11月2日に手術しました。 | 子育てで大切なたったひとつのこと。

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四浪難病貧乏母認知症死別離別皆別々でいい。そしてワンネスへ。私たちはドラマを生きて、あらゆることを体験するために生まれた。楽しもう。笑おう。泣くことも、味わおう。ハートカウンセラー、色札セラピスト、催眠療法家、マインドフィルタークリアラー。



こんな朝、
私は


手術の日を

迎えました。




今年9月に

『後縦靭帯骨化症』

という
国から難病指定を受けている病気だと
診断された私。


その時も、そして
手術直前だって、
仕事はもちろん
普通に生活できてたし、

山登りも時折
してたぐらいだから
(なぜ検査、診断となったかは、
過去ブログに。)


手術すると決めてからも
気持ちの折り合いがつかず、

ちょっとメソメソしてました。



手術しないと、

痺れや、脱力、麻痺が
四肢に
徐々に
広がってしまうと。


その悪化進度は
人それぞれで
未知数、わからないと

いうならば、


ビクビクして過ごすより

手術してしまおう、という
私の決断。

もちろん、
主治医にも
それを勧められました。
年内がよい、と。




それでも、


いま思えば
セカンドオピニオンも聞かなかったし、
医療関係の友達にも
相談しなかったな。
医者や看護師の友人。



いっきにここまで、

走って
来てしまいました。


忙しいからこそ、

もしかしたら、

決断できたし、

日々やり過ごして
これたのでしょうか。




手術は、

『骨盤の骨を削り、
脊椎に移植する』

というもの。

当初は

『頸椎の靭帯が
骨化してるところを
削る』

と言っていたけど。(削ったのか?)



首の前から切開、
気管や食道を退けて、
脊椎の裏側へ処置するって。


懸命に処置しても
気管、神経などに傷がつき
血腫により呼吸困難や
四肢の動きが困難になる
可能性がある、ことも
説明を受けました。


大門ミチコを呼んでくれ〜

と言いたくなるよね!
(うそ。観てないし)



主治医は、
「骨盤の切開痕のほうが
術後痛いかもね」


って。
安らかに言っていた。



骨盤の骨を切るって、
どんな痛さだろ。




手術前に…記念に。
傷痕のない首、、、


あとで
消去します〜




11月2日、14時過ぎに

手術室に
歩いて入りながら、

見送ってくれる人に

手を振って

バイバイ✨



「ありがとう」


🥲


自分で手術台にのり、

点滴らや呼吸器やら
されているうちに
意識はなくなりました。


・・・・・・・





19時過ぎに
立ち合っていた妹から
家族へ、
私の手術が終わって
ICUにいると
連絡が入ったもよう。








私は朦朧としていたので、、、





ただ、

手元に
ナースコールがなくて。





(ナースコール、ぜんぜん見えない
         (首動かない)
    遠くのナースコール)




動けない、しゃべれない、のに


いまどこ?何時?
痛いよ〜
苦しい〜

と思っては、うとうとし、



また、目覚め、

息できないよ〜

喉が〜


しばらく
繰り返していた、

一言で言って

地獄のひととき、、、


ICU、、、




次の日の早朝だったのか、


手が動き、

手にいっぱい
チューブや機械が付いていて
それでカンコン
ベッドの手すりを
叩いて
看護師さんを呼んだという。







お願い、




いちばんつらい時には、、、


ナースコールは
手元に持たせて
くださいませ〜




こうして

5時間あまりの

手術は、

無事終わりました。





感謝。


感謝。



生きている私。



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