『宇宙像の変遷』1 | 宇宙とブラックホールのQ&A

宇宙とブラックホールのQ&A

2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

書評です。
村上 陽一郎 著 『宇宙像の変遷』 講談社 講談社学術文庫1235 246頁 1996年6月発行 本体価格\880(税込\924)

村上陽一郎さんは1936年生まれなので今年72歳。
現在は東京大学名誉教授、国際基督教大学教授。ご専門は科学史、科学哲学、科学技術社会学。
私が中学生のときにすでにNHKの通信高校講座にゲストとして出演しておられ、学者としては有名人でしたね。
トレードマークの色つきメガネがキザに見えましたが(^^、これは眼が弱いためだそうです。
その後、私は間近で聴講したこともあります。

村上さんは1987年から放送大学で「宇宙像の変遷」という題の講義を担当されました。
本書の基になっているのは、1992年から始まった第二次の講義のために新たに書かれた印刷物(いわゆる教科書)です。
この講義は都合により1995年に打ち切られ、その翌年に学術文庫の一冊として出版されました。

講談社学術文庫はその名の通り、学術書の古典を収録しています。
これまでに千数百冊刊行されていますが、ほとんどすべてが文系のテーマです。
本書も縦書き右開きです。

本書は全体で15の章から成りますが、大きく4つに分けられるかと思います。
本書のテーマが「宇宙像の変遷」だといってもヨーロッパが中心ですが、ただその中でも「第1章 宇宙とは・宇宙観とは」、「第2章 神話的宇宙像」ではヨーロッパに限らない全般的な解説を行い、あるいはヨーロッパ以外の地域を取り上げています。
第3章から第6章までは近代ヨーロッパ文明の源流となったギリシアとユダヤ・キリスト教の宇宙像を取り上げています。
第7章から第13章までは十二世紀ルネサンスからわれわれの考えるような近代科学が全面的に制覇するまでの宇宙像を描きます。
この部分が本書の中心です。
「第14章 地球を測る」と「第15章 現代天文学とその宇宙観」は、著者には申し訳ありませんが、付け足しです。
各章を同じように要約するとまた長くなりすぎるので、特徴的な部分のみピックアップします。

第1章では宇宙論と進化論の2つはともに「論」であって「学」でないという共通性があると書いていますが、少なくともここ数年は「進化学」という書名の本も多数出ています。

「第3章 古代ギリシアの宇宙観 その I 」では、師弟ではあっても水と油ほど異なるプラトンとアリストテレスの思想、というよりむしろその後の新プラトン主義とアリストテレス主義の思想について説明しています。
これは後のルネサンスとの関係で重要な伏線となります。
新プラトン主義についてはほとんど知られていないと思うので、無理を承知でまとめると、
・善であり完全である「一者」からの動的な「流出」により段階的に現象世界が生まれた。
・現象世界の中でマクロコスモスたる宇宙とミクロコスモスたる人間は対応している(占星術の根拠)。
・一者は全宇宙に遍在している。
・人間の最終目的は一者への合一にある。
かなり神話的ないし宗教的な思想です。

「第4章 古代ギリシアの宇宙観 その II 」では、デモクリトス - エピクーロス - ルクレティウスと連なる古代の原子論が取り上げられます。
プラトンもアリストテレスも原子論を嫌悪したようです。
哲学的原子論は、論理的にa.不可分割であり離散的な原子と、b.その原子が動く場である真空の存在を要請します。
しかし、この真空が批判者たちには受け入れがたかったようです。
また、原子論は物質のさまざまな感覚的性質をそのまま捉える感性ではなく、原子が抽象的に形、大きさ、重さだけをもつとする悟性の優位を前提とします。(悟性というのは哲学用語で、日常の言葉でいう理性です。)
これは、経験を重視するアリストテレスとは正反対であり、現実世界の多様性を単純なものに還元してしまう還元主義の思想です。
(このあたり、熱力学と分子運動論の関係を思い起こさせます。)
この段階で、新プラトン主義vs.アリストテレス主義vs.原子論という三つ巴の構図が確立します。

「第6章 天文学的モデル--プトレマイオス」では、天動説を体系的に紹介しています。
実は、今回私が10年以上も前に出版された本書を購入したのは、この詳しい解説を読むことが目的です。
今日からみれば天動説など間違っているに決まっていますが、古代、中世から近代初めまで天動説が受け入れられていたのは、天動説でもそれなりに惑星の動きを予測することができたためで、かなり複雑な太陽系モデルで計算が行われていました。

この章では、周転円、離心円、擬心(エカント)などプトレマイオスの理論的工夫が丁寧に紹介されています。

これらはいずれも、惑星の逆行、留など一見不規則な運動を円運動により説明するために導入された概念です。
離心円(eccentric)とは、地球を天体の回転運動の中心に置かず、そこから少しずれたところに置く工夫です。
周転円とは、円運動を二重にして、地球を中心とする円(導円、different)の円周上の一点を中心としてもう一つの円(周転円、epicycle)を描き、天体は後者の上を回り、後者の中心が導円の上を回るという考え方です。(円運動の向きは両者とも同じです。)
プトレマイオスの宇宙体系では、地球を回る天体は地球に近い方から順に月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星となります。
水星、金星では、導円は正確に太陽と同じ回転角速度をもち、周転円は太陽からの最大可能離角を与える半径をもつとされます。
他方、火星、木星、土星では太陽と同じ回転角速度をもつのは周転円の方です。(なお、著者はいずれも回転「速度」と書いていますが、角速度の間違いでしょう。)
月と太陽は惑星のような複雑な運動はしないので、その限りでは周転円は必要ありませんが、太陽の季節ごとの運動が異なることを説明するなど微調整のためにやはり周転円が導入されます。
擬心(equant)とは、離心的な地球と中心を挟んで反対称の点であって、そこから見て太陽が等速円運動を行っていると見えるように軌道運動を設定します。
プトレマイオスの体系は基本的にはアリストテレスに従っているように見えますが、擬心というアイデアはアリストテレスの宇宙像で重視される等速円運動を本来の形では否定しています。

第7章。
いわゆる十二世紀ルネサンスによりこれまでほとんど知られていなかったアリストテレス、エウクレイデス(ユークリッド)、プトレマイオス、アルキメデスらの著作がヨーロッパに流入し、キリスト教と世俗的なアリストテレスを両立させるスコラ学が成立します。
スコラ学によれば聖書と自然はともに神という一人の著者が書いた2冊の書物であるので、当然同じことが書かれているというのです。

第8章。
15世紀における本来のルネサンスで復活したのは、新プラトン主義(ヘルメス主義、カバラ主義、ピュタゴラス的な数秘術、記憶術、魔術を含む)でした。
それらのラテン語訳と紹介の責任者となったのは、フィチーノ(M.Ficino、1433~99)という人物です。
新プラトン主義は一見異教的であって、キリスト教と矛盾するように思えますが、フィチーノは一者からの流出により万物へ自己展開するという前者の思想を、神の7日間の創造と重ね合わせて両立させます。
そこに生まれるのは動的宇宙観です。
また、光=太陽が重視されます。

第9章で取り上げられるコペルニクスと第10章のケプラーの二人は、ともに新プラトン主義の影響下にありました。
コペルニクス(1473~1543)は、フィチーノの強い影響を受けて太陽中心的な宇宙体系を構想します。
その概略は1512年にはほぼ完成して「要項」と呼ばれるメモにまとめられ、印刷はされなかったもののそのコピーが回し読みされて、彼の新説は次第に知られるようになります。
そして、ローマ教皇の秘書だった枢機卿から本にして出版するように勧められるのですが、コペルニクス自身は教会法学者として経済政策や医療法などの整備に忙しく、要請を受けなかったということです。
一方、同時代の宗教改革者ルターはコペルニクスの地動説を激しく非難罵倒します。
最終的にA.オシアンデルスという神学者がコペルニクスの書いたものをまとめて出版するのですが、彼はルターに近かったため勝手に書名を『天球の回転について』として「地球の」回転の印象を弱めたり、本書の内容は数学的仮説であって実際に宇宙がそうなっていることを主張したいのではないという趣旨の無署名の序文を付けたりしました。
しかし、コペルニクス自身は出版に前後して世を去ったため、それに抗議することはできませんでした。

第10章のケプラーについては、以前ケストラーによる伝記『ヨハネスケプラー』を書評で取り上げたので、省略します。
ただ、ケプラーの占星術の考え方に関するわかりやすい説明は、伝記にもなかったものです。

「第11章 ガリレオと望遠鏡」については、私は不満があります。
これまで見てきたようにプトレマイオス、コペルニクス、ケプラーについてはそれぞれ一章ずつ使ってその天文学あるいは宇宙像が述べられています。
それに対して、ガリレオについては望遠鏡を使って月の表面の凹凸と木星の4衛星を発見したことを『星界の報告』で発表したことだけが当時の宇宙観をゆるがせたという意味で重要で、しかもそれらは天文学的データとしてはさして大きな意味をもっていないとしています。
ガリレオが天文学者としてはケプラーたちと比べあまり重要でないという判断はいいとして、その根拠を彼の主要な著作との関係で明確に説明してほしかったです。
今でも、ガリレオが「それでも地球は動く」とつぶやいたという伝説は広く浸透しているのですから。

第12章は、デカルトとニュートンに当てられています。
デカルトは、「すべての物質は、外的な要因が及ばない限りは常に同じ状態にあって変化しない」という恒常性の原理から、思弁的に「静止している物体は他から原因が加わらない限りは静止し続け、動いている物体はその動きを続けようとする」という慣性の原理を導出しました。
また、デカルトは、古代以来の秩序をもつコスモスの観念が宇宙は無限であるという着想により崩壊し始めたために、均質等方一様な空間に手がかりを与えるべく、三次元直交座標系(いわゆるデカルト座標系)を考案して解析力学の創始者になりました。

次に、ニュートンについては、彼自身の信じていた宇宙像は古典力学的宇宙像(しばしば皮肉にもニュートン力学的宇宙像と呼ばれる)とは異なり、宇宙空間は神の身体であり感覚器であるというものだったことが指摘されています。

------------------- 続 く -------------------