎこちなくなるのです。



快適や安穏を追求したって

そこには

空虚が広がるから。





じたばたしていいし、


右往左往していいんだなぁ。