旧ユーゴスラビア7か国とアルバニア | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

 世界地理シリーズ第3弾の今回は、旧ユーゴスラビアから分離独立した7か国とアルバニアを取り上げます。

 前者は旧ソ連・東欧圏の崩壊に伴い成立した比較的小さい国々で、年輩の人には馴染みのない国が多いと思います。

 

 8か国の和名と英語表記は、スロベニア Slovenia、クロアチア Croatia、ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosnia and Herzegovina、セルビア Serbia、モンテネグロ Montenegro、コソボ Kosovo、北マケドニア North Macedonia、アルバニア Albania です。

 国名の順序は、大ざっぱに北西から南東へ並べています。

   

   旧ユーゴ7か国とアルバニアの首都、面積など

  国名     首都     面積  人口 一人当たりGDP 独立など   .

 スロベニア  リュブリャナ 2.0万km2 210万人 26,000ドル 1991年 ユーゴ

 クロアチア  ザグレブ   5.7万km2 410万人 18,000ドル 1991年 ユーゴ

 ボスニア   サラエボ   5.1万km2 330万人  -    1992年 ユーゴ

 セルビア   ベオグラード 7.7万km2 690万人 11,000ドル 2006年 セ・モ

 モンテネグロ ポドゴリツァ 1.4万km2  63万人   -    2006年 セ・モ

 コソボ   プリシュティナ 1.1万km2 180万人  -    2008年 セルビア

 北マケドニア スコピエ   2.5万km2 210万人  6,000ドル 1991年 ユーゴ

 アルバニア  ティラナ   2.9万km2 290万人  5,100ドル 1912年 オスマン帝国

 (注) 1.ボスニアはボスニア・ヘルツェゴビナの略。以下、表中では同様

  2.セルビアの面積と人口はコソボを抜いたもの。

  3.セ・モは、セルビア・モンテネグロの略。

 

 これらの国々の領域はバルカン半島(Balkan Peninsula)の西半分のほとんどを占めます。

 (Wikiを読むと、現在ではバルカン半島という地名自体が好ましくないとする主張が強くなり、その場合代わりに東南ヨーロッパ Southeast Europe という表現が使われるようです。私の記憶でも「ヨーロッパの火薬庫」という表現と結びついていたりして、この表現を嫌う事情は分かります。)

 

 ここからの記述は旧ユーゴ諸国が中心であり、アルバニアは特に明示した箇所以外は除かれています。

 

 この地域の住民は主に南スラブ人であり、南スラブ語が公用語です。

 アルバニアとコソボだけは、主にアルバニア人とアルバニア語です。

 ただ、さまざまな民族が入り混じっており、南スラブ人も混血・混交が進んでいます。

 旧ユーゴ諸国以外では、ブルガリアも南スラブ人の国です。

 なお、ユーゴスラビアは「南スラブ」を意味します。

 

 歴史的にみていくと、

 この地域は、近世にはほぼオスマン帝国 Ottoman Empire の支配を受けていました。

 ただし、北西端のスロベニアだけは、ずっとハプスブルク家、オーストリア帝国、続いてオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にありました。

 19世紀にはセルビアがオスマン帝国から独立を果たし、またクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に入りました。

 1914年、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺され(サラエボ事件)、これをきっかけに第一次世界大戦が勃発しました。

 

 大戦終了後の1918年、セルビア王国を中心にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国が作られ、1929年にユーゴスラビア王国に改称します。

 首都はベオグラードであり、これを「第一のユーゴ」といいます。

 しかし、第二次世界大戦開始後の1941年、ドイツ軍の侵攻後に国王が亡命し、第一のユーゴは幕を閉じます。

 

 第二次大戦中にパルチザンによる対独抵抗運動を現地で指導したのはヨシップ・ブロズ・チトー(Tito、1892年5月~1980年5月)でした。

 1945年、チトーらにより第一のユーゴとほぼ重なる地域にユーゴスラビア連邦人民共和国が建国されます。

 同国は1963年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称されます。

 これが「第二のユーゴ」であり、ソ連・東欧圏の崩壊に伴い1991年~92年にかけて解体されるまで続きます。(以下本稿では単にユーゴと略称)

 チトーは、建国から1980年5月に亡くなるまで同国の実質的な指導者でした。

 

 パルチザンの指導者チトーは共産主義者であり、戦後の1947年スターリンとともにコミンフォルム(共産党・労働者党情報局、国際共産主義運動組織)の創設に携わりました。

 にもかかわらず、スターリンが他の東欧諸国と同様にユーゴも衛星国家化しようとするのに反発し、両者は1948年に決裂しました(ユーゴ共産主義者同盟のコミンフォルム除名)。

 

 その後、ユーゴはチトーの時代に世界の注目を集めました。

 外交では、インドのネルー、エジプトのナセル、ガーナのエンクルマ、インドネシアのスカルノとともに非同盟運動を主導し、米ソによる東西冷戦下で存在感を示しました。

 (芸能界で今も活躍しているデヴィ夫人という方は、スカルノの第3夫人でした。)

 経済では、市場経済を導入するとともに、企業を労働者自主管理としました。

 これらは、市場社会主義 自主管理社会主義という、資本主義でも共産主義でもない第3の道として注目されました。

 内政面では、ユーゴを多様性を内包した国家としました。

 社会主義体制でありながら言論の自由をある程度許容し、ユーゴを構成する各共和国や自治州の自治権を拡大しました。

 ユーゴの多様性は、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの連邦国家」という標語にまとめられます。

 

 しかし、1980年5月にカリスマとして君臨したチトーが亡くなると、次第に経済問題や民族対立が激化しました。

 後者については、ユーゴを構成する各共和国それぞれが他民族を内包していたことが大きな要因として挙げられます。

 1991年~92年にかけて、スロベニア、クロアチア、ボスニア、マケドニアが相次いで独立しました。

 残ったセルビアとモンテネグロは、新たにユーゴスラビア連邦共和国を結成し、ここに第二のユーゴは幕を下ろしました。

 ただ、第二のユーゴの解体は平和的には行われず、1991年~2001年まで紛争が続きました。

 特に、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア東部、コソボでは民族浄化と呼ばれる凄惨な状況に陥り国際的に大きな問題(戦争犯罪)とされました。

 また、ユーゴスラビア連邦共和国は、2003年にセルビア・モンテネグロと国名を変更しました。

 最後に、モンテネグロが同国から独立を宣言して、旧ユーゴの解体はほぼ終了しました。

 なお、セルビアは、コソボの独立を現在も認めていません。

 

 ここからは、各国別に紹介します。

 

 スロベニアは、この地域では経済、政治、教育などの面で最も先進的な国です。

 もともとハプスブルク家・オーストリア帝国の支配下にあったことから、西欧からの評価、親近感も高いようです。

 この点は、宗教面でローマ・カトリックが人口の2/3以上で、ラテン文字を使うことも影響しています。

 東欧によく似た名称の スロバキア Slovakia という国がありますが、どちらもスラブ人に関連して命名されたためとする説があります。

 

 クロアチアは、この地域ではスロベニアに次ぐ経済水準となっています。

 クロアチアも、宗教は大部分がローマ・カトリックで、ラテン文字を使います。

 1941年にできたクロアチア独立国は、ナチス・ドイツと協力して強制収容所を建設し、大規模な迫害と虐殺を行っていましたが、チトーのパルチザンに倒されました。

 

 ボスニア・ヘルツェゴビナは長い国名ですが、ボスニアがこの地域の北部、ヘルツェゴビナが南部を示します。

 一方で、この国はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の2つから構成される連邦国家でもあります。ヤヤコシヤー

 前者はボシュニャク人とクロアチア人が主体で中央部分とアドリア海沿岸部分を占め、後者はセルビア人が主体で北部と東部を占めています。

 ボシュニャク人は、オスマン帝国下で改宗したイスラム教徒です。

 ただ、クロアチア人、ボシュニャク人(ボスニア語)、セルビア人の3者は言語的には大きな差はないとされます。

 ユーゴスラビア紛争で主要な戦場となった地域であり、周囲の国々と比較して経済、政治、教育などの面で遅れています。

 紛争の頃英語のニュースでこの国名を何度となく聞きましたが、長いためか単に boznia と発音していて、ヘルツェゴヴィナの部分は聞いたことがないのと、ズと濁っていたのを思い出しました。

 首都サラエボは昔からサラエボ事件で有名ですが、そんなことで覚えてほしくないかな・・・

 

 セルビアは、旧ユーゴ地域で面積、人口とも最大の国です。(といっても、桁違いの差ではない)

 また、その首都ベオグラードはこの地域最大の都市であり、第一のユーゴ、第二のユーゴを通じて首都であり続けました。

 セルビアは、第二のユーゴ末期からユーゴスラビア紛争の時期において、各国の独立とユーゴの解体を阻止する立場の当事者でした。

 セルビア・モンテネグロは2006年にモンテネグロの独立宣言で解体しましたが、その際、セルビアも独立宣言と継承国宣言を行っています。

 一方、コソボは2008年にセルビアから独立を宣言しましたが、セルビアは現在も独立を認めていません。

 セルビア人の大部分はセルビア正教徒です。

 セルビア語はクロアチア語やボスニア語と大きな差はないとされますが、表記はキリル文字(ロシア語と共通)を使います。

 

 モンテネグロは、この地域の他国と比べても面積、人口ともに一桁小さい国です。

 国名は、黒い山という意味です。他に書くことなし(^^

 

 今回取り上げる国々のなかで唯一国連未加盟なのが、コソボです。

 2008年2月にセルビアから独立を宣言しましたが、セルビアは独立を認めていません。

 国連加盟国のうち独立を承認しているのは113か国で、日本も含まれます。

 セルビアにとっては、9世紀ほど前にセルビア王国が誕生した「セルビア建国の地」なのですが、その後の歴史的経緯で現在はアルバニア人が9割以上を占めていることから、独立に至ったわけです。

 アルバニア人住民の大半は、イスラム教徒です。

 

 北マケドニアは、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域のうち北西部にあります。

 住民はマケドニア人と自称・他称されますが、彼らは南スラブ人の一派であり、アレクサンドロス大王で有名な古代マケドニア王国とは直接の連続性はありません。

 このため、1991年にマケドニアとして独立して以来、南隣のギリシャとの間に国名論争を生じました。

 (宮沢賢治の童話「よだかの星」で、タカがよだかに市蔵と改名せよと迫りますが、タカがギリシャ、よだかがマケドニアです(^^)

 2019年、北マケドニアと国名を変更して決着しました。

 民族構成はマケドニア人が6割、アルバニア人が2割5分、宗教は正教会が7割、イスラム教が3割です。

 マケドニア語の表記には、キリル文字を使います。

 

 唯一旧ユーゴ諸国に含まれないのが、アルバニアです。

 アルバニアは、1912年にオスマン帝国から独立を果たしますが、その後も政情は不安定で、1946年にホッジャを指導者とする社会主義政権が成立します。

 ホッジャは、中ソ対立の時代には中国寄りの立場をとりますが、文革終了後には中国とも対立して、1980年代には鎖国状態となり「欧州の最貧国」とも揶揄されるようになります。

 1985年に独裁者ホッジャが死んだ後、80年代末から徐々に民主化が進み、1992年に戦後初の非共産政権が誕生します。

 その後も、1997年のネズミ講破綻により国民の1/3が全財産を失って、暴動が発生し政権が転覆されるという事態が起こっています。

 現在も、バルカン半島で最下位の経済水準とされます。

 アルバニア語は印欧語派のひとつですが、スラブ語派とは異なります。

 表記は、現在はラテン文字を使います。

 宗教については、オスマン帝国時代にアルバニア人の大部分がイスラム教に改宗しましたが、社会主義時代の独裁者ホッジャが徹底した宗教弾圧を行いました。

 1990年に信教の自由が認められ、現在はイスラム教が7割とされます。

 

 最後に、不平等調整済み人間開発指数(IHDI)、民主主義指数、脆弱国家指数、EUとNATO加盟の有無を表の形でまとめておきます。

 生活水準に関する国際比較 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp) <- IHDI

 民主主義指数あれこれ | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)    <- 民主主義指数

 失敗国家指数 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)     <- 脆弱国家指数

 

  国名     IHDI   民主主義指数  脆弱国家指数 EU   NATO 

 スロベニア   8位 0.882  31位 7.75 欠陥 163位 26.1 2004年 2004年

 クロアチア  29位 0.817 58位 6.50 欠陥 139位 45.9 2013年 2009年

 ボスニア   64位 0.667 94位 5.00 混合  77位 71.0  -   - 

 セルビア   45位 0.740 64位 6.33 欠陥  91位 67.8  -   - 

 モンテネグロ 41位 0.756 52位 6.67 欠陥 118位 56.9  -  2017年

 コソボ      -      -     -     -   - 

 北マケドニア 62位 0.679 72位 6.03 欠陥 114位 58.1  -  2020年

 アルバニア  60位 0.687 66位 6.28 欠陥 120位 55.9  -  2009年

 (注) EUとNATOの欄は、加盟国は加盟年を記載。EU加盟は27か国、NATO加盟は32か国

 

 やはり北西ほど経済、政治、教育の水準が高く、また西欧と近いことがうかがえます。

 スロベニアのIHDIは、日本(19位 0.844)より上位です。

 セルビアは、歴史的にロシアとの関係が深いようです。

 民主主義指数はほとんどの国が欠陥民主主義ですが、唯一ボスニア・ヘルツェゴビナだけは混合政治体制であり(混合とは民主主義と独裁の中間という意味)、脆弱国家指数もこの中で最も高くなっています。

 

 

 ユーゴの自主管理社会主義は、私の青春時代の思い出でもあります。

 

 

 ★ 今日は、いよいよ東京も猛暑日となりました。夜は熱帯夜、昼は猛暑日・・・

 まだ梅雨は明けていないはずなのですが。