前回
…のあらすじ。
義父が硬膜下血腫で倒れました。
* * *
2023年1月20日。
義父の手術で入院先の「しい病院(仮名)」へ、
私と義母が行くことに。
正午には来ていてほしいという病院からの指示で、
私の両親には早めに来てもらい、早めの昼食の後車で出発。
この時点で、義母は腰が痛くて思うように歩けないと言う。
手を繋いで広い病院を歩いた。
救急病棟入口のインターホンで到着を伝えると、
隣の控え室にいてください、と言われた。
手術室が同じ階にあるから、家族の待機部屋がちゃんとある。
時間がかなり押してしまい、なかなか声がかからないため、
義母は「いつまで待たされるのか」とイライラ。
待ち始めて1時間半、ようやく呼ばれた。
義父はベッドのまま移動し、手術室の前まで一緒に行く。
が、そこで追い返されるので一緒に行く意味はあったのだろうか…
手術が終わったら知らせるので、と院内PHSを渡された。
元々いた控え室に戻り、義母を座らせて、
私は入院に必要なものの購入とパジャマのレンタル申し込みで院内のコンビニへ行ったり、
前日貰っていた入院手続きの書類を書いたりしていた。
保険証が見当たらなかったのが気がかりだった。
そのうちに夫や母から連絡が来る。
夫は休みを取って早く帰ってきたらしい。
ほぼ同時に娘も帰ってきたという。
結果的に親を呼ぶ必要はなかったらしいが、まぁ念には念をってことで。
手術は2時間で終了。
PHSが鳴ったため、腰痛のある義母を置いて私だけ手術室へ。
主治医が来て、「右側からこれだけの血が出てきた」と、
ポリ袋に入った血を見せてきた。
私はこういうの平気なタイプなので、
「掬った金魚を持ち帰るやつみたいw」と思う余裕があったけど。
PHSはその場で回収され、義母の待つ部屋へ。
そのうちに義父がベッドごと戻ってきて、程なく呼ばれた。
ナースステーションで主治医からの説明である。
・右はほとんど抜けたがまだ残っているのでしばらくチューブは差したまま
・左は少なかったので抜けず、自然に戻るかもしれない
・チューブで少し脳を傷つけてしまったので経過観察が必要
・本当は部分麻酔でやる予定が、暴れるので眠くなる薬を入れた
後半ほど「なんじゃそりゃ」となるが、まぁ隠されるよりはいいかと。
通常なら10日ほどで退院できるというが、さてどうなるやら。
…という説明を、耳の遠い義母は全く聞き取れていなかった。
この主治医もまたやたら声が小さいのである。
帰宅後に紙に書いておいたが、果たして理解できたかどうか。
帰る前に少し顔を見られるというので寄ったが、
酷いせん妄で落ち着きがなかった。
手にグローブつけて拘束されていたので、大きく動いてしまうことはなかったが。
これを最後に退院まで、私も義母も義父の顔を見ることはなかった。
というのも当時まだ新型コロナは2類。
面会が一切禁止になっていたのである。
義母をロビーに座らせて、私は入院手続きへ。
保険証は見つかり次第届けるようにと言われ、帰ってきた。
母がカレーを作っておいてくれたので、義母にも分けてあげた。
義父の保険証は17日のかかりつけ医けい病院への通院で持っていったため、夫が義父の上着のポケットにあったのを見つけてくれた。
翌日しい病院へ届けに行くのに、どうせ面会できないしそもそも土曜日で診察もないことから、娘を連れていった。
なんかすごい大きいところに入院したんだ、とびっくり。
この日のうちにしい病院から電話があり、
容態が落ち着いたので救急病棟から一般の病棟に移ったとのこと。
その際、オムツのレンタルを申し込むように言われた。
もっと早く言ってくれ…
両親は私が帰ってきて程なく帰っていったが、母が老眼鏡を忘れていってしまった。
さらに翌日(日曜)に娘と届けに行った。
それを早めに切り上げて帰宅し、娘を家に戻してから再びしい病院へ、コンビニでオムツのレンタルを申し込む。
この時部屋番号がわからなくて聞きに行く羽目になったが…。
なお夫は、益々腰が痛いという義母の面倒を見ることに。
台所に立つのも辛いというので、弁当を買ってあげたという。
幸い這ってならトイレには行けるそうなので、義父の使い差しのオムツを使うことはなさそうなのだが…
次回。
義母…腰大丈夫?
* * *
◎未だにケータイとPHSの違いがわからない
◎義父の倒れる数日前に国技館行ってたのほんとセーフだったよね…サムネのパップコーン美味しいよ