前回


…までのあらすじ


2023年12月から大腿骨骨折であい病院に入院している義母。

これまで受けてきたサービスは終了にして、

今後は義父のいる介護付有料老人ホームゆうホームに入ってもらうことにした。

2024年1月にその手続きや準備を始めたが、

12日に義父が誤嚥性肺炎で昨年も入院したしい病院に出戻り。

入院手続きと入居準備を並行していた。


*    *   *


2024年1月17日水曜14時半過ぎ。

しい病院から電話があった。


前回も書いたがこの30分ほど前、主治医なっぱ医師から電話があり、

この翌日に胃ろうを造るかについて話し合いをすることになっていた。

夫と相談する前に、ゆうホームの都合を聞くのに電話しようとしていたところだった。


出ると、病棟の看護師を名乗った。

お世話になってます、といつもの挨拶をすると、


「あの、義父さんなんですけど、










呼吸が止まっていまして…










えっ!?!?

しか出なかった。

つまりは危篤の報せである。

「今すぐ来てほしい」と言われ、つい二つ返事をしたものの、

娘があと1時間足らずで帰ってくる。

鍵は持たせていない。


なんにせよ夫と私の親に知らせねばならない。

まずは夫、職場の公立学校に電話をした。

授業中だと無理かなと思ったがすぐに取り次いでもらえ、夫に事情を話す。

この日受け持っていた授業は全部終わったらしい。

職場から病院に直行する方が近いが、ひとまず帰って一緒に行くことになった。


次に親。

実家から我が家は車で頑張っても1時間なので娘の帰りには間に合わないが、とりあえず我が家に向かってもらう。

鍵は預けてあるので私がいなくても問題は無い。

覚悟はしておいて、とも伝えた。


よりによって真っ赤なトレーナーを着ていたので慌てて着替えたり、

外に出していた洗濯物を取り込んだりと、

準備をしていたら夫が帰ってきた。


帰りながら娘をどうするか考えていたらしく、

学校に電話して現段階で早退にし、一緒に行くことにした。

これ以外に方法がない。

出発直前に再度親に連絡し、急ぐ必要はないと伝えた。


正門で娘を拾い、事情を話す。

娘は驚いていたが、やはり泣くことはなかった。

車の中で夫に胃ろうについて翌日相談することになっていたことを話した。


そしてこの時思い出した。

2022年秋から体調を崩していた義父。

義実家で倒れ込んだまま動けなくなり、救急車を呼んだものの、

起き上がれたので本人が搬送を拒否したあの時。

私は勤めに出ていた夫を呼び戻し、

搬送はしなかったがその後の通院に行ってもらったのだ。

詳しくは↓


これが、2023年1月17日の出来事

ちょうど1年前のこの日から全てが始まったのだ。

それを夫に言ったらびっくりしていた。


病院に着き病棟へ。

本来小学生の面会は許されないので、何か言われたら私と娘は外で待機にしようというつもりで向かった。


病棟入口で名乗るとスタッフが

「あっ…」

と言っていたところでほぼ察した。


少し待って、電話してきたと思しき看護師が来て、病棟内に案内された。

娘については何も言わなかったし、何も言われなかった。


病棟奥の相談室に入ると、なっぱ医師がいた。

夫となっぱ医師は初対面である。


なっぱ医師から状況を聞いた。

13時頃に看護師が様子を見に行った時は変わりなかったのだが、

14時半に改めて見たら呼吸が止まっていたという。


前日まで心拍モニターを着けていたが、

病状が安定しているとして外したばかりだった。

考えられる原因としては、痰が詰まって窒息したか、

致命的な大きな発作が起きたかだろうとのこと。

入院時に私が無理に延命しなくていいと言っていたので、措置はしなかったそうだ。


なっぱ医師も「急なことで驚いています」と言っていた。

そりゃそうだ、ついさっき私とこれからについて電話してたんだから。


相談室を出て義父の病室へ。

結核の検査のため個室にしていたが、大部屋に移ることなくそのままだった。

入ると、けたたましいアラームが聞こえる。

心拍モニターが「0」を示していた。


奥のベッドで、義父が横たわっている。

口は開いており、血色は悪い。

呼吸音も動きもなかった。


夫がなっぱ医師に「もう亡くなっている状態ですか…?」と尋ねると、

「これから確認します」とペンライトを取り出した。

これまで明言をしてこなかったのは、確認作業がまだだったかららしい。


もはや医療ドラマの世界である。

ペンライトで瞳孔を、聴診器で心拍音を確認する。

そして聴診器を外し、静かに宣告された。


「2024年1月17日水曜日 午後3時42分、

義父さんの死亡を確認しました。

ご冥福をお祈りします」


義父、89歳の誕生日を目前にして逝去。

そしてこの時点を以て、

義父の介護は完全に終わった。


次回、葬儀社を決める。『義父との別れ①』前回『介護の終わり⑨』前回『介護の終わり⑧』前回『介護の終わり⑦』前回『介護の終わり⑥』前回『介護の終わり⑤』前回『介護の終わり④』前回『介護の終わり③』前回…リンクameblo.jp



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というわけで、

一時期お休みしていたのは、

義父の葬儀があったためでした。


今回「介護の終わり」とタイトルをつけたのは、

①義母の入院によって在宅でできる介護が難しくなったので、施設に入れることで一段落にする

②義父の介護は逝去したことで完全に終了した

という2つの意味がありました。


とはいえこれから相続や片付けなどがありますし、

義母の方も施設に入れなくてはならないので、

まだまだ落ち着かない日々が続きそうです。


内容が内容なだけにPickはやめときます。

それではまた次回。