『科学の本一〇〇冊』3 | 宇宙とブラックホールのQ&A

宇宙とブラックホールのQ&A

2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

『科学の本一〇〇冊』1:『科学の本一〇〇冊』1 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)

『科学の本一〇〇冊』2:『科学の本一〇〇冊』2 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)

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・71 創世記(『聖書』より)
「創世記」では、この世界は神の手によって「創造」された、そして神は、この創造行為の最後にアダムとイブという人間(男女)を造り、それまでに造られた世界を「治めなさい」と命じた、とされている。人間(アダム)は、被造物(神によって造られたもの)のなかでは神の本質を部分的にではあれ受け継いだ唯一の存在であり、「神の似像」とも表現される。
そこから得られるいくつかの結果は重要。
造られたものの背後には、造り手の意図や設計が必ず存在する。時計が時計細工師の設計図を具現しているように、神の設計図はその作品である被造物の世界に伏在しているはず。英語の<law>は「法則」であり「法律」だが、元々の意味は「整えられたもの」。受身形なので能動者がいるはず。
つまり、自然界を律する秩序(法則)も、人間の世界を律する秩序(法律)も、本来は神の意志に基づいて整えられたものであり、神の「似像」である人間はそれらを理解する能力を与えられていることになる。
自然の合理性をどこまでも探求する、というヨーロッパの自然科学の大本はここにあった。
神の被造世界にある秩序は、神の設計の合理性であり、それを探求することは、神の本質の一部を与えられた人間にとって聖書を読むのと全く同じように最も重要な行為である、とキリスト信徒は永らく考えてきた。
その点は、通常科学者として尊敬されているニュートンや教会と軋轢を起こしたガリレオ、あるいはケプラーやコペルニクスなど近代科学の基礎を築いたとされる人々が等しく共有していたことである。

・72 古事記
この世の始まりの部分では、『聖書』の「創世記」と同様に、最初に混沌があった、とされている。
しかし、『古事記』が異なるのは、いろいろな神々が次々に現れては「消える」(原文では「隠れる」)となっている点。
そして、イザナギとイザナミという二柱の男女の神が現れて結婚し、生まれた子供が私たちの住む日本の国土になる。
「生まれた」ものをいくら調べても、「生んだ」ものの意図や設計をそこに読み取ることはできない。
この点が、『聖書』と比べたとき、自然探求の学問的体系である科学と結びつく要素が少ないと考えられている理由である。

・73 キャロリン・マーチャント 『自然の死』 1980
科学の歴史に登場するのは圧倒的に男性が多いのをどう考えるべきか。
この種の問題は、しばしば<nature or nurture?>という頭韻を踏んだ問いかけで語られる。日本語では「氏か育ちか?」  つまり、科学の世界に女性が少ないのは、女性の本性に関係があるのか、それとも育つ環境がそれを強制するのか、という問題である。
当然フェミニズムは(問いかけそのものを否定する立場もあろうが)、「育ち」説を取るだろうし、その答は基本的には正しいだろう。
著者も、ある種のフェミニズムの立場で科学の歴史を研究してきた学徒である。
著者の本書での最も大切な姿勢は、過去の歴史においては男性主体で科学が振興されてきた、という事実に
立って、その結果を問題にしようとする点にある。
主張の要点は、現代の生態学的な危機、つまり「自然の死」を招くような科学・技術を展開してきたのは男性主導だったからだ、というもの。
本書は、しっかりした史的研究に基づいた良質の歴史書である。

・74 ロバート・キング・マートン 『科学社会学の歩み』 1979
著者は、アメリカ社会学の帝王ともいわれた学者。
彼が1949年に発表した大著『社会理論と社会構造』の最後の章が<Sociology of Science>と題されていて、科学社会学という概念の成立を示す象徴的な出来事と考えられている。
つまり彼は科学社会学の父であり、その彼が自分の学問的なキャリアを綴ったものが本書。
現代的な科学研究は、19世紀後半のヨーロッパにおける専門的な「科学者」<scientist>と呼ばれる人々の出現から始まる。それとともに、科学史と科学哲学もacademic twins(学問上の双子)として19世紀末に誕生する。両者とも英語は<of science>の形を採っている。ほぼ半世紀後に誕生した<sociology of science>も、それらの妹と遇されるようになった。つまり現在、自然科学は、その外から三つの視座、つまり哲学、歴史、そして社会学的視座から学問的な考究を受けている。
マートンの初期の研究では、17世紀イギリスの「自然哲学者」たちの相当部分が清教徒であるという点に着目して、社会統計の手法を使って成果を挙げ、科学と宗教(清教徒的キリスト教)との関係を立証する証拠集めを行った。
この発想は、M.ウェーバーの「資本主義とプロテスタント」の関係を論じたいわゆる「ウェーバー・テーゼ」の科学版であり、「マートン・テーゼ」と呼ばれるようになった。

・77 村松 秀 『論文捏造』 2006
アメリカを代表する研究機関ベル研究所で起こった、物理学の超伝導を巡る捏造事件。
著者はNHKの科学番のプロデューサーで、ベル研の事件を扱ったドキュメンタリーを制作、国際的にも高い評価を得た番組になった。その際の取材内容を素材にして書かれたのが本書。
主人公はドイツ生まれ、アメリカで活動するヤン・ヘンドリク・シェーンで、一時期はノーベル物理学賞に最も近い男と評されたベル研のスター研究者。
彼は、超低温で生じる超電導の限界温度を「上げる」ため、金属ではなく有機物(フラーレン)に着目して実験を重ね、有力誌に論文を載せ、次々に記録を塗り替えて実績を上げていった。しかし、・・・
>因みに、本書が書かれたのはもちろんSTAP細胞事件が起こる遥かに前のことですが、本書の「はじめに」の項で、理研で不正が発生し、主たる関係者は退職、理研は「日本の公的研究機関としては初めて、科学的不正行為を扱うための<監査・コンプライアンス室>を新設、不正防止への対応を急いでいる」と著者は書いています。この制度は、その後一体何をしていたのでしょう。

・79 エドワード・モース 『日本 その日その日』 1917
著者はアメリカの生物学者で、日本最初の近代的大学である東京大学のお雇い外国人教師として明治10(1877)年に来日し、大森の貝塚の発見で歴史に名を遺した人。
つてを頼りに物理のメンデンホールや政治学教授で美術専門家のフェノロサなど何人かの学問的業績のある外国人を日本に招く斡旋役を務めるなど、生物学に限らず明治期日本の学問の世界に多大の貢献をした。
日本では進化論への宗教的反発が皆無なところから、率先してダーウィンの進化論を広めるための講演会を開き、その点でも大きな影響を与えた。明治時代の日本社会では、科学というと物理学というよりは進化論に土台とした生物学が代表の役割を果たした。
そのモースが、滞日中に綴った日記の文章を、添えられたスケッチなどとともに集めたのが本書。
科学者の眼で見た日本の社会のありのままが、見事な筆致で描かれていて、歴史的な価値も高い。
何から何までが珍しく、ユーモアと好奇心とで一切を吸収しようとするモースの姿勢がこの本にはよく表れていて、文化人類学の見本のような趣も備えた書物といえる。

・80 ジャック・モノー 『偶然と必然』 1970
著者はフランスの分子生物学者。第二次大戦後パストゥール研究所で研究を続け、オペロン説を提唱した。オペロンとは、「働き手」という意味の<operator>に、「元になる要素」を意味する接尾辞として使われる<on>を加えた新造語で、遺伝子が作動するときには抑制子と調節子と作動子の3種類の働き手が組になって協調しながら遺伝現象を司る、という考え方。
1965年には、同僚の研究者ルボフ、ジャコブとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。
本書は、そのモノーが生命現象に関する科学的研究の最前線について語るとともに、副題にあるように、「現代生物学の哲学」について彼の考え方を詳述したもので、一筋縄では読み切れない。
彼は、本書の目的を、客観的な科学知識に基づく知識の倫理学を創出することだと述べるが、同時に自身それは一種のユートピアだともいう。
生命現象は、単なる物理学的な法則にすべてを帰着することの出来ない領域に属する、という点をはっきり認めていること、生物体にあっては自然現象が一般には秩序の崩壊に向かって推移する(例えば熱力学の第二法則がそれを明示)のと異なり、秩序形成の方向に向かう存在であること、などをはっきり認める彼の立場は、現在の生命科学にとっても、たとえそこに働く何ものかの「神秘性」を完全に否定するにしても、受け入れなければならない考えであろう。

・82 ヤーコブ・フォン・ユクスキュル 『生物から見た世界』 1934
本書の訳には、旧版と新版が存在する。どちらも訳者は日高敏隆さん(58参照)だが、ユクスキュル理論の鍵となるドイツ語の<Umwelt>を旧版では「環境世界」としていたのを新版では「環世界」と訳し変えている。
例えば、ダニにとっての<Umwelt>は酪酸の「匂い」と若干の温度変化だけであり、<Umwelt>はそれぞれの生物にとって「主観的」環境を意味している。
こうした概念を持ち出すのは「科学的」でない、という批判もあるが、人間にとって自分を取り巻く世界が唯一の客観的世界であって、他の生物も同じ世界のなかに生きている、という前提は極めて僭越な思い込みであることを、著者は丹念に説く。
しかも、面白いことに、他の生物はそれぞれの「環世界」のなかで生きるだけだが、人間はいろいろな道具(例えば望遠鏡や顕微鏡、高周波検知器など)を発明・利用することで他の生物の「環世界」へ近づくことができる。例えば、コウモリの発信・受信する高周波の音波がそう。

・83 ユング、パウリ 『自然現象と心の構造』 1952
ユングは、臨床心理学の大家だが、科学からはみ出した世界にも強い関心を抱いていて、科学界の一部から批判されてきた人物。一方、パウリは、天才肌の物理学者で、とりわけ数学的な才能に優れていた(k:村上さんは触れていないが1945年ノーベル物理学賞受賞)。
本書は、そういう二人が別々の論考とはいえ、一つの書物を協力して造ったもの。
本書のなかでユングは、非因果的な(時間の連鎖を前提としない)連鎖を鍵として論を展開する。
他方、パウリは、ケプラーの考え方の背後にある哲学的な前提を明らかにしようとし、その分析のキーとなる概念としてユングも常に依存する<元型>(architype=英語)を持ち出す。この点で、両者の精神は寄り添っていると見ることが出来る。
村上さんと河合隼雄氏の共訳。

・86 ハインリヒ・リッケルト 『文化科学と自然科学』 1901
村上さんは、『一〇〇冊』の幾つかの項目で、現在の意味での「科学(自然科学)」は19世紀ヨーロッパに誕生した、と述べている。その確かな根拠の一つが、本書。
著者は新カント派の重鎮だった哲学者で、本書の原著は20世紀の幕開けの年に出版された。
19世紀は哲学の個別科学への分化、あるいは専門かという事態を生んだ。哲学もまた個別科学の一つの地位に置かれることになった。その際、大きな括りとして登場したのが、自然を扱う自然科学と人間の事績を扱う非自然科学の区別。
本書はそうした方向性を確認し、さらにその根拠を合理化する試みとして歴史的に大切な位置を占めている。例えば第6章「自然科学的方法」で、普遍性の追求、経験的な方法などが特徴として挙げられているが、これらは科学を論じるときの基本的な概念としてその後今日に至るまで一つの伝統を形づくることになった。
こうした言説は、同時代の社会学者M.ウェーバーの「価値自由」(Wertfreiheit=独語)という概念と呼応している。

・87 ジャック・リンゼー 編 『近代科学の歩み』 1951
もともとBBCがラジオの教養番組として放送したシリーズを、編者のリンゼーがまとめて書物にしたもの。選ばれた講演者はバターフィールド(54参照)をはじめ当代一流の学者ばかり、特にバターフィールドの科学革命論が発表されて間もない頃だったので、それが全体をまとめる枠組みとなっている。
扱われるトピックスは、ダンテに始まり、コペルニクス、F.ベーコン、ハーヴェイ、ニュートン、化学、パストゥール、ダーウィン、原子論、そして現代の科学として(相対論や量子力学に触れずに)技術的な応用面を話題にしている。

・88 ティトゥス・ルクレーティウス 『物の本質について』
ルクレーティウスは紀元前1世紀のローマの詩人。本書も定型的な韻を持った哲学的な詩文。
古代ギリシャを代表する二人の哲学者プラトンとアリストテレスの二人がともにライヴァルとして警戒し様々な形で批判した哲学者が、デモクリトス。彼の著作は断片しか残っていないし、その後の古代世界でも継承者はほとんど見つからないが、少し後のエピクロスが一応彼の哲学を受け継いだといわれている。そして、デモクリトスとエピクロスの異端の哲学に対して、賛美の詩をささげたのがルクレーティウスの本書。
彼らの哲学は古代ギリシャの原子論。
第一に、物質を分けていくと、これ以上分けることができない、という場面に至る。分けられずに残ったものを原子(atom=ギリシャ語で「分けられないもの」の意味)と呼ぶ。
第二に、原子は私たちの感覚が捉えるような性質、色、手触り、味、匂いなどを一切持ち合わせない。つまり、原子まで物を分けていく作業は、感覚が作動している現実の経験のなかではなく、もっぱら理性によって行われるので、原子がもつ性質も、理性が要求する抽象的な「広がり」、「重さ」、そして「運動」のみ。
現在「原子」は、さらに分けられて種々の素粒子になることが知られているが、それらが感覚的な性質を持っていないと考えられていること、それでもなお、それが物質としてまとまると感覚的な世界が現出する、と考えている点では古代ギリシャの原子論の構造を受け継いでいるといえる。

・94 ジョン・ワトソン 『行動主義の心理学』 1913
著者は、心理学が「心」を扱う学問である、という肝心な点をある意味で放棄した。
「心」(自分以外の)と言っても、しょせんは身体的な振る舞い(行動)からの憶測に過ぎないのであれば、心理学は行動学になるべきである。そうすれば、「心」理学も科学としてやっていくことができる。
物体に外力を加えると加速度が生じるのと同様に、人間に刺激(S=stimulus)を与えると、ある反応(R=response)が生み出される。
そのとき「心」が働いているのだろうが、それを確かめることは原理的に出来ない以上、そこはブラックボックスにしておいて、SとRとの関数関係にのみ着目する(SR心理学)。
実験心理学の基礎を造ったという点で、また科学とは何かを改めて考えさせる材料として、大きな意味をもつ。


以上、村上さんの要約と評価をさらに私なりにまとめました。
私以外の方にも、お役に立つことはあろうかと思います。
ここに載せなかったものは、
a. すでにこのブログの他の記事で触れているので、重複を避けた
b. 載せたかったが、残念ながらうまく要約できなかった
c. わざわざ要約して載せる価値はないと判断した
d. 95~100の6冊は村上さんの著書なので、取り上げるならその本を読んでまとめるべきだと判断した
のいずれかです。ああ、あと、
e. 89~93は、時間切れ(^^;
というのもあります。