今年も残すところあと僅か。
皆様如何お過ごしでしょうか。
ワタクシでぶの鶴ちゃん、
せめて「でぶの」という枕詞を返上すべく、
ダイエットに励む予定でした。
計画通りなら今頃10kgは落ちていたと思います。
しかし現状。
年始から8kg増えました。
不健康まっしぐら。
原因はハッキリしています。
ストレス太りです。
じゃあなんのストレスかっていうと、
義父母が仲良く倒れたんで、
介護していたんです。
この1年何があったのか、
そしてなぜ「介護していた」と過去形になっているのか。
自分でも振り返ってみたいので、
堅い文章ですが綴っていきます。
まだ親の介護とは縁遠いなーとお思いの方、必見です。
* * *
遡ること2022年11月。
隣に住む義父(当時87歳)が、具合が悪いと訴える。
頭がふらふらして、食欲もなくお粥とヨーグルトしか食べられないという。
寝てばかりいるので筋力も落ち、トイレに間に合わなくなることも増えた。
12月。
ご近所さんの伝手で地域のケアマネジャーを紹介してもらい、
ひとまず介護ベッドを自費で入れることにした。
パンツ型のオムツも使うようになった。
ここいらで一旦体調が落ちついてきたので、この時点では介護認定を考えなかった。
2023年1月17日。
義父が床に倒れたまま動けなくなる。
意識はハッキリしているので、義母が救急車を呼んだものの義父本人が断り、
出勤した夫を呼びつけてしまったのでついでにかかりつけの「けい病院(仮名)」に連れて行ってもらった。
この時に糖尿病との診断が下りるも、それだけ。
なおケアマネは当日欠勤で連絡できず。
翌18日のお昼前。
義父が「あまりに具合悪いから入院したい」と言い出す。
じゃあ午後になったら入院できるちょっと大きめの「あい病院(仮名)」に行きましょう、と言ったが、
その数時間後、「吐きそうだから行かない」と言い出す…
いや吐きそうなら行くのがいいのでは(´・ω・`)
と思ったが、義父はやたら頑固なところがあり説得も聞かないので取りやめ。
義母がケアマネに連絡して、翌日来てもらうことになった。
翌19日午後。
ケアマネが来て、義父の様子を見て、
「今すぐ救急車呼んで大きい病院に運ぶべき」
と言って救急車を呼んだ。
我が家の前は通学路になっており、ちょうど小学生がぞろぞろ帰ってくる時間帯。
当時小3の娘の目の前で、救急車が我が家の前に停まったもんだから、
娘もお友達もすんごくびっくり。
この時は義母が付き添いで救急車に乗り込んだのだが、
義母も89歳(当時)で足腰の衰えがあり、
上がったところで尻もちをついてしまった。
隊員の手を借りながらなんとか乗り込んで、
少し離れた「しい病院(仮名)」に搬送されていった。
隊員に私のスマホの番号を伝え、
迎えに行く都合でしい病院に伝えておくという。
夜7時過ぎに病院から電話。
検査の結果【硬膜下血腫】で、即入院し翌日に手術となった。
そして義母を迎えに行くことに。
夫は帰宅していたが、車の運転が出来ない(免許上は可だがもう30年はハンドル握ってない)ので、
夜遅いから娘を1人にさせられず私が行くしかない。
脳外科の医師に説明してもらえるというので、
義母の待つ救急の診察室へ。
義母もだいぶ耳が遠くなっていて、医師の説明もわかっていなさそうだったから、
ここで聞けたのはありがたい。
CT画像を見せてもらい、
右側に大きい血の塊、左にも少しあった。
この右の塊が脳を圧迫していたために体調不良を起こしていたらしく、
当然放置すれば命の危険。
硬膜下血腫の原因は様々で、
転んで頭打ったとか、血液サラサラの薬の影響とか、高血圧とか。
義父は元々高血圧で薬を飲んでいたが、ここ最近はサボっていたらしい…
いずれにせよ要素がありすぎて逆に原因不明だという。
とにかく明日、頭蓋骨に穴開けてチューブ入れて血を抜くという手術をするので、
立ち会いに来てください、と言われこの場は帰ることに。
義母にしたら着いた時はまだ明るかったのがすっかり真っ暗になり、
どこを走っているのかもわからないし、迷惑かけたとずっと話していた。
帰る前に夫に連絡し、
明日私の両親(車で1時間ちょっとで来られる、元トラック運転手の父と現役在宅ワーカーの母)に来てもらえないか聞いておいて、と指示。
手術が午後なので、娘のお迎え要員が必要なためである。
そこは簡単にOKをもらえた。
帰宅後私から改めて電話した。
次回、手術。
そして義母の様子が…?
* * *
◎私はまだ乗ったことがない